感性のままに。

平凡な主婦の独り言です。

妄想に終わりました。。。。

2009-07-08 20:55:14 | 日記
朝からマイケルの追悼式をテレビで見て、号泣せずにいられませんでした。

仕事に行くのに泣き顔が治らず、参りました。

私はこれでマイケルの記事を書くのは3回目です。
それ程、マイケルファンなの?と思うでしょ?

でもね、今まではそんなではなかったんです。
勿論、好きなアーティストでしたが。

だから、彼の曲はCDを買って聞くこともなく、知っているのは大ヒットした曲だけ。

それが、彼の死を知ってから、ネットで色んな曲を聞きました。

聞こうと思ったのは、死の二日前のリハーサルで歌っていた「They Don't Care About Us」を全部聞きたかったから。

この曲も凄かったです。
PVがまたいいんです!
必死で歌詞の和訳を探しましたが、とてもメッセージ性のある内容で。

そのことがキッカケで、色々聞きました。幼い頃のまで。

その中で一番好きになったのが、「Heal the world」です。
これは、マイケルの追悼式の最後に全員で歌った曲です。

「We are the world」もそうですが、マイケルは人種差別や戦争・飢餓・環境破壊のない地球の平和をとても望んでいたんですね。
これを歌っているときのマイケルの顔は、とてもいい顔です。

彼の曲はとてもそう言うメッセージを歌ったものが多いのに、今まであまり気づきませんでした。

彼の整形や奇行などばかりが取りざたされ、音楽家としての素晴らしさや歌詞の内容などが隠されていたように思えます。

こうして、マイケルの素晴らしさを彼の死で知るなんて、皮肉ですね。

彼がどんな生活を送っていようと、彼の音楽が素晴らしいことに変わりはないのに。

そして、彼のダンスや派手なパフォーマンスに目が行きがちですが、バラードなどのスローな曲のよさも改めて知りました。

ダンスも超一流、声もよく歌唱力もあって、作曲の才能も凄いなんて、これぞスーパースター!

あまりに多才過ぎて命を使い果たしてしまったのでしょうか?


ところで、追悼式に運び込まれたマイケルの棺は、とうとう最後までそのままで、マイケルが復活して歌うことはなかったんですが・・・・・・。
それでもなお、いえいえそれだからこそ、私はマイケルが死んだと信じられないでいるんです。

あの棺の中は空っぽなんじゃないかって。

どこかでマイケルは生きているんじゃないかな・・・?

だって、今日のテレビでCNNで放送された「マイケルの亡霊」を見たんですが、ハッキリと人の影が映っているんですよ。
「亡霊」だって噂らしいですが、ほんとのマイケルじゃない?
その影はほんとにマイケルの姿に似てました。

どちらにしても、もうマイケルは世間に現れることはないでしょう。

今こそ、彼のように世界平和を望む人が必要なのに。


最後に、マイケルの曲ではないですが、とっても素敵な曲を見つけました。
マイケルの一番好きだったチャップリンのモダンタイムズのテーマ「スマイル」です。
追悼式ではマイケルのお兄さんが歌いました。
これを聞いていたら、あまりによくて涙が溢れました。
とっても綺麗なマイケルの声が、チャップリンの映像によくあっていてたまりません。
マイケルの優しさや悲しさが歌に表れているようで。

ここです → 「スマイル」




魅惑の仏像~その5

2009-07-05 20:25:02 | 趣味
法隆寺の百済観音を紹介します。

この仏像は、飛鳥時代の作品で、フランスのルーブル美術館に日本の仏像を代表して展示されたこともある、日本を代表する美しい仏像であると言えます。

210.9cmの長身でお顔が小さい八頭身、横から見ると緩やかなS字型を描いた優美なお姿です。

お顔も穏やかな微笑みを浮かべ、決して厳しい表情ではありません。

まず、その長身に驚きます。

正面から見ると、まるでこちらを見下ろして微笑んでいらっしゃるような気持ちになります。

そして、横にまわると、その優しく優美で緩やかな曲線のお姿に「美しい」と感じずにはいられません。

この仏像は正式名称を「木造観音菩薩立像」と言うだけあって、頭には冠をかぶっています。

出来上がった当初はさぞかし煌びやかな冠であったろうと想像できます。

この作者は不明ですが、この頃の日本においては大変珍しかったであろう、現代のモデル並みのスタイルですから、モデルが気になりますねえ。

作者も不明ですが、伝来も定かでなく、いつ法隆寺に安置されたのか、ナゼ「百済観音」と呼ばれるようになったのか、謎の多い観音様です。

それでも、長い間その優しい微笑みとお姿は変わりなく、そのお姿を見て涙を流す人が多くいるほどの存在感。

自分の作品がこんなにも認められていることに、作者はどう思っているのでしょうか?

本当のことを世に知らせたいでしょうか?
それとも、そんなことよりも、一つの仏像として認められていることを本望だと満足しているでしょうか?


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全くの妄想です。

2009-07-03 21:08:11 | 日記
マイケルが亡くなって1週間、彼の映像を見なかった日はなかった。

そして、今日、死ぬ40時間前のマイケルの歌って踊る姿を見た。

マイケルらしい歌声とキレのあるダンス。

以前の全盛期の頃よりも激しいダンスではなかったが、これから2日後に急死する人には見えなかった。

ほんとは、まだ生きてるんじゃないの?

何日か前も考えていた。

もしかして、死んだ振りしてどこかに隠れているんじゃないの?

もうスーパースターであることに嫌気がさして、どこかでひっそり暮らすための大芝居じゃ?
こんな騒ぎになって、彼に関する物が売れに売れ、莫大な収入も入ってくるし。

でも、そんな私の憶測も打ち消されたんだけど。

だって、ネバーランドで葬儀が行われ、遺体をファンに公開するなんてニュースが流れたんだもん。

遺体を公開されたら、もうマイケルの死は現実になってしまうわけで。

ところが、今日になってネバーランドでの葬儀は中止になって、違う大型アリーナで8日に執り行われることになったらしい。

当日は約1万人のファンも参列できるらしく、豪華な棺も用意されたとか。

そこで、また私は考えた。

1万人のファンの前にある豪華な棺の中で眠るマイケル。

厳かに葬儀が始まって、ファンや参列者が悲しみにくれているところに・・・・。

いきなり照明が落とされ、閃光と共に今まで棺に横たわっていたマイケルが、突如立ち上がり棺から飛び降りる。

そして、激しい音楽と共にマイケルがダンス。

ファンは復活したマイケルに絶叫し、歓喜する。

そこからは葬儀会場がマイケルのライブ会場へと変化。

「マイケル復活!」のシナリオである。

全てがこの日のために、仕組まれた嘘だったのだ。

これ以上のサプライズはないだろう。

非現実的な話。

全くの私の妄想。。。。

だって、毎日毎日マイケルの映像を見るにつけ、彼のダンスや曲の素晴らしさがわかって、ほんとに残念でならないんだもん。

死んだなんて、嘘でしょう!?

何で死んじゃったのー!?


あり得ない話だけど、そんな復活のステージが待ってるといいな。。。。






懺悔

2009-07-01 21:00:23 | 日記
ずっと書こうと思っていながら、書けなかったことがある。

昨日の記事で、何人もの人に励ましのコメントをいただいた。
書こうと思っていたことは、昨日の記事にも関係することなので、思い切って書くことにした。


結婚後、次男が生まれて半年で、地元から離れた土地で暮らすことになった。
夫が、会社に言われて再び大学に戻ることになったから。

2歳の長男は比較的成長がオクテで、まだオムツも取れずお喋りも片言、同年代の子供の中に積極的に入って行くことができない大人しい子供だった。

次男は活発だったが、とても神経質で物音がするとすぐに泣いて起きて、私が側にいないとすぐに泣き叫ぶ手のかかる子供だった。

ゆっくり次男を寝かせることが唯一私のホッとできる時間だった。

毎日誰も知らない土地で、二人の手のかかる息子達と一日中一緒で疲れ果てていた。

しかも、夫は研究でいつ帰って来るかわからず、家にいると思えば寝てばかり。
勉強のブランクがある夫には、研究が酷く大変だったのだろう。

夫は会社員でもあったため給料は貰っていたが、最低の賃金しか貰えず、まるで初任給のような金額で一家4人がやって行くには大変だった。
だから、勿論自分に使うお金なんてあるわけがない。

ストレスを解消する買い物なんて持っての他。

丁度世の中はバブル期の真っ只中だったが、私達家族には全くバブルを味わえずに終わってしまった。

お金もなく、疲れ果てて、相談する相手もいなく、私の心はすさんで行った。

ストレスが体中一杯になり、ノイローゼになりそうだった。いや、すでにノイローゼだった。。。

そんな時、どうなるか。

・・・子供達に当たるのだ。

成長の遅い長男、私にくっ付いて離れない次男、何もかもがイラつく原因になった。

さすがに暴力はしなかったが、随分酷い言葉を浴びせたように思う。

子供が泣くと、私も泣き叫びながら怒鳴っていた。
睨みつけたり。

子供には何の罪もないのはわかっていた。

だけど、自分を止めることができなかった。

決して、子供が嫌いなわけじゃない。
それどころか、本当に愛しいと思っていた。

毎日子供のことだけを考えて、ご飯を作り子供の物だけを買って、子供によかれと思って躾をしてきた。

それなのに、自分の思うように子供は育ってくれない。
しかも、たまに会う義母が甘やかし、義母に懐いて離れなかったりすると、何だか子供を取られるようで胸が苦しかった。
そのイライラをまた子供に向けていた。

きっとその頃の私の顔は、般若のようだっただろうな。

今思い出しても、笑っていた自分を思い出せない。
常に眉間に皺を寄せ、怒っている自分しか頭にない。

虐待、一歩手前。
ううん、これも立派な虐待だ。
体に傷は付かなかったかもしれないが、随分心に傷を付けてしまった。

小さい頃優しくしてあげられなかった。
十分甘えさせてあげられなかった。

どんなに辛かっただろう。

何でもっと心に余裕がなかったのか。

悔やまれてならない。

できるなら、あの頃に戻って、子供達をギュッと抱きしめてあげたい。

少し前はそんな気持ちにフタをしていたが、最近凄く私の心を締め付ける。

息子が命を粗末にするようなことや自分を大事にしないようなこと、希望のないようなことを言うと、全てその頃のことが原因じゃないかと思ってしまう。

私が十分愛してあげなかったから、酷い事ばかり言ったから、そんなふうに育ってしまったのではないかって。

私の母がよく言う。
「子供は、母親が思うように育つもんだよ。そうならないのは、思いがまだ足りないからよ。」

だから、息子が私に対して反抗的になると、あの頃のことをグイグイ目の前に突きつけられているようで胸が苦しくなる。

なんと言う酷い母親だったのか!

そして、こんな思いを抱いていることを、誰にも言えなくて、苦しくてたまらない。

ここに書いたからって、私の罪が消えるわけじゃないけれど、誰かに聞いてほしかった。
一度吐き出してしまいたい。

こんなことで私の気持ちが軽くなるわけはないけれど。

もしかしたら、これを読んだ同じような若いお母さんが、何かを感じてくれたら。
少し心に余裕を持って、って伝えられたら。

私のように後で後悔しないように。

そして、息子達への懺悔をここに。。。
酷い母親でゴメンね。


ほんとは、まだこれを公開することを悩んでいるんだけれど・・・・。