お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

中島城

2014-04-26 05:13:51 | 滋賀県
 中島城

2014/4/19

滋賀県長浜市のお城めぐり

 小谷城攻防戦で浅井方の中島宗左衛門が守った陣城

≪ お城の概要 ≫

城名: 中島城
よみ: ナカジマ
別称:
所在地: 滋賀県長浜市小谷丁野町
現状: 山
築城年代: 天正元年(1573)
築城者: 中島宗左衛門
形式: 山城
遺構: 曲輪・土塁・堀切・横堀・虎口
規模:
文化財:
訪城日: 2010/5/1・2014/4/19


≪ 訪城記 ≫

丁野山城を降りて鞍部から東へ登ってすぐ山頂に土塁に囲まれた小さな曲輪があり、ここが小谷城攻防戦時に中島宗左衛門が守備していた中島城跡です。
北と東側の曲輪廻りに横堀に巡らしてある。
さらに東へ降りていくと堀切が見られる。


≪ 歴 史 ≫

天正元年 (1573) 小谷城攻防戦で浅井方の中島宗左衛門が守備をしていたが、丁野山城とともに落城した。

≪ 写 真 ≫


中島城曲輪


曲輪と土塁


北側横堀


東側横堀


中央土塁


曲輪の西側


虎口


東側の堀切


丁野山城、中島城の登城口


現地古城図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線河毛駅から徒歩約1km、約5分。
<車>
北陸道長浜ICを降りて長浜IC口信号を右折、県道37号を西進、イオン長浜角の山階町東信号を右折、県道510号を北上、姉川を渡り、宮部交差点信号を左折、県道273号を西進、消防本部前交差点信号を右折、県道263号を北上、虎御前山を東に見ながら進み山脇交差点信号を左折、県道265号を西進、JR北陸線踏切を渡った北に河毛駅の駐車場がある。ここから徒歩で踏切を東に渡り、泉龍寺前の三叉路を左折、河毛駅東口前を北上、農道を北へ進み北陸道高架下をくぐり、弥勒寺の突き当りを右へ曲がり、約170m東進したところに登城口がある。登城口から約5分で中島城に着く。


≪ 位置図 ≫

中島城


JR北陸本線河毛駅


紹介したお城の数 210城



近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
滋賀県教育委員会
滋賀県文化財保護協会




Nikon デジタル一眼レフカメラ D5200 ダブルズームキット AF-S DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6G VR/ AF-S DX NIKKOR 55-300mm f/4.5-5.6G ED VR ブラック D5200WZBK
クリエーター情報なし
ニコン

丁野山城

2014-04-25 06:01:05 | 滋賀県
 丁野山城

2014/4/19

滋賀県長浜市のお城めぐり

 小谷城攻防戦で朝倉勢の援軍が籠城した陣城

≪ お城の概要 ≫

城名: 丁野山城
よみ: ヨウノヤマ
別称: 岡山砦・岡山城・芝山の古城
所在地: 滋賀県長浜市小谷丁野町
現状: 山
築城年代: 永正十五年(1518)
築城者: 浅井備前守亮政
形式: 山城
遺構: 本丸・土塁・堀切・竪堀・堀跡
規模:
文化財:
訪城日: 2010/5/1・2014/4/19


≪ 訪城記 ≫

虎御前山城から徒歩で丁野山城、中島城へ向かう。

虎御前山城を北へ降り、県道265号を西進、次の交差点信号を右折、県道263号を北上、北陸道高架下をくぐり、約270m北上した農道へ入る三叉路を左折、丁野山城、中島城のある山の裾沿いに約400m西進したところに北側の山に入る登城道があり、入口に古城図の案内板が建っている。

登城道を北へ登ってすぐに鞍部の分かれ道に着く。西へ登ると丁野山城、東へ登ると中島城へ行く。
西の丁野山城へ登ること約10分で山頂の説明板のある本丸に着く。西、北、東側に堀跡、堀の西側に土塁、堀切、竪堀がある。さらに踏付け道を西へ降りていくと竹藪付近に穴の淵に土塁を築いたような跡のある場所に着く。


≪ 歴 史 ≫

永正十五年 (1518) 浅井備前守亮政が築城する。
天正元年 (1573) 小谷城攻防戦に援軍として来援した越前朝倉勢の堀江甚助、久保田勘十郎、玉泉坊等が丁野山城に立て籠もったが八月十三日に落城した。


≪ 写 真 ≫


丁野山城本丸


本丸東側の堀跡


本丸北側の堀跡


本丸西側の堀跡


竪堀


堀切


穴と土塁


竹藪奥の土塁跡


鞍部分かれ道


丁野山城、中島城の登城口


現地古城図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線河毛駅から徒歩約1km、約15分。
<車>
北陸道長浜ICを降りて長浜IC口信号を右折、県道37号を西進、イオン長浜角の山階町東信号を右折、県道510号を北上、姉川を渡り、宮部交差点信号を左折、県道273号を西進、消防本部前交差点信号を右折、県道263号を北上、虎御前山を東に見ながら進み山脇交差点信号を左折、県道265号を西進、JR北陸線踏切を渡った北に河毛駅の駐車場がある。ここから徒歩で踏切を東に渡り、泉龍寺前の三叉路を左折、河毛駅東口前を北上、農道を北へ進み北陸道高架下をくぐり、弥勒寺の突き当りを右へ曲がり、約170m東進したところに登城口がある。登城口から約15分で丁野山城に着く。


≪ 位置図 ≫

丁野山城


JR北陸本線河毛駅


紹介したお城の数 209城



近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
滋賀県教育委員会
滋賀県文化財保護協会




Nikon デジタル一眼レフカメラ D5200 レンズキット AF-S DX NIKKOR 18-55mm f/3.5-5.6G VR付属 ブラック D5200LKBK
クリエーター情報なし
ニコン

虎御前山城

2014-04-24 06:08:07 | 滋賀県
 虎御前山城

2014/4/19

滋賀県長浜市のお城めぐり

 浅井長政の小谷城を攻めるために織田信長が築いた前線基地の陣城

≪ お城の概要 ≫

城名: 虎御前山城
よみ: トラゴゼヤマ
別称: 虎御前山砦
所在地: 滋賀県長浜市中野町・湖北町河毛・湖北町別所
現状: 山・虎御前山公園・矢合神社
築城年代: 元亀三年(1572)
築城者: 織田信長
形式: 山城
遺構: 織田信長陣地跡・木下秀吉陣地跡・堀秀政陣地跡・柴田勝家陣地跡・滝川一益陣地跡・丹羽長秀陣地跡・蜂屋頼隆陣地跡・多賀貞能陣地跡・大曲輪・曲輪・土塁・桝形虎口・馬場・横堀・竪堀・堀切・かざし堀
規模: 標高218.6m、比高110m
文化財:
訪城日: 2010/5/1・2014/4/19


≪ 訪城記 ≫

自宅から虎御前山城へ向かう。

自宅を出て国道8号を北上、姉川に架かる姉川大橋を渡り、酢三叉路信号を右折、県道273号を東進、北陸道手前の宮部交差点信号を左折、県道510号を北上、北陸道高架下をくぐり、宮部信号から約1km北上した農道の交差点を左折、もう一度、北陸道高架下をくぐり、約1.4km西進した虎姫時遊館前を通り、道が大きく右に曲がった田川を越えたところに虎御前山城への登り口があり、手前に駐車場がある。ここに車を駐車する。

登り口には大きな地図付の案内板がある。虎御前山ハイキングコースを進み、藤棚を越えた上に東屋があるところが多賀貞能陣地跡で、丘を降りたところに矢合神社がある。神社右側を登っていくと虎御前山教育キャンプ場入口の木製鳥居があり、越えた左側の丘の上が蜂屋頼隆陣地跡です。ここから道が下りになり水道タンクを利用した見張台があり、進んでいくと丹羽長秀陣地跡のある教育キャンプ場ですが、取り壊し工事中で丹羽長秀陣地跡を見ることが出来ませんでした。ここから緊急自動車用の柵を越えて、さらに登ると尾根沿いの段曲輪の上にNTT電波塔があり、塔の上の古墳群上に滝川一益陣地跡、二つの堀切、尾根沿いの段曲輪、横堀、竪堀を抜けて小高い丘上に堀秀政陣地跡、さらに進み、三段の曲輪、大曲輪、長桝形虎口を抜けると、頂上の織田信長陣地跡に着きます。ここまで約50分です。
織田信長陣地跡を東側の切岸を降り、信長馬場を通り、次の木下秀吉陣地跡に約10分で着きます。陣地の小谷城方向に三角形の大曲輪があり、裾を堀が囲み、北西側にかざし堀、西側には土塁、虎口、堀切、道を西へ進むと前方後円墳上に柴田勝家陣地跡があります。


≪ 歴 史 ≫

元亀三年 (1572) 浅井長政の小谷城攻めの最前線基地として虎御前山に陣城を築き、翌元亀四年(1573)八月二十七日の小谷城落城まで信長の本営として使われました。

≪ 写 真 ≫


虎御前山城織田信長陣地跡


長桝形虎口


大曲輪


段曲輪


堀秀政陣地跡


堀秀政陣地跡前の竪堀


堀秀政陣地跡前の横堀


堀秀政陣地跡前の段曲輪


堀秀政陣地跡前の堀切


織田信長陣地跡東側降口の切岸


信長馬場


木下秀吉陣地跡


木下秀吉陣地跡降口の切岸


木下秀吉陣地跡西側の土塁


三角形の大曲輪


三角形の大曲輪裾


かざし堀


堀切と土塁


前方後円墳上の柴田勝家陣地跡


木下秀吉陣地跡西側の虎口


木下秀吉陣地跡北側裾


織田信長陣地跡南側の曲輪


滝川一益陣地跡


解体工事中のキャンプ場


見張台


蜂屋頼隆陣地跡


矢合神社


多賀貞能陣地跡


虎御前山城登り口


現地虎御前山城案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線虎姫駅から登り口まで徒歩約15分。織田信長陣地跡まで約50分。
<車>
北陸道長浜ICを降りて長浜IC口信号を右折、県道37号を西進、イオン長浜角の山階町東信号を右折、県道510号を北上、姉川を渡り、宮部交差点信号を直進、約1km北上した農道の交差点を左折、北陸道高架下をくぐり、約1.4km西進した虎姫時遊館前を通り、道が大きく右に曲がった田川を越えたところに虎御前山城への登り口があり、手前に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

虎御前山城


虎御前山城登り口


紹介したお城の数 208城



近江の山城ベスト50を歩く
中井 均
サンライズ出版




近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
滋賀県教育委員会
滋賀県文化財保護協会

新善光寺城

2014-04-23 06:04:19 | 福井県
 新善光寺城

2014/4/12

福井県越前市のお城めぐり

 越前国守護斯波高経が築いた居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 新善光寺城
よみ: シンゼンコウジ
別称:
所在地: 福井県越前市京町2丁目
現状: 正覚寺
築城年代: 南北朝期
築城者: 斯波高経
形式: 平城
遺構: 土塁
規模:
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2014/4/12


≪ 訪城記 ≫

府中城から徒歩で新善光寺城に向かう。

府中城の表門が正覚寺に移築されているので、向かった正覚寺で偶然見つけたお城です。
越前市役所前の道を西へ歩き、二つ目の信号で西へ入ると総社大神宮の参道で、鳥居付近を南に行くと正覚寺があり、国道365号側から正門をくぐって入る。
この正門が府中城の移築表門で、門の左隅を見ると、なんと新善光寺城趾碑が建っている。
さらに、墓地のある寺の裏手駐車場の北側に土塁跡があり、土塁上には説明板が建っている。しかも、この説明板の地図には墓地の東側にも土塁跡があると書かれている。行ってみると大きな二本の木と杉の木のある場所が土塁跡で、この北側に福井藩主松平秀康(結城秀康)の四男で福井藩筆頭家老本多富正の養子となった吉松丸の墓所がある。


≪ 歴 史 ≫

南北朝期に越前国守護斯波高経によって新善光寺城が築かれる。
延元元年 (1336) 南朝方の杣山城主瓜生保の軍勢に攻められ落城するが、すぐに奪還する。
延元三年 (1338) 金ヶ崎城の落城で杣山城に逃れていた新田義貞勢と日野川で戦い、高経は敗走して、新善光寺城は新田義貞に奪われる。義貞の戦死後、義貞の弟脇屋義助が美濃へ敗走する。
貞治五年 (1366) 新善光寺城跡に正覚寺が建立される。


≪ 写 真 ≫


新善光寺城北側の土塁跡


東側の土塁跡


正覚寺入口


正覚寺正門(移築府中城表門)


新善光寺城趾碑


正覚寺


吉松丸墓所


現地案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線武生駅から徒歩約800m、約15分。
<車>
北陸道武生ICを降りて庄町信号を左折、葛岡三叉路信号を右折、国道8号を北上、横市交差点信号を左折、県道2号を西進、村国Y字三叉路信号を斜め左折、日野川に架かる万代橋を渡り、JR北陸本線の上を通過、道が左旋回して一周する立体道を通り、約700m西進した道の北側に新善光寺城跡の正覚寺があり、寺の北側に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

新善光寺城(正覚寺)


紹介したお城の数 207城



Nikon デジタル一眼レフカメラ D7000 18-105VR キット D7000LK18-105
クリエーター情報なし
ニコン




レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版
來本 雅之
山川出版社

府中城

2014-04-22 06:00:07 | 福井県
 府中城

2014/4/12

福井県越前市のお城めぐり

 越前支配を任された柴田勝家を補佐した府中三人衆の一人、前田利家の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 府中城
よみ: フチュウ
別称: 府中館
所在地: 福井県越前市府中1丁目
現状: 越前市役所
築城年代: 天正三年(1575)
築城者: 前田利家
形式: 平城
遺構: 移築表門
規模: 約100m×180m
文化財:
訪城日: 2014/4/12


≪ 訪城記 ≫

小丸城から府中城へ向かう。

小丸城南側の道を西進、突き当りの三叉路を右折、北へ向かい次の交差点を右折、道が左に曲がり北上した交差点信号を左折、県道262号を西進、北陸道高架下をくぐり、武生IC入口を通り過ぎ、葛岡三叉路信号を右折、国道8号を北上、横市交差点信号を左折、県道2号を西進、村国Y字三叉路信号を斜め左折、日野川に架かる万代橋を渡り、JR北陸本線の上を通過、道が左旋回して一周する立体道を通り、二つ目の交差点信号を右折、北上した次の交差点信号を渡り、交差点北東側の越前市役所駐車場に車を駐車する。

越前市役所が府中城跡で庁舎入口左側に府中城の碑、右側に結城秀康家臣本多富正公顕彰碑があるのみで遺構はない。
西にある正覚寺正門は府中城の表門を移築したものだそうです。


≪ 歴 史 ≫

天正三年 (1575) 越前の一向一揆を平定した柴田勝家の越前支配を補佐する府中三人衆の一人、前田利家が府中城を築き、居城とする。
天正九年十月 (1581) 前田利家が能登一国の太守として七尾城に転封になる。
慶長六年 (1601) 結城秀康が北庄城に入部し、家臣の本多富正に府中を与え、前田氏の府中城を修築して居館とする。以後、昌長、長員、長教、副紹、副充、副昌、富恭、副元と続き明治維新を迎える。


≪ 写 真 ≫


府中城趾碑


本多富正公顕彰碑


越前市役所


正覚寺正門(移築府中城表門)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸本線武生駅から徒歩約5分。
<車>
北陸道武生ICを降りて庄町信号を左折、葛岡三叉路信号を右折、国道8号を北上、横市交差点信号を左折、県道2号を西進、村国Y字三叉路信号を斜め左折、日野川に架かる万代橋を渡り、JR北陸本線の上を通過、道が左旋回して一周する立体道を通り、二つ目の交差点信号を右折、北上した次の交差点信号を渡り、交差点北東側の越前市役所駐車場に有料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

府中城(越前市役所)


正覚寺


紹介したお城の数 206城



Nikon デジタル一眼レフカメラ D5300 ブラック 2400万画素 3.2型液晶 D5300BK
クリエーター情報なし
ニコン




図説戦国合戦地図集―決定版 (歴史群像シリーズ)
クリエーター情報なし
学研マーケティング