お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

医王寺城

2014-02-28 19:03:58 | 愛知県
 医王寺城

2014/2/16

愛知県新城市のお城めぐり

 長篠城攻めの武田勝頼が本陣を置いた陣城

≪ お城の概要 ≫

城名: 医王寺城
よみ: イオウジ
別称: 武田勝頼本陣
所在地: 愛知県新城市長篠碁石
現状: 医王寺・山
築城年代: 天正三年(1575)
築城者: 武田勝頼
形式: 陣城
遺構: 本曲輪・東曲輪・西曲輪・虎口・土橋・堀切
規模: 標高120m、比高30m
文化財: 市指定文化財
訪城日: 2011/9/27・2014/2/16


≪ 訪城記 ≫

鳶ヶ巣砦から医王寺城へ向かう。

鳶ヶ巣砦のある山を下りて牛渕橋を渡り、豊川を迂回して高速道路建設地付近を通って県道443号を進み、有海交差点信号を右折、国道151号を東進、長篠城跡を過ぎ、大通寺角の長篠城址三叉路信号を左折、約400m北西に進んだ茶寮本陣角の三叉路を右折、約250mで医王寺に着く。医王寺前に駐車場があり、ここに車を駐車する。

駐車場に武田勝頼本陣の説明版があり、本堂前に武田勝頼公本陣跡の碑が建てられている。
寺の前の道を東へ歩き、民家の前あたりに医王寺の裏山入口があり、約10分で本曲輪のある小さな削平地に着く。
本曲輪東側に土橋でつながった東曲輪があり、西側に虎口、堀切を隔てた西曲輪がある。
遊歩道伝いに山道を医王寺の南西に歩いていき、長篠荏柄天神社のあるところが真田昌輝・信綱兄弟が陣を置いた天神山陣地がある。


≪ 歴 史 ≫

天正三年 (1575) 武田勝頼が長篠城攻めの際に医王寺の裏山に本陣として陣城を築く。

≪ 写 真 ≫


医王寺にある武田勝頼公本陣跡の碑


本曲輪


本曲輪と東曲輪の間の土橋


東曲輪


西曲輪


本曲輪と西曲輪の間の堀切


医王寺裏山へ登る入口


天神山陣地跡にある長篠荏柄天神社


長篠荏柄天神社入口


現地医王寺武田勝頼陣所図(リンク付サムネイル)


現地説明板案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR飯田線長篠城駅から徒歩約20分。
<車>
東名高速豊川ICで降りて国道151号伊那街道を北上、川田交差点信号を左折、次の川田山田平三叉路信号を右折して国道151号新城バイパスを北東に進み、有海交差点信号を直進、長篠城跡を過ぎ、大通寺角の長篠城址三叉路信号を左折、約400m北西に進んだ茶寮本陣角の三叉路を右折、約250mで医王寺に着く。医王寺前に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

医王寺


医王寺城(武田勝頼本陣跡)


天神山陣地


紹介したお城の数 187城


愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版

鳶ヶ巣砦

2014-02-27 18:49:41 | 愛知県
 鳶ヶ巣砦

2014/2/16

愛知県新城市のお城めぐり

 長篠の戦いで武田方が築いた長篠城を包囲する五つの砦の一つ

≪ お城の概要 ≫

城名: 鳶ヶ巣砦
よみ: トビガス
別称:
所在地: 愛知県新城市乗本鳶ヶ巣
現状: 山
築城年代: 天正三年(1575)
築城者: 武田兵庫頭信実
形式: 陣城
遺構: 削平地
規模:
文化財:
訪城日: 2011/9/27・2014/2/16


≪ 訪城記 ≫

長篠城から鳶ヶ巣砦へ向かう。

長篠城の駐車場を出て北側の国道151号を西進、有海交差点信号を左折、県道443号を南に向かい、すぐに高速道路の建設現場付近で東に曲がりJR飯田線踏切付近の北側で豊川沿いに鳥居強右衛門磔死の碑が建てられている。JR飯田線の踏切を渡り牛渕橋を渡った交差点を山の方に登っていく。この道は車が対抗できないほど狭く急な坂道で、本久集会所付近のグランド手前に鳶ヶ巣砦の説明板が建っている。ここからさらに山道を進み、道がY字の三叉路になっている広い場所の道路脇に車を駐車する。

Y字の三叉路に案内板があり、南側の道を約300m進むと道の北側に説明板と戦没将士の墓が建てられている。この東側には明らかに作られた土塁跡と杉林の中に削平地が見れる。


≪ 歴 史 ≫

天正三年五月二十一日 (1575) 徳川軍酒井忠次が率いる奇襲軍が、武田軍が長篠城監視包囲する鳶ヶ巣砦、君ヶ伏床砦、姥ヶ懐砦、中山砦、久間山砦の五つの砦を襲い、激戦の末、守将武田信実以下の諸将士が討死して落ちた。背後を失って動揺した武田軍本体が設楽ヶ原で織田の鉄砲隊が待ち受ける陣へ突貫を繰り返し、大敗北を喫することになる。

≪ 写 真 ≫


鳶ヶ巣砦


戦没将士の墓


復元土塁


削平地


三叉路の入口


現地鳶ヶ巣砦案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR飯田線鳥居駅から徒歩で約2.5km、約50分。
<車>
東名高速豊川ICで降りて国道151号伊那街道を北上、川田交差点信号を左折、次の川田山田平三叉路信号を右折して国道151号新城バイパスを北東に進み、有海交差点信号を左折、県道443号を南に向かい、すぐに高速道路の建設現場付近で東に曲がりJR飯田線踏切渡り牛渕橋を渡った交差点を山の方に登っていく。この道は車が対抗できないほど狭く急な坂道で、本久集会所付近のグランド手前に鳶ヶ巣砦の説明板が建っている。ここからさらに山道を進み、道がY字の三叉路になっている広い場所の道路脇に車を駐車すると良い。


≪ 位置図 ≫

鳶ヶ巣砦


紹介したお城の数 186城


愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版

長篠城

2014-02-26 19:19:42 | 愛知県
長篠城

2014/2/16

愛知県新城市のお城めぐり

 奥平貞昌が五百の兵で武田軍の猛攻に耐えた長篠の戦いの舞台となった堅城 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 長篠城
よみ: ナガシノ
別称: 末広城・扇城・竹井城
所在地: 愛知県新城市長篠市場
現状: 長篠城址
築城年代: 永正五年(1508)
築城者: 菅沼元成
形式: 平城
遺構: 本丸・二の丸帯郭・野牛郭・巴城郭・弾正郭・家老屋敷跡・大手門跡・物見櫓跡・櫓台跡・堀・土塁・殿井
規模: 標高60m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2011/9/27・2014/2/16


≪ 訪城記 ≫

自宅から長篠城へ向かう。

東名高速豊川ICで降りて国道151号伊那街道を北上、川田交差点信号を左折、次の川田山田平三叉路信号を右折して国道151号新城バイパスを北東に進み、有海交差点信号を直進、豊川を渡り、約600m東進した鳥居強右衛門の磔の絵が描かれた大きな「長篠の戦い」の看板のある三叉路を右折して約100mで長篠城址に着く。長篠城址史跡保存館東側に駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場が巴城郭で西側に長篠城址史跡保存館があり、その南側が本丸への入口で、右側に長篠城址碑がある。左側には見事な堀と天然の土塁があり、土塁の上にも長篠城址碑がある。
土塁西側に広がる扇形の本丸、南側にはJR飯田線の線路が通っている。その南側に野牛郭がある。本丸北側には木製の長篠城本丸の碑があり、その裏側に滝が流れ、天然の堀となっている。
長篠城址史跡保存館を見学、入場料210円。
土塁の東側から線路を渡り、野牛郭に入れる。途中に物見櫓跡と殿井、奥に二段の野牛郭、郭の南西隅に土塁跡らしき土の隆起が少しある。そこから川側へ降りていくと、豊側と宇連川が合流する断崖があり、先端付近に櫓台跡がある。
城跡の北側の住宅が連なる道筋の南側が弾正郭で石垣のある民家の北西角に土塁跡が残る。道の北側の民家に家老屋敷跡がある。
国道151号沿いに東側の長篠城址信号北東側に大通寺があり、寺の右手奥に長篠城の土塁上から移設された城藪稲荷、さらに奥に設楽ヶ原の決戦場へ向かう前に馬場信房、内藤昌豊、山県昌景、土屋昌次の武田四将が別れの水杯を交わした杯井があり、裏山を少し登ったところに説明板があり、この付近の杉林の削平地に四将が陣取った大通寺陣跡がある。
国道151号沿いサークルK西側の北へ入る道付近が大手門跡です。
さらに南側の豊川沿いの畑の中に木のある場所があり、その中に馬場美濃守信房公の首を埋めたと言われる墓と説明板がある。
長篠城を隔てる豊川の対岸には鳥居強右衛門磔の碑と説明板があり、牛渕橋から見る川の合流点に扇状の長篠城全景は美しく、絶景です。


長篠城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

永正五年 (1508) 菅沼満成の子元成が岩小屋城から移り、長篠城を築城、長篠菅沼氏が始まる。当初は今川氏親の麾下であった。
永禄三年 (1563) 桶狭間の合戦で今川義元が織田信長に討たれると、長篠城主菅沼貞景は、今川氏に背き松平元康(のちの徳川家康)に降る。
永禄十二年 (1569) 菅沼貞景が遠江掛川城攻めの先鋒となり討死する。
元亀二年 (1571) 菅沼貞景の子正貞は、荒尾菅沼氏、田峯菅沼氏の勧めで武田氏に鞍替えする。
天正元年 (1573) 徳川家康の長篠城攻めで菅沼正貞が信濃へ脱出する。子の政勝は家康に取り立てられ、元和二年(1616)、徳川御三家紀伊大納言頼宣の家臣となる。
天正元年 (1573) 徳川家康の長篠攻略後、松平家忠、奥平景忠らが長篠城城番に入る。
天正三年 (1575) 武田勝頼の来攻を受け、奥平信昌が城兵五百とともに籠城し、長篠城攻防戦を鳥居強右衛門らの活躍によって乗り切ることによって、設楽ヶ原の一大決戦で織田・徳川連合軍の勝利に貢献する。
天正三年 (1575) 長篠の合戦後、奥平信昌が新城城を築き移り、長篠城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


牛渕橋からの長篠城全景


長篠城本丸


長篠城本丸土塁


本丸土塁と堀


本丸と野牛郭の間のJR飯田線


野牛郭


野牛郭の土塁跡


川に突き出た野牛郭櫓台跡


野牛郭物見櫓跡


殿井


長篠城址史跡保存館


土塁上の城藪稲荷跡


土塁上の長篠城址碑


本丸入口の長篠城址碑


堀と土塁


長篠城址入口の帯郭


駐車場となっている巴城郭


長篠城入り口の鳥居強右衛門の目印看板


弾正郭


家老屋敷跡


弾正郭北西角の土塁跡


大手門跡


本丸対岸の鳥居強右衛門磔死の碑


鳥居強右衛門磔死の碑と説明板付近


大通寺に移設された城藪稲荷


杯井


大通寺裏山の大通寺陣跡


馬場美濃守信房公の墓


現地長篠城縄張概図(リンク付サムネイル)


現地長篠の戦い史跡めぐりコース(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR飯田線長篠城駅から徒歩約10分。
<車>
東名高速豊川ICで降りて国道151号伊那街道を北上、川田交差点信号を左折、次の川田山田平三叉路信号を右折して国道151号新城バイパスを北東に進み、有海交差点信号を直進、豊川を渡り、約600m東進した鳥居強右衛門の磔の絵が描かれた大きな「長篠の戦い」の看板のある三叉路を右折して約100mで長篠城址に着く。長篠城址史跡保存館東側に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

長篠城


鳥居強右衛門磔死の碑


大通寺陣跡


馬場信濃守信房公の墓


紹介したお城の数 185城


愛知の山城ベスト50を歩く
愛知中世城郭研究会,中井 均
サンライズ出版



日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社

船岡山城

2014-02-18 06:19:37 | 京都府
船岡山城

2014/2/1

京都府京都市のお城めぐり

 応仁の乱で西軍の大内政弘らが築いた陣城

≪ お城の概要 ≫

城名: 船岡山城
よみ: フナオカヤマ
別称: 船岡山
所在地: 京都府京都市北区紫野北舟岡町
現状: 船岡山公園・建勲神社
築城年代: 応仁元年(1467)
築城者: 大内氏・山名氏
形式: 山城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2014/2/1


≪ 訪城記 ≫

二条城から船岡山城へ向かう。

二条城の有料駐車場を出て、堀川通を北上、堀川北大路交差点信号を左折、北大路通を西進、今宮門前信号付近の有料駐車場に車を駐車する。

今宮門前信号から南側に見える小高い山が船岡山で、応仁の乱時に西軍の大内政弘らが陣を築いたところです。今宮門前信号から南へ入ると船岡山公園の入口があり、右側へ登ると船岡山公園、左側へ登ると織田信長公を御祭神とする建勲神社がある。
船岡山公園の登り口に応仁永正戦跡の碑と説明板があるのみで遺構はない。


≪ 歴 史 ≫

応仁元年 (1467) 応仁の乱で西軍の大内政弘、山名教之らが船岡山に拠点を築く。
応仁二年九月 (1468) 東軍の細川勝元に攻め落とされる。
永正八年八月 (1511) 細川澄元、細川政賢が船岡山に陣を築いたが、政権を奪い返すために丹波から入京した足利義伊、細川高国、大内義興に攻められた船岡山合戦で落された。


≪ 写 真 ≫


建勲神社


船岡山公園


応仁永正戦跡の碑と説明板


現地船岡山見取図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線・東海道新幹線京都駅から市バスで船岡山下車、徒歩すぐ。
<車>
名神高速京都東ICで降りて直進、府道143号三条通りを西進、蹴上の峠道を通って鴨川前の三条交差点信号を右折、北上して次の川端御池三叉路信号を左折、御池通を西進、京都市役所前を通って堀川御池交差点信号を右折、堀川通を二条城を左側に見て北上、堀川北大路交差点信号を左折、北大路通を西進、今宮門前信号南側に見える小高い山が船岡山城跡の船岡山で付近に有料駐車場有。


≪ 位置図 ≫

船岡山城(船岡山公園)


紹介したお城の数 184城



城めぐりがもっと楽しくなる!お城の地図帳 (タツミムック)
クリエーター情報なし
辰巳出版

聚楽第

2014-02-17 06:53:23 | 京都府
聚楽第

2014/2/1

京都府京都市のお城めぐり

 関白豊臣秀吉の政庁兼邸宅として造営された絢爛豪華な居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 聚楽第
よみ: ジュラクダイ
別称: 内野御構
所在地: 京都府京都市上京区多門町
現状: 住宅街
築城年代: 天正十四年(1586)
築城者: 豊臣秀吉
形式: 平城
遺構:
規模: 標高50m
文化財:
訪城日: 2014/2/1


≪ 訪城記 ≫

二条古城から徒歩で聚楽第へ向かう。

平安女学院北側の下立売通を西進、堀川下立売交差点信号を渡り、堀川通の歩道を北上、堀川中立売交差点信号で左折、中立売通を西進、中立売智恵光院信号を過ぎて、次の交差点南側に正親小学校があり、正門の横の交差点角の聚楽第址碑と聚楽第本丸西濠跡の木製説明板がある。ここから細い道を約450m南下した突き当りに松林寺の門があり、その横に聚楽第南外濠跡の碑がある。


≪ 歴 史 ≫

天正十四年 (1586) 豊臣政権の政庁として大規模な造営を始め、翌十五年正月には城郭工事を終えている。
天正十六年四月 (1588) 後陽成天皇が聚楽第に行幸する。
文禄四年七月 (1595) 聚楽第の城主であった関白豊臣秀次が高野山に幽閉され、自殺させられ、聚楽第も破却された。


≪ 写 真 ≫


正親小学校横の聚楽第址碑


松林寺と聚楽第南外濠跡の碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線・東海道新幹線京都駅から市バスで智恵光院中立売前下車、徒歩すぐ。市営地下鉄東西線二条城前駅から徒歩約40分。
<車>
名神高速京都東ICで降りて直進、府道143号三条通りを西進、蹴上の峠道を通って鴨川前の三条交差点信号を右折、北上して次の川端御池三叉路信号を左折、御池通を西進、京都市役所前を通って堀川御池交差点信号を右折、堀川通を北上して、次の信号を越えた道の左側に二条城があります。東大手門入口前に有料駐車場有。二条城の東側の堀川通を北へ、堀川中立売交差点信号で左折、中立売通を西進、中立売智恵光院信号を過ぎて、次の交差点南側に正親小学校があり、正門の横の交差点角の聚楽第址碑前まで徒歩約40分。付近にも有料駐車場有。


≪ 位置図 ≫

正親小学校横の聚楽第址碑


松林寺


紹介したお城の数 183城



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