お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

小松城

2014-07-01 05:37:52 | 石川県
 小松城

2014/5/24

石川県小松市のお城めぐり

 加賀藩三代目藩主前田利常の隠居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 小松城
よみ: コマツ
別称: 芦城・浮城
所在地: 石川県小松市丸内町本丸
現状: 県立小松高校・芦城公園・小松市役所・住宅街
築城年代: 天正年間(1573-92)初期
築城者: 若林長門守
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・天守台石垣
規模:
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2012/8/19・2014/5/24


≪ 訪城記 ≫

松任城から小松城に向かう。

松任駅駐車場を出て駅前交差点信号を右折、JR北陸本線沿いの県道291号を西進、成町付近で道が大きく左に曲がり南下、宮丸三叉路信号で斜め右折して国道8号金沢バイパスに合流、南西に進み、手取川に架かる手取川大橋を渡り南下、大長野西交差点信号を斜め右折して国道365号を南西に進み、梯川を渡り、園町交差点信号を右折、国道360号を西進、JR北陸本線高架下をくぐり、京町交差点信号を右折、県道101号を北上、京町北交差点信号を左折して約150m西進した突き当りに小松市役所があり、手前の駐車場に車を駐車する。

小松市役所前の道を北上すると左側に小松中央緑地、右側に芦城公園があり、この付近が三の丸跡です。
道を約250m北上した突き当りに県立小松高校があり、この付近が二の丸跡で、高校前の突き当りを左折して約100mの住宅街を右折して約150m北上した突き当りに小松高校のグラウンドがある。この付近が本丸跡で、グラウンド沿いに西へ約100m行ったグラウンドの西端に小松城天守台の石垣が残っている。
現在、天守台は立入禁止で登ることができません。


≪ 歴 史 ≫

天正四年 (1576) 一向一揆の部将若林長門守が城主であった。
天正七年 (1579) 柴田勝家軍の攻撃によって落城する。織田信長は村上次郎右衛門頼勝を小松城主とする。
慶長三年 (1598) 村上頼勝が越後本庄に移封後、羽柴秀吉の命で松任城主丹羽五郎左衛門長重が小松城に入る。
慶長五年八月 (1600) 徳川方の金沢城主前田利長と豊臣方の小松城主丹羽長重が関ヶ原の前哨戦を戦った浅井畷の戦いで、丹羽長重が敗れ、小松城は前田氏の所領となり、以後、加賀藩は前田源峰長種、前田内記直知、前田対馬直正、前田孝貞を城代として相次いで在城している。
寛永十六年 (1639) 加賀藩主第三代前田利常が長子光高に跡を譲り、小松城を隠居城とする。利常の入居が決まって二の丸、三の丸が増設される。
万治元年 (1658) 前田利常が死去すると、横山左衛門忠次、前田三左衛門直之を城代として置く。
延宝七年九月 (1679) 二名一組の小松城番を新設する。
明治四年 (1871) 小松城の廃城が決まる。


≪ 写 真 ≫


小松城天守台石垣


グラウンド側からの天守台


芦城公園の前田利常公像

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線小松駅からバスで市役所前下車、徒歩約15分。
<車>
北陸道小松ICを降りて小松インター前信号を右折、県道25号を南下、悌川に架かる城南橋を渡り、城南町西交差点信号を左折、国道360号を東進、京町交差点信号を左折、県道101号を北上、京町北交差点信号を左折して約150m西進した突き当りに小松市役所があり、手前の駐車場を利用すると良い。天守台跡まで徒歩約600m。


≪ 位置図 ≫

小松城


紹介したお城の数 236城



日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック)
中山良昭
廣済堂出版




日本の城 (山川Mook 1)
中井 均
山川出版社

松任城

2014-06-30 05:31:17 | 石川県
 松任城

2014/5/24

石川県白山市のお城めぐり

 加賀一向一揆「松任組」の本拠地

≪ お城の概要 ≫

城名: 松任城
よみ: マツトウ
別称: 鏑木城
所在地: 石川県白山市古城町2
現状: 松任城址公園
築城年代: 長享年間(1487-89)
築城者: 鏑木右衛門大夫常専
形式: 平城
遺構: 櫓台跡
規模:
文化財:
訪城日: 2012/8/19・2014/5/24


≪ 訪城記 ≫

金沢城から松任城へ向かう。

石川県兼六有料駐車場を出て金沢市兼六交差点信号を左折、金沢城前の県道10号を南下、広坂交差点信号を右折、金沢市役所前を通り、突き当りの香林坊三叉路信号を左折、犀川大橋を渡り、国道157号を南下、有松交差点信号を右折して西進、横川交差点信号を斜め左折して南西に進み、野々市信号付近で道が右に曲がり西進、三日市交差点信号で金沢バイパス高架下をくぐり直進、県道291号を西進、松任駅前の信号を右折して、松任駅の東側、松任ふるさと館前の駅駐車場に車を駐車する。

松任駅前の信号を渡った南西側角に松任城址公園があり、入口に説明板がある。
公園の南西隅の盛り上がったところが隅櫓跡で、南東側の橋の手前に松任城本丸跡碑と松任城略年表が架かれた立派な石板が建てられいる。


≪ 歴 史 ≫

長享年間 (1487-89) 鏑木右衛門大夫常専が松任に築城して、加賀一向一揆の政治軍事組織「松任組」の根拠地となる。
天正五年 (1577) 常専の子右衛門尉頼信の時、上杉謙信に攻められ落城したようです。その後、若林長門守が松任城に拠っている。
天正八年 (1580) 柴田勝家軍に若林長門守が謀殺され、城は落ち、落城後は勝家の家臣徳山五兵衛則秀が在城する。
天正十一年 (1583) 前田利長が豊臣秀吉から松任の地を与えられ、越前府中から移る。
天正十三年 (1585) 前田利長が越中犬山城に移り、松任城は豊臣秀吉の直轄地となり寺西治兵衛秀則が代官として在城する。天正十五年(1587)、丹羽五郎左衛門長重が城主となる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の戦いの功により、再び前田利長に松任が与えられ、赤座備後守吉家が城代として在城する。
慶長十九年 (1614) このころ廃城になったようです。


≪ 写 真 ≫


松任城本丸跡碑


橋付近


松任城址公園


櫓台跡

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線松任駅から徒歩すぐ。
<車>
北陸道白山ICを降りて白山インター口信号を右折、県道8号を南下、JR北陸本線高架下をくぐり、五歩市南交差点信号を右折、県道291号を西進、松任駅前の信号を右折して、松任駅の東側、松任ふるさと館前の駅駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

松任城(松任城址公園)


紹介したお城の数 235城



Canon デジタル一眼レフカメラ EOS 60D ダブルズームキット EF-S18-55mm/EF-S55-250mm付属 EOS60D-WKIT
クリエーター情報なし
キヤノン




Nikon デジタル一眼レフカメラ D5300 ダブルズームキット ブラック 2400万画素 3.2型液晶 D5300WZBK
クリエーター情報なし
ニコン

金沢城

2014-06-29 13:14:29 | 石川県
 金沢城

2014/5/24

石川県金沢市のお城めぐり

 加賀百万石前田家の居城

 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 金沢城
よみ: カナザワ
別称: 尾山城・金沢御坊・尾山御坊・御山御坊・金沢御堂
所在地: 石川県金沢市丸の内1-1
現状: 金沢城公園
築城年代: 天文十五年(1546)
築城者: 一向宗徒
形式: 平山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・東の丸・鶴の丸・薪の丸・玉泉院丸・新丸・藤右衛門丸・現存石川門・大手門(尾坂門)・黒門跡・河北門・菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓・現存三十間長屋・辰巳櫓跡・丑寅櫓跡・戌亥櫓跡・鯉喉櫓台・百堀跡・いもり堀・大手堀・内堀・石垣
規模: 675m×663m、標高59.5m、比高約40m
文化財: 重要文化財(石川門・三十間長屋)・国指定史跡
訪城日: 2011/10/7・2014/5/24


≪ 訪城記 ≫

自宅を出て金沢城へ向かう。

北陸道金沢西ICを降りて側道の国道8号金沢バイパスを北東に進み、松島北交差点信号を右折、北陸道高架下をくぐり、県道25号を進み、農業会館前付近で大きく左に曲がり東進、坂を登った野町広小路交差点信号を左折、犀川に架かる犀川大橋を渡り、国道157号を北上、香林坊三叉路信号を右折、県道10号を東進、金沢市役所前を通り、金沢21世紀美術館前の広坂信号を斜め左折、左側が金沢城公園、右側が兼六園、そのまま進み金沢市兼六交差点信号を右折した道の左側に石川県兼六有料駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場を出て土産物さん前を通って兼六交差点を左に曲がり、坂を登って石川橋を渡って石川門を入る。石川橋の下は県道10号で深い百堀跡です。現存の石川門は桝形虎口になっていて、土塀の石落しもカッコいいです。門をくぐって入ると広い三の丸で、右奥に河北門、中央奥に菱櫓、五十間長屋、整備中の橋爪門続櫓があります。そばまで行って内堀越しに眺めながら石川門までぐるっとまわり、石川門の石川櫓内部見学をしました。見学料は無料です。鶴の丸を通って二の丸まで行き、菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓を見学、ここは入場料310円です。
二の丸から戌亥櫓石垣下を通って鶴丸倉庫前から本丸へ入りました。石垣の虎口を入ったら東の丸で、北東隅に丑寅櫓跡、南東隅に辰巳櫓跡、中央付近の庭園跡付近が本丸跡です。北西隅が戌亥櫓跡で、西の鉄門跡を出た広場に現存三十間長屋があります。ここは内部見学無料です。三十間長屋の南端から階段を降りていくと薪の丸で、この付近の石垣も見ごたえがあり、石垣下に公園が整備中で、ここが玉泉院丸跡です。極楽橋の下の堀切石垣もいいです。一周して二の丸に帰り、三の丸へ戻り、河北門から広い新丸へ出て大手門(尾坂門)跡を通って大手堀沿いに左回りで一周して石垣を堪能しました。南側の本丸下の高石垣は素晴らしい、特に辰巳櫓下の段石垣は見ごたえがあります。この前には鯉喉櫓台といもり堀、本丸東面の百堀沿いの高石垣もすばらしいです。
石垣めぐりの案内板があるので参考に巡ってみてください。
とても広くて、石垣の種類の多さにびっくりします。


金沢城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

天文十五年 (1546) 加賀一向一揆の本拠として金沢御坊が創設される。
天正八年 (1580) 柴田勝家軍の猛攻撃で孤立化し、勝家の甥佐久間盛政に占領され、尾山城と称して土塁、堀の造成を行う。
天正十一年 (1583) 羽柴秀吉との賤ヶ岳の合戦で柴田勝家軍は敗れ、佐久間盛政も捕えられ、六条河原で処刑された。尾山城も開城し、北陸制圧に功のあった前田利家に与えられ、入城する。以後、加賀百万石前田家の居城となり利長、利常、光高、綱紀、吉徳、宗辰、重煕、重靖、重教、治脩、斉広、斉泰、慶寧と続き明治維新を迎える。三代利常のころに金沢城と改称する。五代目綱紀のときに大名庭園「兼六園」が造営される。
慶長七年 (1602) 落雷によって天守、本丸を焼失する。
元和六年 (1620) 火災より本丸御殿を焼失する。翌年、再建。
平成十三年 (2001) 菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓を復元する。


≪ 写 真 ≫


金沢城石川門石川櫓


石川門枡形門


河北門二の門


河北門一の門


河北門ニラミ櫓


菱櫓と五十間長屋


内堀と二の丸北面石垣


五十間長屋


橋爪門続櫓


内堀石垣


石川門


三の丸


河北門


二の丸


本丸北面石垣


鶴丸倉庫


丑寅櫓跡


辰巳櫓跡


辰巳櫓跡からの鯉喉櫓台


本丸跡


戌亥櫓跡


鉄門石垣


三十間長屋


薪の丸東側石垣


極楽橋と堀切の石垣


東の丸北面石垣


大手堀石垣


本丸南面の高石垣


百堀からの石川門


現地金沢城石垣めぐり(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸線金沢駅からバスで約15分、兼六園下バス停下車、徒歩約5分。
<車>
北陸道金沢西ICを降りて側道の国道8号金沢バイパスを北東に進み、松島北交差点信号を右折、北陸道高架下をくぐり、県道25号を進み、農業会館前付近で大きく左に曲がり東進、坂を登った野町広小路交差点信号を左折、犀川に架かる犀川大橋を渡り、国道157号を北上、香林坊三叉路信号を右折、県道10号を東進、金沢市役所前を通り、金沢21世紀美術館前の広坂信号を斜め左折、左側が金沢城公園、右側が兼六園、そのまま進み金沢市兼六交差点信号を右折した道の左側に石川県兼六有料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

金沢城(金沢城公園)


紹介したお城の数 234城



日本100名城公式ガイドブック (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社




レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版
來本 雅之
山川出版社