アウシュヴィッツから奇跡的に生還した精神科医V.フランクルは、『夜と霧』(みすず書房 1961年)で次のように書いています。
1944年のクリスマスと1945年の新年との間にわれわれは収容所で未だかつてなかった程の大量の死者が出た。(中略)この大量死亡の原因は単に囚人の多数がクリスマスには家に帰れるだろうという、世間で行われる素朴な希望に身を委せた事実のなかに求められるのである。(181頁)
「何故生きるかを知っている者は、殆どあらゆる如何に生きるか、に耐えるのだ」と述べるフランクルは、全く拠り所を失った人々が崩れてゆく様を目撃します。彼ら、あらゆる慰めを拒絶する者たちの典型的な口のきき方は、「私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていないのだ。」というものだったそうです。
そこでフランクルがたどり着いた結論、というよりも生き延びるためにつかみとった考え方は、彼自身がコペルニクス的転回と呼ぶ、問いかけの観点変更でした。
ここで必要なのは生命の意味についての問いの観点変更なのである。すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。そのことをわれわれは学ばねばならず、また絶望している人間に教えなければならないのである。(前掲書 183頁)
そしてフランクルは自殺企図を漏らした二人から、「人生が彼らからまだ期待していること」を引き出すのに成功します。一人は、彼が並はずれた愛情を注いでいるひとりの子供が外国で彼を待っていることを、もうひとりは、科学者としての未完の仕事が彼を待っていることを。
哲学者の鷲田清一さんは、この「観点変更」が興味深いのは、わたしたちが人生の意味を「問う者」としてではなく、それを「問われた者」として体験されることであると述べます。だれかに「待たれる」という受動性がここでひとをかろうじて支えます。
しかしこれすらも奪われた時、ひとはなお生きることに耐えられるのでしょうか。
鷲田さんは、無意味な苦痛、不条理な苦しみの中にあるひとがいて、なんの留保もなしに「そばにいる」ことの力を説きます。
他者の現在を思いやること、それは分からないから思いやるのであって、理解できるから思いやるのではない。料理を供する母親は、じぶんではなく「あなた」の口に合うか、それがとても気になるから「おいしい?」と訊くのであり、「おいしい」という返事をもらうことで、じぶん自身の行為にはじめてポジティブな意味を与えることができるのである。(『聴くことの力―臨床哲学試論』1999年 阪急コミュニケーションズ)
苦しみの只中にいる人の「そばにいる」ことによって、逆にみずからが意味を与えられる瞬間を鮮やかに描き出しています。これは同時に人生の意味を「問われた者」が、どうしても生きる意味を見いだせないとき、かろうじて答えうる答えではないかと思います。