昨日、全共闘のことを書いたあと、道浦母都子にこんな歌があったのを思い出しました。
私だったかもしれない永田洋子 鬱血のこころは夜半に遂に溢れぬ
(『無援の抒情』)
「空爆の下でおびえる人」だったかもしれない、ではなく「永田洋子」だったかもしれない、というあたりが、この時代を振り返ったときの救いようのなさを言い表しています。
先の茂木健一郎の文章と比べてみると、時代の真っ只中に生きたひとの言葉は、迫力が違うとさえ感じます。
さて、今日は中秋の名月なので、殺伐とした話題からそちらに話題を移します。やはり時代と「抜き身」で渡り合ったひと西行は、次の歌を詠んでいます。
憂き世にはほかなかりけり 秋の月ながむるままに物ぞかなしき
(『聞書残集』)
「憂き世」の外側の世界などありはしない。そんなものが心をなぐさめるのではなく、秋の月は眺めるほどに我が身を悲しくする、そういうものなのだ、と西行は詠います。前にもご紹介したことがありますが、この歌は大江為基の次の歌を下敷きにしています。
ながむるに物思ふことのなぐさむは月は憂き世の外よりは行く
月が「憂き世の外」にあるからだろうか、月を眺めていると傷心も慰められる、と為基は詠いますが、西行はそれを全否定するような勢いで先の歌を詠みました。憂き世の外などは無いのだと。
月は眺めるほどに悲しいという事実があり、その事実から離れた思弁をあれこれと交えてしまうと、西行の月は消えてしまいます。
先日の話につなげるならば、「惻隠の情」が尊いのだとしても、その情が発動する瞬間を離れてしまえば、思いはどのような空理空論にも彷徨うことができてしまうのです。
徹底したリアリストである西行は、その不徹底さがやがて破滅を招くことを、嫌というほど知っていたのでしょう。
秋はただ今宵一夜の名なりけりおなじ雲井に月は澄めども
月は同じ空に澄んでいるのだけれど、秋といえばこの中秋の名月を言うのであった、こう詠う西行の心は、たった一夜のこの月にのみ注がれています。
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