お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

鵜沼城

2014-11-28 05:54:33 | 岐阜県
 鵜沼城

2014/10/18

岐阜県各務原市のお城めぐり

 織田信長に追われた戦国末期の土豪大沢氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 鵜沼城
よみ: ウヌマ
別称: 宇留摩城・志水山霧ヶ城
所在地: 岐阜県各務原市鵜沼南町7丁目
現状: 山
築城年代: 十六世紀中頃
築城者: 大沢氏
形式: 山城
遺構:
規模: 15m×15m、標高90m、比高50m
文化財:
訪城日: 2014/10/18


≪ 訪城記 ≫

犬山城を木曾川の対岸から一周するときに鵜沼城に拠る。

犬山橋の北詰、東側の名鉄犬山線東側の岩山が鵜沼城跡なのですが、北側と西側は人が入れそうなところが無く、断崖絶壁で、北側と東側は木曾川畔のこれまた断崖絶壁です。
周りを見て回りましたが登れそうな場所がありません。


≪ 歴 史 ≫

戦国時代に大沢和泉守正吉により築城されたようである。
永禄年間 (1558-70) 大沢和泉守正吉の孫次郎左衛門正重が木下藤吉郎の計略で織田信長に臣従するが、信長の変心を恐れ、城を捨てて行方をくらましたようです。


≪ 写 真 ≫


鵜沼城

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄犬山線新鵜沼駅から徒歩約5分。
<車>
東名高速小牧ICで降りて国道41号を北上、村中交差点信号を右折、国道155号を東進、小牧原交差点信号を左折、県道102号木曽街道を北上、県道27号木曽街道を北上して犬山市に入り、国道41号高架下をくぐり、さらに北上して木曾川に架かる犬山橋を渡った北詰東側の木曾川に突き出た岩山が鵜沼城跡で名鉄新鵜沼駅付近の有料駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

鵜沼城


紹介したお城の数 306城



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高須城

2014-09-03 05:40:40 | 岐阜県
 高須城

2014/8/18

岐阜県海津市のお城めぐり

 徳川御三家尾張藩の分家、高須藩の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 高須城
よみ: タカス
別称: 高須御館・高洲城
所在地: 岐阜県海津市海津町高須町
現状: 城跡公園・海津明誠高等学校・高須小学校・住宅街
築城年代: 暦応元年(延元三、1338)
築城者: 氏家中務丞重国
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2012/9/2・2014/8/18


≪ 訪城記 ≫

今尾城から高須城へ向かう。

ドラッグユタカの駐車場を出て県道213号を南下、すぐに今尾昭和町1三叉路信号を斜め左折、南東方向へ進み、大江川を渡り、岐阜県農業技術研究所南濃試験所付近で三叉路を斜め左折、馬目交差点信号を直進して南下、もう一度大江川を渡り、海津市役所前を通って高須三叉路信号を斜め左折、約500mで海津市歴史民俗資料館に着く。資料館の駐車場に車を駐車する。

歴史民俗資料館はお城風の建物になっています。資料館入口前に高須城下町回廊案内図があるので参考に散策する。
資料館西側の道を約150m北上した海津図書館付近の三叉路を左折して舗装された田んぼ道を西進、約400mで突き当りのT字路を右折、北上して県道1号を渡り、約400m北上高須別院角のT字路を右折、東へ約50m進んだ川沿いの道を北上、約75mの複合交差点を北上、約70m進んだ三叉路を左折、約200m西進した道の北側に海津明誠高校があり、ここが高須城跡だそうですが何も残っていません。さらに約150m西進すると道の南西角に城跡公園があります。公園から約80m南下した川に架かる赤い橋が主水橋跡で、この川辺がポケットパークになっていて、説明板が建てられています。ここまで徒歩で約40分です。
帰りに高須小学校前を通って南下したら道に沿った民家跡のようなところに石垣跡のある武家屋敷風の空き地がありました。

ちなみに高須藩は尾張徳川家の分家で、小藩ながら尾張徳川家に世継ぎがながったときに相続する家格で、幕末の京都守護職会津藩主松平容保は高須藩出身で高須四兄弟として有名です。


≪ 歴 史 ≫

暦応元年 (延元三、1338) 新田義貞の首級を獲った越中の住人氏家中務丞重国がその恩賞として美濃国石津郡内に地頭職を賜り高須に居館を構えたのが始まりと言われている。その後、孫の盛国が安八郡楽田に転じる。
大永二年 (1522) 大橋源左衛門重一が氏家氏の築いた高須城を改築または再建する。重一の跡を和泉守信重入道禅休、続いて清兵衛重長入道慶仁が継いで高須城主となり、織田家に属する。
天文三年 (1534) 高須玄蕃直幸が高須城主となる。以後、平野右京進長治、恒川久次郎信景、鷲巣大膳大夫光康、秋山伯耆守信純、林市介長正、林宗兵衛正三、稲葉佐渡守正成と城主が入れ替わる。
天正十年 (1582) 織田信長が本能寺の変で斃れてからは、織田信雄に属する。
天正十二年 (1584) 長久手の合戦で羽柴秀吉に敵対したため、稲葉正成は領地を没収され、代わって秀吉麾下の日根野弥十郎信勝が高須城主となり、以後、加藤伝左衛門重次、高木十郎左衛門盛兼と城主が入れ替わる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の合戦で高木盛兼は石田三成の西軍に属したが、東軍の攻撃を受け城を渡して退く。戦後、徳永法印寿昌に高須城が与えられ、翌年、松ノ木城から移り、城を修築する。
寛永五年二月 (1628) 寿昌の跡を継いだ昌重が大坂城改築に際し工事監督が行き届かず、嫡子昌勝との争いを咎められ、除封される。寛永十七年(1640)まで幕府の直轄領となる。
寛永十七年九月 (1640) 小笠原土佐守貞信が下総国関宿から移封される。
元禄四年七月 (1691) 小笠原氏は自ら願い出て越前国勝山城に移され、幕領となる。
元禄十三年三月 (1708) 尾張藩藩主大納言光友の次男松平摂津守義行が高須に封ぜられ高須藩藩主となる。以後、義孝、義惇、義敏、義柄、義裕、勝当、義居、義和、義建、義比、義端、義勇と続き、明治の版籍奉還となる。
明治六年 (1873) 城郭すべてが大蔵省の公売に付される。


≪ 写 真 ≫


海津市歴史民俗資料館


城跡の海津明誠高等学校


城跡公園


ポケットパーク


主水橋


武家屋敷風の空き地石垣跡


現地高須城下町回廊案内図

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
養老線駒野駅から海津市コミュニティバスを乗り継いで歴史民俗資料館バス停下車、城跡公園まで徒歩約40分。
<車>
名神高速大垣ICを降りて国道258号を南下、杭瀬川、牧田川に架かる養老大橋を渡り、瑞穂交差点信号を左折、県道213号を東進、揖斐川に架かる今尾橋を渡り、今尾昭和町1三叉路信号を斜め右折、南東方向へ進み、大江川を渡り、岐阜県農業技術研究所南濃試験所付近で三叉路を斜め左折、馬目交差点信号を直進して南下、もう一度大江川を渡り、海津市役所前を通って高須三叉路信号を斜め左折、約500mで海津市歴史民俗資料館に着く。資料館の駐車場すると良い。ここから城跡公園まで徒歩約40分。


≪ 位置図 ≫

城跡公園付近


海津市歴史民俗資料館


紹介したお城の数 257城



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今尾城

2014-08-27 05:57:01 | 岐阜県
 今尾城

2014/8/18

岐阜県海津市のお城めぐり

 美濃守護代斎藤氏の臣中島氏代々の居城、のちに尾張藩付家老竹腰氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 今尾城
よみ: イマオ
別称:
所在地: 岐阜県海津市平田町今尾
現状: 今尾小学校
築城年代: 文明年間(1469-87)
築城者: 中島三郎大夫重長
形式: 平城
遺構: 移築城門
規模:
文化財:
訪城日: 2014/8/18


≪ 訪城記 ≫

駒野城から今尾城に向かう。

城山小学校を出て交差点を斜め左折、約160m東進、交差点を左折、国道258号を北上、津屋川を渡り北上した瑞穂交差点信号を右折、県道213号を東進、揖斐川に架かる今尾橋を渡り、今尾昭和町付近で道が大きく左に曲がり、今尾昭和町2信号を少し北上した今尾バス停付近のドラックユタカに車を駐車させてもらう。

ここから徒歩で少し南下した今尾昭和町2信号を渡り、約200m西進した今尾歯科医院付近の三叉路を右折、約40m北上した突き当りに西願寺山門があり、この山門は今尾城の城門が移築されている。前に説明板がある。
西願寺から西に約70m突き当りの三叉路を右折、約90m北上した交差点角のふれあいセンターがあり、斜め北上した奥に今尾小学校があり、校門を入った左側に説明板があるのみで遺構はない。
校門前に小学校の駐車場ある。


≪ 歴 史 ≫

文明年間 (1469-87) 美濃守護代斎藤氏の臣中島三郎大夫重長が築き、以後、藤三郎重直、出羽守重元、内蔵助重行と続き居城とする。
永禄十年 (1567) 中島内蔵助重行のときに織田信長に攻められ滅び、代わって駒野から高木彦右衛門貞久の居城となる。跡を継いだ貞久次男貞利が関東に移り、その後、森寺清右衛門高良、戸倉四郎兵衛正直が城主となる。
天正十五年 (1587) 市橋下総守長勝が城主となる。
元和五年 (1619) 尾張藩領となり、尾張藩付家老竹腰山城守正信に与えられ居城とする。以後、正晴、友正、正映、正武、勝起、睦群、正定、正富、正旧と続く。
明治元年 (1868) 竹腰正旧が今尾藩を立藩する。


≪ 写 真 ≫


西願寺の今尾城移築城門


今尾小学校校門


今尾城説明板付近

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
養老線駒野駅から海津市コミュニティバスを乗り継いで今尾バス停下車、徒歩約15分。
<車>
名神高速大垣ICを降りて国道258号を南下、杭瀬川、牧田川に架かる養老大橋を渡り、瑞穂交差点信号を左折、県道213号を東進、揖斐川に架かる今尾橋を渡り、今尾昭和町付近で道が大きく左に曲がり、今尾昭和町2信号を少し北上した今尾俵町交差点信号を左折、約300m西進したふれあいセンター交差点を右折、斜め北上した奥に今尾小学校が今尾城跡で校門前に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

今尾城(今尾小学校)


西願寺


紹介したお城の数 256城



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駒野城

2014-08-24 08:08:23 | 岐阜県
 駒野城

2014/8/18

岐阜県海津市のお城めぐり

 斎藤氏の客分高木彦左衛門貞久の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 駒野城
よみ: コマノ
別称:
所在地: 岐阜県海津市南濃町駒野
現状: 城山小学校
築城年代: 文明年間(1469-87)
築城者: 高木源大夫貞成
形式: 山城
遺構:
規模: 標高30m、比高20m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2012/9/2・2014/8/18


≪ 訪城記 ≫

津屋城から駒野城へ向かう。

津屋城跡の本慶寺駐車場を出て前の道を南下、養老線踏切を渡り、次の点滅信号交差点を右折、川沿いに西進、津屋三叉路信号を左折、県道56号を南東に進み、庭田交差点信号を直進、約700m南下した片山材木店付近のY字三叉路を斜め左折、約150m東進した交差点を深く斜め左折した先の小山上に城山小学校があり、ここが駒野城跡です。小学校の駐車場に車を駐車させてもらう。

校門から入ってすぐの運動場手前に手書きの説明板が建っているのみで遺構はない。


≪ 歴 史 ≫

文明年間 (1469-87) 高木貞政の伯父高木源大夫貞成によって築かれる。貞政の孫娘の婿彦左衛門貞久は斎藤氏に仕えていたが、後に織田信長に属する。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の合戦に高木貞久は石田三成に味方したが、同族の高木貞利らが徳川家康に内通し、東軍の攻撃をまぬかれ、戦後、廃城となった。


≪ 写 真 ≫


駒野城跡の城山小学校

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
養老線駒野駅から徒歩約1.2㎞、約20分。
<車>
名神高速大垣ICを降りて国道258号を南下、杭瀬川、牧田川に架かる養老大橋を渡り、津屋川を渡り、養老線上を越え約100mの交差点を右折、約160m交差点を斜め右折した先の小山上に城山小学校があり、ここが駒野城跡です。小学校の駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

駒野城(城山小学校)


紹介したお城の数 255城



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津屋城

2014-08-23 07:23:49 | 岐阜県
 津屋城

2014/8/18

岐阜県海津市のお城めぐり

 関ヶ原合戦で西軍に属し没落した高木八郎左衛門正家の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 津屋城
よみ: ツヤ
別称:
所在地: 岐阜県海津市南濃町津屋
現状: 本慶寺・住宅街
築城年代: 文明年間(1469-1487)
築城者: 高木氏
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2012/9/2・2014/8/18


≪ 訪城記 ≫

西高木家陣屋から津屋城へ向かう。

上石津郷土資料館駐車場を出て牧田川を渡り東進、上原交差点信号を左折、国道365号を北上、上石津第三トンネル、上石津第一トンネルを抜け、和田橋南三叉路信号を斜め右折、国道227号を山裾沿いに東進、広瀬橋南三叉路信号を直進し県道56号を牧田川沿いの堤防道を進み、堤防道と分かれる三叉路を斜め右に養老方面に進み、石畑変速交差点信号を斜め右に進み、養老公園こどもの国前を通り南下、津屋三叉路信号を左折、川沿いを約700m東進した交差点手滅信号を左折、北上して養老線踏切を渡り、津屋集落を約500m北上した道の左側に津屋城跡の本慶寺がある。本慶寺の北側に寺専用の駐車場があり車を駐車する。

本慶寺入口に津屋城趾碑と説明板があるのみで、付近の住宅街を含んで津屋城跡のようです。


≪ 歴 史 ≫

文明年間 (1469-1487) 高木氏によって築城される。
慶長五年 (1600) 関ヶ原合戦で石田三成に味方した高木八郎左衛門正家の居城であったが没落して廃城となる。


≪ 写 真 ≫


津屋城跡の本慶寺


津屋城趾碑と説明板

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
養老線美濃津屋駅から徒歩約10分。
<車>
東名高速関ヶ原ICを降りて関ヶ原IC口信号を右折、国道365号を東進、牧田上野三叉路信号を直進、県道56号を進み広瀬橋北三叉路信号を直進、牧田川を渡り広瀬橋南三叉路信号を左折、県道56号を牧田川沿いの堤防道を進み、堤防道と分かれる三叉路を斜め右に養老方面に進み、石畑変速交差点信号を斜め右に進み、養老公園こどもの国前を通り南下、津屋三叉路信号を左折、川沿いを約700m東進した交差点手滅信号を左折、北上して養老線踏切を渡り、津屋集落を約500m北上した道の左側に津屋城跡の本慶寺がある。本慶寺の北側に寺専用の駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

津屋城(本慶寺)


紹介したお城の数 254城



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