遥か彼方へ

行きかう年は旅人なり
いずれの年よりか、片雲の風に誘われ漂泊の思いやまず
我、前だけを見据え最期まで走らむ

大石静と『光る君へ』

2024年02月02日 | 評論

躍動せよ!平安の女たち男たち! 創造と想像の翼をはためかせた女性 紫式部 ~ 副題がイイネ。

 

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▲ 「大石静ちゃんが、出ているよ」と

家内が婦人公論の2月号を持ってきてボクに見せた。

 

▲ 紫式部の時代に没入して 夫の死を噛みしめるのは、大河ドラマを書き上げてから

と題した2ページ半にわたるエッセー。大石静は大河ドラマ『光る君へ』の脚本家だ。

 

全部を紹介する気はないが、(ボクにとって)興味深いところだけ。

 

・放送はまだ始まったばかりだが、この脚本の仕事にとりかかって既に2年半たった。

・全部で50話だが、いま29話目を書き上げたところ。

・紫式部で分かっていることは、①父は漢学にたけたインテリ ②母は早く亡くなっている ➂貧しいながら文化的レベルの高い家庭で育ち、できの悪い弟がいた ④父の赴任で越前に行き、⑤京に戻って結婚するが3年で夫と死別 ⑥『源氏物語』を書くにあたっては、藤原道長のバックアップがあったと思われる

・わかっているのはそれだけなので、脚本家としてあとは自由に想像を膨らませることができるため、この仕事を引き受けた。

つまり、ほとんど大石静の想像作品になるだろう。

 

三郎(道長)とまひろ(紫式部)

 

肝心の道長との関係についても、「知り合いではなかった」という明確な記録がない以上、知り合っていた可能性もある・・という程度とおっしゃっている(笑)。

・大石にとって、『源氏物語』が宮廷ロマンス以上の魅力は「時の政権批判や文学論、下級貴族の娘として苦労するなかで培われた人生哲学が物語の端々に盛り込まれていること」だそうで。ふ~ん。

・「平安時代に関する思い込み」を変えられたらと思う。道長の「この世をば我が世とぞ思ふ望月のかけたることもなしと思へば」は藤原氏の独裁政治を表すものとして誤って解釈されている。史料を読むと、道長をはじめ官僚はよく働き、知的に政(まつりごと)を行い、天変地異の際には庶民のため救い小屋を建てたりもしている。天皇家に権力が集中することへの抑止力として藤原氏が台頭したわけで、いいバランスだった。平安の貴族社会は腐敗のイメージを抱きがちだが、平安貴族は流血の穢れを嫌って、死刑は刑罰としてあっても流罪を選んで、もめごとは話し合いで解決した。

・私たちが、集団で殺し合いをする武士に清廉なものを感じることがあるのは、明治政府が富国強兵を実現させるため、皆兵制、戦う体制に疑問を持たせまいとした教育の名残りでしょう。

 

このエッセーは女性向けの雑誌だけに、大石静にとって2年前に他界した夫が自分に果たした役割と感謝を綴るのがメインなのだが、今回は割愛させてもらう。(笑) 関心のある方は婦人公論を読んでくれたまえ。

 

 

▲ 大石静は、ボクとまったくの同い年。彼女の脚本のTVドラマは、時代潮流をうまく組み入れていてずっと注目していた。それよりもなによりも、家内の知人の奥さん夫婦が、大石静が売り出す前から昵懇(じっこん)の関係で、奥さんから家内は「シズカちゃんが、シズカちゃんが」と大石静の話しを良く聞かされていた。その知人のご主人が数年前に亡くなった時には、大石静はウチの近所での葬儀に参列。家内も葬儀に出たが、黒ずくめの参列者の中に、ひとりオーラを放っている女性がいて、家内はあれは大石静だと一目でわかったとか。家内は並んで参列。葬儀が終わって、自己紹介のあと、タクシーで駅に向かおうとする大石静ちゃんに、自分のクルマに乗せて送っていったとか。ホント。

 

大石静ちゃんは、ご自分の名刺の裏にケータイの番号を書き込み、「渋谷に来たらまたお会いしましょう」と言ってくれたとか。

 

 

大石静ちゃん、『光る君へ』の脚本をがんばって書き上げてください。「君が輝いていることが一番。家のことなんてしなくていい」とおっしゃっていた故ご主人に、早くご報告できるといいですね。

想像力いっぱいの物語展開を楽しみにしています。特に越前での話し。紫式部が1年ほど福井越前に住んでいたとは知りませんでした。そこでの展開もこれから出てくるということですから。(福井は私の出身地なので)