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映画と音楽そして旅

主に懐かしい映画や音楽について…
時には新しい映画も…

 (雑記帖 2) 真保裕一 「灰色の北壁」を読む

2005-09-27 00:17:05 | 読書
 以前は暇があればどっぷりと漬かっていた市立図書館だが、ブログを始めてからは古いビデオやDVDを観るのに忙しく、ご無沙汰が多くなった。読書の秋が到来したことでもあり、初心に戻って久しぶりに書棚をのぞいて見た。
 
 「山」というものを全然知らないのに、どういう訳か「山」の小説をたまに読むことがある。それは未知の世界への探究心とか,生か死かという極限状況での生き方など…その根底にあるものは、一般の社会生活で役に立つことが多いと思われるからだ。
 私が始めて読んだ山岳小説は井上靖「氷壁」だと思う。雪の日本アルプス前穂高を舞台にした古典的な作品だ。映画も観たが遭難した仲間の遺体を荼毘に付す場面で、山男たちが歌う「雪山讃歌」が印象に残った。この歌の元歌の「愛しのクレメンタイン」は、ジョン・フオード監督の「荒野の決闘」の主題歌として有名だ。
 Oh my daring oh my daring oh my daring Clementine
の歌詞で御馴染みだが、肝心の映画を観ていないので又の機会にしよう。
 それから新田次郎の「アイガー北壁」山岳ものと言えるかどうかはよく判らないが、
「八甲田山 死の彷徨」など良かったと思う。今回はじめて読んだ真保裕一は、江戸川乱歩賞を受賞した「連鎖」など社会派ミステリー作家のようだが、新刊に山岳小説の短編集があったので、少し興味を持ち読んでみた。

 全く素人じみた馬鹿みたいな疑問だが、確かに自分が前人未踏のヤマを征服したのだ…という証拠をどうして残すのか、単身登山の場合は他人に証明して貰うという事が、困難になるしそのあたり、どうするのか、私は不思議だった。
 表題の「灰色の北壁」は死と隣り合わせで生命をかけて登頂した…と言う事実に対し、捏造とか誤認ではなかったか?と言う疑問を投げかけられた場合、どのようにして真実性を証明するのだろうか?と言う私の疑問に、少しだけ答えてくれたような気がした。
 
 「雪の慰霊碑」は息子を山で失った父親が、息子の婚約者の女性や甥の心配をよそに、何も告げずに息子の足跡を追って山へ入って行く…と言う物語だ。
 最愛の息子を呑みこんだ冬山…人が入ることを頑なに拒む冬山…父親心理と言うものは、危険を冒してでも死の現場を確かめたい…という気持になるのだろうか?娘がお嫁に行く時にも父親はなかなか思い切れない…と言うけれども、そのような気持と共通したものなんだろうか?
 我が家は娘ばかりだったのでそんな冒険は考えられなかったが、娘を手放す時の気持はよく判るし、もし自分がこの小説の父親だったら、どうしただろう…などと考えさされた作品であった。

 「黒部の羆(ひぐま)」は冬山に挑戦した二人のクライマー…友情と協力関係で結ばれているはずの二人だったが…
 人の心の奥底に潜むライバル意識、妬み、憎悪心…これが、もし事故などの最悪の時にどんな風に働くのだろうか?少し恐い山岳ミステリーのように感じられた。                          (しんぽ ゆういち  講談社刊)
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