たまたま出逢ったSLとめがね橋
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10月14日(金)
▲ キャンカーのドアを開けたら、赤トンボが停まっていた。逃げようともしない。
暖かい陽を浴びて、ここがいいのだろう。 それか、もう移る力が無いのか。
ああ しあわせのとんぼよ どこへ おまえはどこへ飛んでいく
ああ しあわせのとんぼが ほら 舌を出して 笑ってらあ
しあわせのとんぼであってくれよ。 ボクもそうありたいし・・ やっぱり笑われるな。
今日は昨夕からのこの道の駅・紫波(しわ)にいよう。岩手山登山のブログを書いてしまわなくては。
▲ 夕食は、きのう盛岡のイオンで買ったこの海鮮鍋で。
キムチ汁を掛けるのだが、掛けて煮たら汚くみえるようになったので、それは割愛で(笑)。
10月15日(土)
朝、次の道の駅を調べたら、「観光名所『めがね橋』のたもとに位置する道の駅」と載っていた。じゃ「めがね橋」とやらをみましょうか。と、道の駅みやもり へ。
▲ うむ、これが「めがね橋」か。
べつに・・(笑)
しかし、カメラ愛好家がパラパラ集まってきて。
▲ 初めにカンカンと信号が鳴って、まもなく電車が走ってきた。
パチパチパチとカメラ愛好家。
なんだ鉄ちゃん(鉄道愛好家)か。
ぼかあ鉄ちゃんじゃないし、興味もないし。
すると、バイクツーリングのにいちゃんが、「SLは何時に通るかご存じですか」とボクに聞いてくる。一応ボクもコンデジを首からぶら下げいるし。知らねえよとは言わずに、「えっ、SLが通るの?!」
▲ しかし、なんか鉄ちゃんが続々集まってきて。
道の駅の食品売り場で、食品の買い足しをして、レジに行ったら
「まもなく、来ますよ!」とおばちゃんに、せかされた。
そうか。ここはSLが全てのとこだ。
ボクも待つ。
▲ また、カンカンと信号が鳴ったら、ポーっと汽笛一斉
SLが ほんとに来たよ。
▲ ドッドッドッ と
もうみんな、パシャパシャで。
余談だが、右の最前列には三人のおばちゃん達が座っているだろう。
この方たち、最初はもっとめがね橋近くで、めがね橋を見上げる形で待機していたのだ。したら、鉄ちゃんのオジサンに注意されて。多分、みんなの撮影の邪魔になるからと言われて(動作で分かった)、それでもオバサン動こうとせず。そりゃ移動の自由は憲法で保証されている。でも、少し離れて座る形で落ち着いた。
▲ ドッドッドッ
SLは樹林の中へ入っていった。おばちゃん達もじっと見ている。
▲ そして黒い煙りだけ残してSLは消えていった。
カメラ愛好家たちは、すぐさま写り内容をチェックする人、そそくさと立ち去る人。
おばちゃん達は、まだ座って、SLの余韻を楽しんでいるようだった。
ボクも報道使命があるので連写に忙しかったのだが、そのため実眼でSLをじっくり見ることはできなかった(笑)。実眼でSLを心に焼き付けるのと、写真に残すのと、どっちがいいのだろうか。
▲ めがね橋の説明看板があった。
めがね橋自体は戦前・昭和18年からあった。昭和63年8月からの「ロマン銀河鉄道」の運行に合わせて、橋もライトアップ開始してから一躍注目されたようだ。ま、賢治の「銀河鉄道の夜」を想起させるもんな。それならボクも見たいな。
▲ 道の駅もふさわしい食事処にして
銀河亭でめがねばしらーめんだ。
▲ めがね橋ラーメン 850円
ピり辛みそ味で旨かったよ。
他にもメニューはある。
▲ 道の駅みやもり(宮守)でした。
▲ 一応、めがね橋とのツーショットも。
岩手の東方にさらに進んで
▲ 道の駅・遠野風の丘
ボクが柳田國男の「遠野物語」を読んで遠野を訪れたのは・・ じゃなくて朝ドラ「どんど晴れ」を見て、「座敷わらし」やら「河童池」に興味を持って同じくミーハー的な家内と遠野を周ったのは15年前。その時道の駅は無かった。
▲ 食事処とか土産物店もあか抜けていて良さげ。
行く前に、ボクはもちろん柳田先生の「遠野物語」を読んで、姥捨ての地にも思いを馳せたものだ。
で、このあと、JR遠野駅、市内をクルマで周ったが、なんか裏さびれた感じだけで寂しかった。
こういうのは想像力イマジネーションが必要だ。
さらに東へ進んで、
▲ 「ようこそ!! 鉄と魚とラグビーの街 釜石へ」
鉄~釜石鉄工所か、教科書にも載っていたが、あとは知らん。
▲ 道すがらの、山の中にあった立ち寄り湯
もう、よく覚えていない。
そして
▲ 道の駅・さんりく(三陸)
いよいよ海岸線に出てきた。
きょうはここでお泊りだ。