私は1959年生まれですので、全共闘世代と時代を共有したことはありません。「連帯を求めて孤立を恐れず」のスローガンも、高橋和巳の著作などを通して、かろうじて知っている程度です。
財政危機が懸念される2025年問題を引き起こす厄介者であったり、老人医療介護のビッグマーケットであったり、団塊世代をそのように扱う文脈の中で、私は普段の仕事をしています。しかし、この世代のことをしみじみと考えることがあり、たとえば茂木健一郎の次の文章などに出会うと、しばらく立ち止まってしまいます。
全世界に学生運動の嵐が吹き荒れた頃、ジョーン・バエズが歌った『フォーチュン』のようなフォークソングは、明らかに個別化の原理(確固たる私の立ち位置からものを見る見方ー引用者注)を超えた世界を志向していた。床に寝転がる酔っぱらいも、空爆の下でおびえて暮らす人たちも、「個別化の原理」を通して「この私」から絶対的に隔絶されてしまっているのではなく、私はひょっとしたら彼だったかもしれなくて、彼が、私になっていたかもしれないのである。そのような可能性を許容し、その示唆するところについて考えることこそを、世界がどうなっているのか追究する原理問題としても、いかに生きるべきかを考える倫理問題としても大切に育んだ点に、あの頃の時代精神の矜恃はあったのである。(『欲望する脳』集英社新書 51頁)
茂木健一郎は1962年の生まれなので、「あの頃の時代」には、私より幾分希釈されたかたちで接しているとは思います。それでも、「あの頃の時代精神」と言われると、確かにそのようなものが存在したように感じるのも不思議です。
当時の流行り言葉である「自己否定」は、他者に向けられると容易に暴力に結びつきます。リンチのことを称して「総括」などと言ったりしたのは、その成れの果てでしょう。それでも自分自身を搾取する側から引き離し、虐げられたものたちに寄り添おうという心根は「自己否定」の言葉の底に伏流していたはずです。それは「私はひょっとしたら彼だったかもしれない」という思いです。
しかし、自分はどうしたって他者にはなり得ないのですから、そこを苛立って自己も他者も否定してしまえば、破綻するのは当たり前だと思います。当時の学生運動をそのように簡単に「総括」してしまっては、身も蓋もないのでしょうが。
「床に転がる酔っ払い」や「空爆の下でおびえる人々」は、一方的に感情移入すべき対象としてそこに置かれているのではなく、彼らのほうから「私だったかもしれない」と私に働きかける、そういうものとして現れており、われわれも彼らに促されて自らの立場を決していた、そう茂木は語ります。
そのようなものであれば、それは孟子の言う「惻隠の心」とも呼ばれるものです。そして、当時の若者が仮にそのような心情を共有していたのなら、たしかに矜持を持つに足る時代精神は、存在したのだと思います。
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