遥か彼方へ

行きかう年は旅人なり
いずれの年よりか、片雲の風に誘われ漂泊の思いやまず
我、前だけを見据え最期まで走らむ

天高く舞い上がる秋

2022年10月27日 | 日々の思い

10月27日(木)

 

みちのく旅から戻って、久しぶりのウオーキング。

 

▲ いつもの小学校の校庭

向こうに子供たちが集合していて、

うむ、そのさらに向こうには・・

 

 

▲ オオッ、白い富士山。

富士山そのものが見えるのは、もう何か月ぶりだろうか。

夏場はもとより、暖かいと晴れていても、雲霞でその姿は見えない。

 

 

▲ お茶畑の向こうにも

寒くなってくると、晴天だと霞がなくなって見えてくる、白い富士山。

 

 

新しい花も

 

 

 

▲ 名は知らねど、時期・形状からしてこれら菊系の花だろう。

 

~・~・~

昨日は

▲ 予定通り、キャンピングカーをキャンピングカーランドへ持ち込んだ。

サブバッテリーのリチウム化、走行充電力アップのためだ。

来週に仕上がるとのこと。

この後は、室内電気が充実、キャンカーライフも大きく快適化するはずだ。

 

~・~・~

ゴーッツ !!

戦闘機が飛んできた。

▲ 天高く戦闘機の飛ぶ秋 (笑)

 

 

▲ ズームアップすれば、二人の操縦士が。

スマホなんぞは見てないようだ。分かるからね。

頼むよ。

 

自分の環境も変わっていく。それに合わせて、めげることなく進んでいかねば。

天高く舞い上がる秋。

あの空に誓うのだ。 (カッコいいねえ)

 

 

 

 


三陸海岸旅~道の駅さんさん南三陸から 自宅まで

2022年10月25日 | 一般旅

10月18日(火)

2泊した道の駅高田松原を出発。

三陸海岸を南下し気仙沼市を経て、次に寄ったのは

▲ 道の駅大谷海岸

 

 

▲ 大型車駐車場に停める

手前の陽には雲が掛かると、遥か向こうの水平線がキラキラ光る。

 

 

 

▲ 道路を挟んでではあるが、海にダイレクトに接する道の駅。

海抜ゼロメートルの駐車場だが、そんなこと、キラキラ海が見えれば全く問題でない。

道の駅のメニューも充実していたし、次回の旅ではここで車中泊しよう。

 

さらに海岸線を南下。

そしてやってきたよ。

南三陸町。2011年11月と2019年5月の三度目の訪問。

 

▲ が~ん とこの建物。

今月10月1日にオープンした道の駅さんさん南三陸。これはあの隈研吾設計による 震災伝承施設「南三陸311メモリアル」。いつもの「地元野菜直販所」」がない、個人的には何とも立ち位置が分かりにくい「道の駅」。3年前には全く無かった。

 

それはともかく、今も有るのは隣接する

▲ 南三陸さんさん商店街 だ。

この絵は商店街の入り口と駐車場。

 

 

▲ さんさん商店街

2017年3月より平屋建ての店が集まって、ここで営業が始まった。

 

先ずはお腹が空いた。ランチだ。

▲ 弁慶鮨

列が無いし、ここがいい。

 

一人なのでカウンターへ。

▲ 注文したのは 「さんこめし」2500円(込)

はらこ あなご たこ 三種の出汁をいれたごはんに、その3種の具を乗せたから「さんこ」だとおねーさんが教えてくれた。

 

 

▲ うん、みんな入っている。

こういう、ごちゃごちゃ入ったご飯が好きだ。

 

昼食後の腹ごなしというわけではないが、これを見てこなくていけない。

 

▲ 川に掛った中橋を渡る。

この橋もクマケンの設計によるとか。

震災復興祈念公園へ。

 

 

▲ まずは、この遺構。

2011.3.11 以来、ずっとこの姿で残っている。

錆止めで赤く綺麗に塗り直されているが。

 

 

▲ 南三陸町の「防災対策庁舎」跡だ。

わざわざこんな対策庁舎を造っていたくらいだから、津波防災意識は十分にあったのだが・・

 

対策庁舎の裏手には、今回ボクは初めて見る施設ができ上がっていた。

 

▲ その中心は、この小高く盛った丘。

「希望の丘」

3年前には、ブルドーザーが動き回っているだけだった。

さあ、登ってみよう。

 

 

▲ 希望の丘から、防災庁舎、川をはさんでの道の駅&さんさん商店街を望む。

 

 

 

そして、希望の丘の頂上には

▲ 犠牲になった方々の名簿を納める「名簿安置の碑」

この曲線スロープは津波を表しているのだろうか。

 

 

 

いま、蒼き海に祈る

愛するあなた

 安らかなれと 

 

 

これ以上はない鎮魂の詞だ。

 

 

▲ 母と子

 

 

 

海の方向に歩いて行こう。

▲ 震災復興祈念公園の全景 を右手に見て

川に沿って海の方向へ。

 

 

▲ 川が海へ流れ込む。

 

あの大津波後の8ヶ月経って、ボクが南三陸に来た11年前の時は。

ガレキだけの平地を1時間ほど歩いて、あの向こうに見える海岸へ出ると

 

▲ 海岸では防波堤が壊れていて

今となっては、いかにもちゃちな防波堤には

「汚すまい この海 この浜 この港」

と書いてあった。海を守ろうとする心情があっても自然の脅威はべつもの、何とも物哀しい気になったのを覚えている。

 

 

さんさん商店街に戻る。商店街の片隅にはこの像。

▲ モアイ像

これは2013年5月に、イースター島の石を作って彫られたモアイ像がチリから志津川町を励ますために寄贈されたもの。

1960年のチリ地震津波で、志津川町だけで41名が犠牲に、多くの家屋が流出・倒壊した。それを機にチリとの交流が始まった。モアイ像は霊力を持っていると考えられ、「モアイ」とは「未来に生きる」ということだそうだ。

 

 

10月19日(水)

 

▲ 同じく道の駅さんさん南三陸 での朝。

朝の散歩。

 

▲ 南三陸311メモリアル から覗くと

Harmonyが見える。 (笑)

 

▲ 「すてきな建物ありがとう」の のぼりも。

ボクが見てブログに載せた隈研吾設計の建物は、これで3件目になるな。

 

スノーピーク白馬店

 

所沢・角川武蔵野ミュージアム

極めてアートな形状の建物で、住むわけにはいかない。パリコレの服を着て歩けないのと同じだ。

 

一つだけ文句を言いたいのは、当地の震災情報を提供し広く共有しようという「南三陸311メモリアル」が入場有料(大人1000円)ということ。道の駅高田松原にも伝承館「TSUNAMIメモリアル」があったが無料だった。ボクは当然、311メモリアルには入場しなかった。立派にし過ぎて建築費用が高くなり過ぎて有料にて償却が必要ということかと勘繰ってしまう。

 

きょうのお昼は、再度さんさん商店街で

▲ 志津川丼 2500円(込)

タコはこのあたりの特産だからこの丼にも入っている。

 

さあ、最後にもういちどさんさん商店街を見て。311メモリアルの2階テラスから(無料)。

▲ またな。

 

復興特別所得税なるものを我々は払っていることをご存じか。各自が毎年払う所得税総額の2.1%を「復興特別所得税」として加算して払うのだ。東日本大震災では(阪神他とは違って)復興費用を全額国費負担の方針を決めたからだ(除く原発関連)。2013年から始まって2037年までの25年間、国民みんなして払うのだ。多分、ボクが死んだあとも皆さん払うのだ(笑)。毎年総額4,000億円集まる。この税金は聖域化されていて消費税のようには、誰も減らせとか、どう使ったのかとは言いださない 。復興予算総額は約38兆円。少なくともボクは、時々復興状況をチェックしに行こうと思う(笑)。

余談だが、コロナ対策の国費用は57兆円。しかしこれの財源は?? 突然の疫病だから財源無し。国債だよ。コロナは終わった?いやいや。 これからも続くとすれば、コロナ防疫特別所得税(法人&個人)なるものができてもおかしくない。その方がある意味健全かも。

 

さあ、ご託はそれまで。いよいよ進路は帰宅へ。

 

▲ 途中で、旅最後のお風呂に寄る。

道の駅上品の郷に併設されている「ふたごの湯」だ。前も寄ったような?

 

このあと東北道に乗って、那須高原SAまで走ってそこで車中泊。

翌日SAでブログ書いて、午後4時半に無事帰宅した。

 

10月5日~10月20日 2週間のみちのく旅 総走行距離:1543km

 

 

全行程:

 


三陸海岸旅~ 道の駅さんりく ⇒ 道の駅高田松原へ

2022年10月23日 | 一般旅

 

早朝の 高田松原津波復興祈念公園 を望む

 

~・~・~・~・~・~・~

 

10月16日(日)

 

▲ 昨夜から車中泊した道の駅・さんりく (大船渡)

ここは海産物がウリの中心のようだ。

 

 

▲大型水槽にはいろいろあるが、やはり活ホタテ だな。

 

 

▲ 「活ホタテ 特大ねっ」

へい、何枚?

あの、1枚なんですけど。

 

よし、これで道の駅・さんりく を出発!

 

▲ ど根性ポプラ広場に寄る

後ろの防波堤の先が海。先の大津波の時は、この木の高さ(約25m)の半分が海水に浸かり、10数回に及ぶ甚大な破壊力の押し波、引き波にも耐えて悠然と立っている一本のポプラの姿は、茫然自失になっていた住民に奮い立つ勇気を与えた。誰からともなく「ど根性ポプラ」と呼ぶようになった。と説明看板に書いてある。

 

▲ ど根性ポプラ君(樹齢約80年)、オレにも力を少しくれや。

 

 

さらに海岸を南へ進んで

▲ 碁石海岸へ

三陸海岸に特徴的なリアス海岸の先端だ。2019年5月以来の2度目の訪問に。

 

 

▲ デッキを伝って碁石岬の先端へ。

 

 

▲ デッキの右側には、手前の雷岩とその右横の峡谷状の乱曝谷

乱曝谷を通過する波が雷岩の右サイドに打ち付けて、ド~ンと低い重低音が鳴り響くのだ。

変わらず、鳴っていた。

 

デッキの左側には

▲ 向こうには、これもリアス式の先端の綾里崎が見える。

海はどこまでも群青で、穏やかな海。

 

 

▲ 碁石海岸の駐車場に戻って

昼食にしよう。前回はここのレストランに入って食べたが

今回は、朝に買った

 

 

▲ コレがある!

始めはパクパク開いたり閉じたりしていた帆立貝。

貝柱は包丁で切って炙り続けると

 

▲ 帆立が怒ったのかどうか知らんけど、ぷあーっと貝の口を開いたよ。

 

 

▲ 上の貝殻を外して、身を反対にして裏も炙って

このあと醤油を少し垂らして、食べた。うむ、珍味、美味い。

 

これだけじゃ満腹にならないので

▲ 即席チキンラーメンを煮て

ちびっと残したホタテを乗せて、ホタテチキンラーメン。

それでも足りないので、メロンパンをラーメンスープと一緒にかじった。うむ、満足。

(このヒト貧しいねえと笑っているでしょうアナタ)

 

碁石海岸から30分ほどで陸前高田市に入って、ここへ。

▲ 道の駅・高田松原&高田松原津波復興祈念公園へ

この道の駅も祈念公園も3年前にはまだなかった。

 

駐車場にクルマを停めて

▲ 左側が津波伝承館で右側が道の駅施設

二つの施設をつなぐ中央の入り口が、冒頭の写真。追悼の広場に出る。

 

 

▲ 追悼の広場

向こうの左右に広がる防波堤へ向かって、真っ直ぐに進む。

 

 

 

▲ 防波堤の前の川を越える橋を渡って進む。

 

 

 

▲ 「海を望む場」に出た。

 

 

 

▲ 花束

 

 

▲ 防波堤の下に下りると

 

 

▲ 両脇に、松が再び植林されている。ここは津波前には有名な松林が広がっていた。

 

 

▲ 家族がずっと海を眺めていた。

 

 

▲ 目の前は広田湾の海

 

 

次はアレを見に行こう。

▲ コレ、奇跡の一本松だ。

防波堤の前の川に沿って、少し歩けばすぐだ。

 

 

▲ 奇跡の一本松陸前高田ユースホステル

三年前も、もちろん保存されていた。

 

 

▲ 約7万本の松のなかで唯一生き残り、保存されている一本松。

 

 

▲ 陸前高田ユースホステル跡

高田松原の中に建っていた宿泊施設。奇跡の一本松はこの建物のおかげで津波の直撃を逃れたといわれている。

前回はこんな目の前で見れるようには整備されていなかった。

手前の黄色い花は、花粉症の原因と誤って汚名を着た外来のセイタカアワダチソウ。ここにも繁茂していた。

 

 

▲ 夕暮れ近く

 

 

 

▲ ここの駐車場は広い。

今晩はここで車中泊の予定だが、海抜4m。ここの施設を除けば、あたり四方にはずっと住居・店舗的建築物は見当たらない。ただ野原。

 

▲ 「揺れを感じたらすぐに避難してください」か

1.5km先の気仙小学校へ。歩いては・・間に合わないだろうな。クルマで行くしかないな。

 

 

▲ 夕食は、さきほど道の駅で買った「さんまメンチ」がメイン。

 

寝る前に外をみたら、もう誰も停(泊)まっていなかった。色々な思い、考えで避けるのだろう。

ボクの場合、無頓着過ぎないか (笑)。

 

 

10月17日(月)

 

▲ 早朝

誰もいない「追悼の広場」。

まもなく清掃の方が一人来られた(冒頭の写真)。

手前の水たまりみたいな四方形には、常に薄く水が張られている。上の四方形は吹き抜けではない透明ガラスが張られている。下は津波を、上は空を象徴しているのだと思う。目立たないようにTSUNAMIメモリアルを具象化。

シンメトリック(左右対称)で、極めてピトレスク(絵画的)いいねえ。

 

今日は、ブログ作成日でして、朝からその作業に専念。

昼食時には、道の駅へ入って

 

 

▲ 海鮮丼を (いくらだったか忘れた)

蕎麦にモズクが入っているのがユニークかな。

 

3時頃に温泉へ行こうと近くを検索。

 

▲ 玉の湯

温泉旅館なのだが、ずいぶん内陸の山の中へスマホ誘導された。

「ご予約で?」

「いや、お風呂だけで」

 

▲ 誰もいなかったので。

こんな遠くまで来たのだからと、珍しくゆっくり入っていた。

 

ほんとは、このお風呂のあとそのまま次の道の駅へ移動走行するつもりだった。しかし6時ごろ到着になってしまう。暗くなっての走行は危ないので、再び道の駅・高田松原に戻った。

奇跡の一本松のおそばでの、二連泊となった。

 


進路は三陸海岸へ

2022年10月20日 | 一般旅

 

たまたま出逢ったSLとめがね橋

 

~・~・~・~・~・~

10月14日(金)

 

▲ キャンカーのドアを開けたら、赤トンボが停まっていた。逃げようともしない。

暖かい陽を浴びて、ここがいいのだろう。 それか、もう移る力が無いのか。

 

ああ しあわせのとんぼよ どこへ おまえはどこへ飛んでいく

ああ しあわせのとんぼが ほら 舌を出して 笑ってらあ

 

しあわせのとんぼであってくれよ。 ボクもそうありたいし・・ やっぱり笑われるな。

今日は昨夕からのこの道の駅・紫波(しわ)にいよう。岩手山登山のブログを書いてしまわなくては。

 

▲ 夕食は、きのう盛岡のイオンで買ったこの海鮮鍋で。

キムチ汁を掛けるのだが、掛けて煮たら汚くみえるようになったので、それは割愛で(笑)。

 

 

10月15日(土)

朝、次の道の駅を調べたら、「観光名所『めがね橋』のたもとに位置する道の駅」と載っていた。じゃ「めがね橋」とやらをみましょうか。と、道の駅みやもり へ。

 

▲ うむ、これが「めがね橋」か。

べつに・・(笑)

しかし、カメラ愛好家がパラパラ集まってきて。

 

▲ 初めにカンカンと信号が鳴って、まもなく電車が走ってきた。

パチパチパチとカメラ愛好家。

なんだ鉄ちゃん(鉄道愛好家)か。

ぼかあ鉄ちゃんじゃないし、興味もないし。

すると、バイクツーリングのにいちゃんが、「SLは何時に通るかご存じですか」とボクに聞いてくる。一応ボクもコンデジを首からぶら下げいるし。知らねえよとは言わずに、「えっ、SLが通るの?!」

 

▲ しかし、なんか鉄ちゃんが続々集まってきて。

道の駅の食品売り場で、食品の買い足しをして、レジに行ったら

「まもなく、来ますよ!」とおばちゃんに、せかされた。

そうか。ここはSLが全てのとこだ。

 

ボクも待つ。

▲ また、カンカンと信号が鳴ったら、ポーっと汽笛一斉

SLが ほんとに来たよ。

 

 

▲ ドッドッドッ と

もうみんな、パシャパシャで。

 

余談だが、右の最前列には三人のおばちゃん達が座っているだろう。

この方たち、最初はもっとめがね橋近くで、めがね橋を見上げる形で待機していたのだ。したら、鉄ちゃんのオジサンに注意されて。多分、みんなの撮影の邪魔になるからと言われて(動作で分かった)、それでもオバサン動こうとせず。そりゃ移動の自由は憲法で保証されている。でも、少し離れて座る形で落ち着いた。

 

▲ ドッドッドッ

SLは樹林の中へ入っていった。おばちゃん達もじっと見ている。

 

 

▲ そして黒い煙りだけ残してSLは消えていった。

カメラ愛好家たちは、すぐさま写り内容をチェックする人、そそくさと立ち去る人。

おばちゃん達は、まだ座って、SLの余韻を楽しんでいるようだった。

 

ボクも報道使命があるので連写に忙しかったのだが、そのため実眼でSLをじっくり見ることはできなかった(笑)。実眼でSLを心に焼き付けるのと、写真に残すのと、どっちがいいのだろうか。

 

▲ めがね橋の説明看板があった。

めがね橋自体は戦前・昭和18年からあった。昭和63年8月からの「ロマン銀河鉄道」の運行に合わせて、橋もライトアップ開始してから一躍注目されたようだ。ま、賢治の「銀河鉄道の夜」を想起させるもんな。それならボクも見たいな。

 

▲ 道の駅もふさわしい食事処にして

銀河亭でめがねばしらーめんだ。

 

 

▲ めがね橋ラーメン 850円

ピり辛みそ味で旨かったよ。

他にもメニューはある。

 

 

▲ 道の駅みやもり(宮守)でした。

 

 

▲ 一応、めがね橋とのツーショットも。

 

 

岩手の東方にさらに進んで

▲ 道の駅・遠野風の丘

ボクが柳田國男の「遠野物語」を読んで遠野を訪れたのは・・ じゃなくて朝ドラ「どんど晴れ」を見て、「座敷わらし」やら「河童池」に興味を持って同じくミーハー的な家内と遠野を周ったのは15年前。その時道の駅は無かった。

 

▲ 食事処とか土産物店もあか抜けていて良さげ。

行く前に、ボクはもちろん柳田先生の「遠野物語」を読んで、姥捨ての地にも思いを馳せたものだ。

で、このあと、JR遠野駅、市内をクルマで周ったが、なんか裏さびれた感じだけで寂しかった。

こういうのは想像力イマジネーションが必要だ。

 

さらに東へ進んで、

▲ 「ようこそ!! 鉄と魚とラグビーの街 釜石へ」

鉄~釜石鉄工所か、教科書にも載っていたが、あとは知らん。

 

 

▲ 道すがらの、山の中にあった立ち寄り湯

もう、よく覚えていない。

 

そして

▲ 道の駅・さんりく(三陸)

いよいよ海岸線に出てきた。

きょうはここでお泊りだ。

 

 

 


小岩井農場へ~栄養を付けなくては

2022年10月19日 | 日々の思い

10月13日(木)

 

ずいぶん前に家内と来たことのある小岩井農場へ。

 

~・~・~・~

 

▲ 岩手山・馬返し登山口の駐車場での朝

きょうも早朝からパラパラと登山者のクルマが集まった。

天気は昨日とよく似た薄曇り。

朝食をとったあと、まずはメガネ修理へ。

 

 

▲ 盛岡市内のパリミキ店へ。

パリミキは割高かもしれないが、全国に支店を持っている。都度、修理は無料でやってくれる。

今までも旅先でメガネのネジが緩んだ、レンズが外れた、シャフトが曲がったetc で何度も駆けこんでいる。今回も、飛び込みで、丁寧に直してくれた。ありがとうございました。

次は、お風呂だ。

 

▲ これも盛岡市内の立ち寄り湯で、昼前に風呂に入った。

イオンにも寄って、食材調達。食材といったって、お惣菜を買うだけだが。イオンが一番充実していると思う。

そして、30分ほど走って

▲ 岩手山麓の小岩井農場まきば園へ。

中に入るには800円要るが、栄養を付けたかったので入園。

先月末の人間ドックのフル結果が自宅郵送されているはずなので、今日の朝、家内に写メLINEしてもらった。

初めて受けた骨密度検査の結果を知りたかったのだ。膝を打ったし。

ガ~ン・・ 標準の下限を下回っていてD判定。

おそらく心臓バイパス手術のあと、15年間4種の薬を毎日飲み続けていることが影響しているんじゃないかなあ。しょうがないんだけど。

幸い、スキーも(30年)山登り(20年)もずっとやってきているが、一度も骨折、捻挫はやったことがない。しかし、この数値では、やったら折れて寝た切りだな。

 

で、まずは肉だ。

▲ 時間はもう2時を回っていて、誰も客のいないBQガーデンへ。

 

 

▲ 左:オーストラリア産(なんで豪なんだよ)ラム肉1300円、右:小岩井牛カルビ1200円 とご飯300円を所望。

野菜等も注文すればよかったのだが、ラストオーダーが2時半までで考えてる余裕がなかったので(笑)。

 

▲ さあ、バーベキューというか、焼肉開始!

 

 

▲ 炭火焼。やきまるクンとは違うぞ。

食べているうちに、ラムも牛カルビも味の違いが分からなくなった。値段はどちらも同じようなもんだから、まいっか。

旨かった。

これで、骨密度も少しは上がるかな。

 

焼肉の次は、

▲ ここで定番の

 

 

▲ コレだよね。ジジになっても。

今日は独り占めできる。

 

そして、農場を散策。

▲ 以前は乗ったバスが今も周っている。

その後ろに、岩手山。雲が掛っているが頂上・外輪山は晴れのようだ。

 

▲ じゃあね、また・・はあるかな。

入園者は、小学生・中学生が大半だった。

 

つぎに向かったのは、まきば園のすぐ近くで小岩井農場敷地内の

▲ ここ。一本桜が見えるところ。

むかし、朝ドラの「どんと晴れ」だったかな、あのドラマでよく映しだされた一本桜。

 

▲ 何回か見に来ているのだが、桜が咲いている時期には来たことはない。

あの後ろに、岩手山が広がる絶景のビューポイントだが、雲が横にたなびいて全く見えない。

しかも、ここに来た理由は、この駐車場で絶景を楽しみながら車中泊をしようという魂胆だったが。

3時にはロープを掛けて閉めるということで、担当者からまもなく追い出された。

 

で、難民は盛岡より少し南下した道の駅

 

▲ 道の駅紫波(しわ) へ流れてきた。

今晩はここで車中泊。

おばんです。