小松城
2014/5/24
石川県小松市のお城めぐり
加賀藩三代目藩主前田利常の隠居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 小松城
よみ: コマツ
別称: 芦城・浮城
所在地: 石川県小松市丸内町本丸
現状: 県立小松高校・芦城公園・小松市役所・住宅街
築城年代: 天正年間(1573-92)初期
築城者: 若林長門守
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・天守台石垣
規模:
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2012/8/19・2014/5/24
≪ 訪城記 ≫
松任城から小松城に向かう。
松任駅駐車場を出て駅前交差点信号を右折、JR北陸本線沿いの県道291号を西進、成町付近で道が大きく左に曲がり南下、宮丸三叉路信号で斜め右折して国道8号金沢バイパスに合流、南西に進み、手取川に架かる手取川大橋を渡り南下、大長野西交差点信号を斜め右折して国道365号を南西に進み、梯川を渡り、園町交差点信号を右折、国道360号を西進、JR北陸本線高架下をくぐり、京町交差点信号を右折、県道101号を北上、京町北交差点信号を左折して約150m西進した突き当りに小松市役所があり、手前の駐車場に車を駐車する。
小松市役所前の道を北上すると左側に小松中央緑地、右側に芦城公園があり、この付近が三の丸跡です。
道を約250m北上した突き当りに県立小松高校があり、この付近が二の丸跡で、高校前の突き当りを左折して約100mの住宅街を右折して約150m北上した突き当りに小松高校のグラウンドがある。この付近が本丸跡で、グラウンド沿いに西へ約100m行ったグラウンドの西端に小松城天守台の石垣が残っている。
現在、天守台は立入禁止で登ることができません。
≪ 歴 史 ≫
天正四年 (1576) 一向一揆の部将若林長門守が城主であった。
天正七年 (1579) 柴田勝家軍の攻撃によって落城する。織田信長は村上次郎右衛門頼勝を小松城主とする。
慶長三年 (1598) 村上頼勝が越後本庄に移封後、羽柴秀吉の命で松任城主丹羽五郎左衛門長重が小松城に入る。
慶長五年八月 (1600) 徳川方の金沢城主前田利長と豊臣方の小松城主丹羽長重が関ヶ原の前哨戦を戦った浅井畷の戦いで、丹羽長重が敗れ、小松城は前田氏の所領となり、以後、加賀藩は前田源峰長種、前田内記直知、前田対馬直正、前田孝貞を城代として相次いで在城している。
寛永十六年 (1639) 加賀藩主第三代前田利常が長子光高に跡を譲り、小松城を隠居城とする。利常の入居が決まって二の丸、三の丸が増設される。
万治元年 (1658) 前田利常が死去すると、横山左衛門忠次、前田三左衛門直之を城代として置く。
延宝七年九月 (1679) 二名一組の小松城番を新設する。
明治四年 (1871) 小松城の廃城が決まる。
≪ 写 真 ≫
小松城天守台石垣
グラウンド側からの天守台
芦城公園の前田利常公像
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR北陸本線小松駅からバスで市役所前下車、徒歩約15分。
<車>
北陸道小松ICを降りて小松インター前信号を右折、県道25号を南下、悌川に架かる城南橋を渡り、城南町西交差点信号を左折、国道360号を東進、京町交差点信号を左折、県道101号を北上、京町北交差点信号を左折して約150m西進した突き当りに小松市役所があり、手前の駐車場を利用すると良い。天守台跡まで徒歩約600m。
≪ 位置図 ≫
小松城
紹介したお城の数 236城
2014/5/24
石川県小松市のお城めぐり
加賀藩三代目藩主前田利常の隠居城
≪ お城の概要 ≫
城名: 小松城
よみ: コマツ
別称: 芦城・浮城
所在地: 石川県小松市丸内町本丸
現状: 県立小松高校・芦城公園・小松市役所・住宅街
築城年代: 天正年間(1573-92)初期
築城者: 若林長門守
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・天守台石垣
規模:
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2012/8/19・2014/5/24
≪ 訪城記 ≫
松任城から小松城に向かう。
松任駅駐車場を出て駅前交差点信号を右折、JR北陸本線沿いの県道291号を西進、成町付近で道が大きく左に曲がり南下、宮丸三叉路信号で斜め右折して国道8号金沢バイパスに合流、南西に進み、手取川に架かる手取川大橋を渡り南下、大長野西交差点信号を斜め右折して国道365号を南西に進み、梯川を渡り、園町交差点信号を右折、国道360号を西進、JR北陸本線高架下をくぐり、京町交差点信号を右折、県道101号を北上、京町北交差点信号を左折して約150m西進した突き当りに小松市役所があり、手前の駐車場に車を駐車する。
小松市役所前の道を北上すると左側に小松中央緑地、右側に芦城公園があり、この付近が三の丸跡です。
道を約250m北上した突き当りに県立小松高校があり、この付近が二の丸跡で、高校前の突き当りを左折して約100mの住宅街を右折して約150m北上した突き当りに小松高校のグラウンドがある。この付近が本丸跡で、グラウンド沿いに西へ約100m行ったグラウンドの西端に小松城天守台の石垣が残っている。
現在、天守台は立入禁止で登ることができません。
≪ 歴 史 ≫
天正四年 (1576) 一向一揆の部将若林長門守が城主であった。
天正七年 (1579) 柴田勝家軍の攻撃によって落城する。織田信長は村上次郎右衛門頼勝を小松城主とする。
慶長三年 (1598) 村上頼勝が越後本庄に移封後、羽柴秀吉の命で松任城主丹羽五郎左衛門長重が小松城に入る。
慶長五年八月 (1600) 徳川方の金沢城主前田利長と豊臣方の小松城主丹羽長重が関ヶ原の前哨戦を戦った浅井畷の戦いで、丹羽長重が敗れ、小松城は前田氏の所領となり、以後、加賀藩は前田源峰長種、前田内記直知、前田対馬直正、前田孝貞を城代として相次いで在城している。
寛永十六年 (1639) 加賀藩主第三代前田利常が長子光高に跡を譲り、小松城を隠居城とする。利常の入居が決まって二の丸、三の丸が増設される。
万治元年 (1658) 前田利常が死去すると、横山左衛門忠次、前田三左衛門直之を城代として置く。
延宝七年九月 (1679) 二名一組の小松城番を新設する。
明治四年 (1871) 小松城の廃城が決まる。
≪ 写 真 ≫
小松城天守台石垣
グラウンド側からの天守台
芦城公園の前田利常公像
≪ アクセス ≫
<公共交通機関>
JR北陸本線小松駅からバスで市役所前下車、徒歩約15分。
<車>
北陸道小松ICを降りて小松インター前信号を右折、県道25号を南下、悌川に架かる城南橋を渡り、城南町西交差点信号を左折、国道360号を東進、京町交差点信号を左折、県道101号を北上、京町北交差点信号を左折して約150m西進した突き当りに小松市役所があり、手前の駐車場を利用すると良い。天守台跡まで徒歩約600m。
≪ 位置図 ≫
小松城
紹介したお城の数 236城
日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック) | |
中山良昭 | |
廣済堂出版 |
日本の城 (山川Mook 1) | |
中井 均 | |
山川出版社 |