お城へ行こう!

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長篠城

2014-02-26 19:19:42 | 愛知県
長篠城

2014/2/16

愛知県新城市のお城めぐり

 奥平貞昌が五百の兵で武田軍の猛攻に耐えた長篠の戦いの舞台となった堅城 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 長篠城
よみ: ナガシノ
別称: 末広城・扇城・竹井城
所在地: 愛知県新城市長篠市場
現状: 長篠城址
築城年代: 永正五年(1508)
築城者: 菅沼元成
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸帯郭・野牛郭・巴城郭・弾正郭・家老屋敷跡・大手門跡・物見櫓跡・櫓台跡・堀・土塁・殿井
規模: 標高60m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2011/9/27・2014/2/16


≪ 訪城記 ≫

自宅から長篠城へ向かう。

東名高速豊川ICで降りて国道151号伊那街道を北上、川田交差点信号を左折、次の川田山田平三叉路信号を右折して国道151号新城バイパスを北東に進み、有海交差点信号を直進、豊川を渡り、約600m東進した鳥居強右衛門の磔の絵が描かれた大きな「長篠の戦い」の看板のある三叉路を右折して約100mで長篠城址に着く。長篠城址史跡保存館東側に駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場が巴城郭で西側に長篠城址史跡保存館があり、その南側が本丸への入口で、右側に長篠城址碑がある。左側には見事な堀と天然の土塁があり、土塁の上にも長篠城址碑がある。
土塁西側に広がる扇形の本丸、南側にはJR飯田線の線路が通っている。その南側に野牛郭がある。本丸北側には木製の長篠城本丸の碑があり、その裏側に滝が流れ、天然の堀となっている。
長篠城址史跡保存館を見学、入場料210円。
土塁の東側から線路を渡り、野牛郭に入れる。途中に物見櫓跡と殿井、奥に二段の野牛郭、郭の南西隅に土塁跡らしき土の隆起が少しある。そこから川側へ降りていくと、豊側と宇連川が合流する断崖があり、先端付近に櫓台跡がある。
城跡の北側の住宅が連なる道筋の南側が弾正郭で石垣のある民家の北西角に土塁跡が残る。道の北側の民家に家老屋敷跡がある。
国道151号沿いに東側の長篠城址信号北東側に大通寺があり、寺の右手奥に長篠城の土塁上から移設された城藪稲荷、さらに奥に設楽ヶ原の決戦場へ向かう前に馬場信房、内藤昌豊、山県昌景、土屋昌次の武田四将が別れの水杯を交わした杯井があり、裏山を少し登ったところに説明板があり、この付近の杉林の削平地に四将が陣取った大通寺陣跡がある。
国道151号沿いサークルK西側の北へ入る道付近が大手門跡です。
さらに南側の豊川沿いの畑の中に木のある場所があり、その中に馬場美濃守信房公の首を埋めたと言われる墓と説明板がある。
長篠城を隔てる豊川の対岸には鳥居強右衛門磔の碑と説明板があり、牛渕橋から見る川の合流点に扇状の長篠城全景は美しく、絶景です。


長篠城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

永正五年 (1508) 菅沼満成の子元成が岩小屋城から移り、長篠城を築城、長篠菅沼氏が始まる。当初は今川氏親の麾下であった。
永禄三年 (1563) 桶狭間の合戦で今川義元が織田信長に討たれると、長篠城主菅沼貞景は、今川氏に背き松平元康(のちの徳川家康)に降る。
永禄十二年 (1569) 菅沼貞景が遠江掛川城攻めの先鋒となり討死する。
元亀二年 (1571) 菅沼貞景の子正貞は、荒尾菅沼氏、田峯菅沼氏の勧めで武田氏に鞍替えする。
天正元年 (1573) 徳川家康の長篠城攻めで菅沼正貞が信濃へ脱出する。子の政勝は家康に取り立てられ、元和二年(1616)、徳川御三家紀伊大納言頼宣の家臣となる。
天正元年 (1573) 徳川家康の長篠攻略後、松平家忠、奥平景忠らが長篠城城番に入る。
天正三年 (1575) 武田勝頼の来攻を受け、奥平信昌が城兵五百とともに籠城し、長篠城攻防戦を鳥居強右衛門らの活躍によって乗り切ることによって、設楽ヶ原の一大決戦で織田・徳川連合軍の勝利に貢献する。
天正三年 (1575) 長篠の合戦後、奥平信昌が新城城を築き移り、長篠城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


牛渕橋からの長篠城全景


長篠城本丸


長篠城本丸土塁


本丸土塁と堀


本丸と野牛郭の間のJR飯田線


野牛郭


野牛郭の土塁跡


川に突き出た野牛郭櫓台跡


野牛郭物見櫓跡


殿井


長篠城址史跡保存館


土塁上の城藪稲荷跡


土塁上の長篠城址碑


本丸入口の長篠城址碑


堀と土塁


長篠城址入口の帯郭


駐車場となっている巴城郭


長篠城入り口の鳥居強右衛門の目印看板


弾正郭


家老屋敷跡


弾正郭北西角の土塁跡


大手門跡


本丸対岸の鳥居強右衛門磔死の碑


鳥居強右衛門磔死の碑と説明板付近


大通寺に移設された城藪稲荷


杯井


大通寺裏山の大通寺陣跡


馬場美濃守信房公の墓


現地長篠城縄張概図(リンク付サムネイル)


現地長篠の戦い史跡めぐりコース(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR飯田線長篠城駅から徒歩約10分。
<車>
東名高速豊川ICで降りて国道151号伊那街道を北上、川田交差点信号を左折、次の川田山田平三叉路信号を右折して国道151号新城バイパスを北東に進み、有海交差点信号を直進、豊川を渡り、約600m東進した鳥居強右衛門の磔の絵が描かれた大きな「長篠の戦い」の看板のある三叉路を右折して約100mで長篠城址に着く。長篠城址史跡保存館東側に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

長篠城


鳥居強右衛門磔死の碑


大通寺陣跡


馬場信濃守信房公の墓


紹介したお城の数 185城


愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版



日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社


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