お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

黒野城

2013-09-29 11:49:34 | 岐阜県
 黒野城

2013/9/21

岐阜県岐阜市のお城めぐり

 加藤貞泰が築いた短命の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 黒野城
よみ: クロノ
別称: 城藪
所在地: 岐阜県岐阜市黒野
現状: 黒野城跡公園
築城年代: 文禄四年(1595)
築城者: 加藤貞泰
形式: 平城
遺構: 本丸・南東櫓跡・北西櫓跡・桝形虎口・土塁・内堀・外堀
規模: 面積15.523㎡、標高14m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2011/6/14・2013/9/21


≪ 訪城記 ≫

自宅から岐阜県黒野城へ向かう。

国道21号をひたすら東進、長良川を越えて薮田交差点信号を左折、県道77号岐阜環状線を北上、長良川に架かる鏡島大橋を渡りさらに北上、正木土居交差点信号を左折、県道78号を西進、折立稲場三叉路信号を斜め左に直進、県道91号を約700m西進した「KVK」という会社敷地の西隅を右折、道を約100m北上すると黒野城跡公園に到着する。駐車場は旧黒野接骨院の駐車場の案内板があり、案内板に沿って旧黒野接骨院の駐車場に駐車させてもらう。

駐車場から徒歩ですぐのところに堀と土塁で囲まれた方形の黒野城跡公園に着く。堀に架かる橋を渡ると左側に黒野城址碑と説明板、右側に桝形虎口跡、本丸跡がグランドになっている。
高さ5.4mの高い土塁上を一周、南東隅に南東櫓跡、北西隅に北西櫓跡で現在発掘調査中でした。
堀も広く良好な状態で堀と土塁が残っています。
さらに北方の多賀神社裏に外堀跡があると地元の方に教えてもらい向かいました。神社裏の竹藪の中に横堀跡のような溝があり、説明板もありました。
「KVK」の敷地は黒野城主加藤貞泰の弟平内の屋敷跡です。
駐車場に戻ると黒野接骨院の御主人から黒野城のパンフレットをもらいました。感謝。


≪ 歴 史 ≫

文禄二年 (1593) 甲府城主であった加藤貞泰の父光泰が文禄の役で朝鮮出征中に没する。
文禄三年 (1594) 光泰の嫡子貞泰は若年であったため、減封され美濃国黒野に転封。
文禄四年 (1595) 貞泰が黒野城を築く。
慶長十五年 (1610) 関ヶ原の戦いの恩賞で伯耆国米子城主となり、城主を失った黒野城は十六年の短い期間であったが廃城となる。


≪ 写 真 ≫


「KVK」角の入口


加藤平内屋敷跡


南西方向からの黒野城


黒野城入口


黒野城址碑


桝形虎口跡


本丸跡


南面の土塁上


南東櫓跡


東面の土塁上


西面の堀


西面の土塁


東面の土塁


南西の堀と土塁


南東櫓跡と堀


東面の土塁と堀


多賀神社


多賀神社裏の外堀跡


現地黒野城本丸図(リンク付サムネイル)


現地黒野城城下町図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR岐阜駅からバスで黒野東口下車、徒歩約5分。
<車>
名神高速道路岐阜羽島ICで降りて県道46号を北上、竹鼻町大西交差点信号を斜め右折、県道151号を北東に進み、足近小学校西三叉路信号を斜め左折、北上して薮田交差点信号を直進、県道77号岐阜環状線を北上、長良川に架かる鏡島大橋を渡りさらに北上、正木土居交差点信号を左折、県道78号を西進、折立稲場三叉路信号を斜め左に直進、県道91号を約700m西進した「KVK」という会社敷地の西隅を右折、道を約100m北上すると黒野城跡公園に到着する。駐車場は旧黒野接骨院の駐車場の案内板があり、案内板に沿って旧黒野接骨院の駐車場を利用すると良い。また、土日祝日限定ですが黒野城東側にある平成医療専門学院の駐車場も利用可能です。


≪ 位置図 ≫

黒野城(黒野城跡公園)


多賀神社裏の外堀


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持舟城

2013-09-24 21:51:39 | 静岡県
 持舟城

2013/9/14

静岡県静岡市のお城めぐり

 今川氏の臣一宮氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 持舟城
よみ: モチフネ
別称: 用宗城
所在地: 静岡県静岡市駿河区用宗城山町
現状: 山
築城年代: 天文年間(1532-55)
築城者: 一宮元実
形式: 山城
遺構: 本丸・堀切
規模: 250m×100m、標高75m、比高70m
文化財:
訪城日: 2013/9/14


≪ 訪城記 ≫

蒲原城から持舟城へ向かう。

蒲原城駐車場を出て道を南下、東名高速道路の高架下をくぐり、突き当りの三叉路信号を左折、二つ目の信号を右折して東海道本線ガード下をくぐり、突き当りの三叉路を左折、次のイオン前の交差点信号を右折南下して国道1号富士由比バイパスのガード下をくぐり右折、国道1号の側道を通って合流して駿河湾沿いを西進、興津中町で側道を通りガード下をくぐって信号を左折、国道1号東海道へ出る。そのまま西進して清水駅前交差点信号を右折、江尻大和交差点信号を斜め左折、国道1号のまま西進、静岡駅前を通り、安倍川に架かる駿河大橋を渡って、手越原交差点信号を左折、長田街道を南下、東名高速道路、東海道新幹線高架下をくぐり、川を渡ったところで右折、すぐに左折、JR東海道本線沿いに150m程進むと浅間神社があり、神社西側に山へ登る登城口がある。道をそのまま西へ進み用宗駅の北側にある大雲寺の駐車場に車を駐車させてもらう。

大雲寺駐車場から来た道を徒歩で戻り、200m程東進したところに浅間神社があり、神社手前も山へ入る登城道を北へ登る。
最初の分かれ道を右へ行くと浅間山砦で、そのまま左へ登り、次の分かれ道を左折したすぐのところに北面のコンクリート壁に階段が設置されていて、案内板も設置されている。この道を登りきったところの削平地が本丸跡です。
本丸へ入った左側に説明板、南面中央部に持舟城址碑がある。
本丸西面の下に堀切があり、堀切の北に井戸跡らしき小さな社が見えるが、柵と雑木で入って行けない。案内板によると堀切の西側に二の丸があるようですが、ここも雑木が生い茂っていて入れませんでした。


≪ 歴 史 ≫

天文年間 (1532-55) 一宮元実によって築かれる。
永禄十一年 (1568) 武田氏の駿河侵攻の際に落城、三浦兵部義鏡、向井伊賀守正重が在城する。
天正七年九月十八日 (1579) 徳川家康が持舟城を攻撃、三浦義鏡、向井正重らが戦死、翌八年、武田勝頼が修築し、朝比奈駿河守氏秀を城番に置く。
天正十年二月二十三日 (1582) 再び徳川軍の攻撃を受け、二十七日開城して朝比奈氏秀は久能城へ退去して廃城となる。


≪ 写 真 ≫


浅間神社西側の登城口


持舟城本丸への階段


持舟城本丸


持舟城址碑


本丸西側の堀切


浅間山砦


現地案内板地図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線用宗駅から徒歩約10分で浅間神社前、ここから登城して約10分。
<車>
東名高速道路静岡ICを降りてインター通りを南下、中島交差点信号を右折、国道150号を西進、安倍川に架かる南安倍川橋を渡り、広野交差点信号を左折、県道416号用宗街道を約1km西進した三叉路を右折、長田街道を北上、東海道本線踏切を渡り、次の橋を渡らず直進、すぐの三叉路を左折、JR東海道本線沿いに150m程進むと浅間神社があり、神社西側に山へ登る登城口がある。道をそのまま西へ進み用宗駅の北側にある大雲寺の駐車場を利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

持舟城


浅間神社西側の登城口


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蒲原城

2013-09-23 15:09:32 | 静岡県
 蒲原城

2013/9/14

静岡県静岡市のお城めぐり

 今川氏の境目最前線の山城

≪ お城の概要 ≫

城名: 蒲原城
よみ: カンバラ
別称:
所在地: 静岡県静岡市清水区蒲原
現状: 山
築城年代: 南北朝期
築城者:
形式: 山城
遺構: 一の曲輪・善福寺曲輪・腰曲輪・土塁・石塁・堀切
規模: 500m×400m、標高138m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2013/9/14


≪ 訪城記 ≫

興国寺城から蒲原城へ向かう。

興国寺城を出て根小屋信号を左折、南下して原東町交差点信号を右折、国道1号沼津バイパスを西進、富士川を渡り、道が大きく左へ曲がり、続いて右側に大きく曲がったら駿河湾に沿って西進、すぐに側道を降りて国道1号のガード下を右折してくぐり、北上してイオンタウン蒲原前の信号を過ぎた新蒲原駅前を左折、突き当りを右折してJR東海道本線ガード下をくぐったらすぐに左折、県道396号を西進、二つ目の信号を右折、北上して東名高速道路の高架下をくぐったら城山配水場で大きく道が曲り500m程進むと解りにくいですが、道の右手に駿河国蒲原城の看板が建っています。看板の南側に駐車スペースがあります。ここに車を駐車する。

看板の所から南に山へ入る道があり、この道が搦手の登城路です。登ってすぐに説明板と鳥瞰図があり、さらに進むと大空堀の案内板がありますが、谷底は竹藪で何もわかりません。
さらに登っていくと善福寺曲輪下の腰曲輪に出ます。ここには土塁跡と石塁があります。
奥へ進むと階段が設置してあり、登ると一の曲輪と善福寺曲輪の間の大堀切に出ます。大堀切を進んだ先の左側に善福寺曲輪があり、入口に逆茂木のレプリカが設置されている。善福寺曲輪には北側に土塁跡、物見台が2か所復元されている。
大堀切を右へ進むと一の曲輪へ行けます。入口の鳥居の右側に蒲原城址碑、中央に城将北条新三郎の供養碑、奥に八幡神社があります。
一の曲輪から西へ降りていくと二の曲輪、三の曲輪へと続くはずですが、草木が生い茂っていて入って行けませんでした。


≪ 歴 史 ≫

今川氏の境目最前線の城として城番が置かれ、天文十三年(1544)ころには飯尾豊前守が城番であったことが知られている。
永禄四年 (1561) 佐竹雅楽助高貞が城番となる。
永禄十一年 (1568) 北条氏家臣布施佐渡守康則が蒲原城在番を命じられる。
永禄十二年十二月六日 (1569) 武田軍が北条勢の守る蒲原城に攻めかかり、北条新三郎以下城兵が全滅して落城する。
永禄十三年五月 (1570) 武田氏の山県三郎兵衛昌景が庵原郡一帯を領し、蒲原衆を編成して城の守備にあてている。
天正十年 (1582) 徳川軍の攻撃で落城したといわれている。


≪ 写 真 ≫


道路脇の蒲原城案内板


搦手側登城口


登城道途中の説明板


腰曲輪と土塁跡


善福寺曲輪下の腰曲輪石塁


善福寺曲輪と土塁跡


善福寺曲輪と物見台


善福寺曲輪入口の逆茂木


一の曲輪と善福寺曲輪の間の大堀切


蒲原城址碑


一の曲輪


北条新三郎供養碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線新蒲原駅から徒歩約25分。
<車>
東名高速道路富士ICで降りて西富士道路を南下、そのまま南下して東海道新幹線新富士駅横の高架下をくぐり、宮島東交差点信号を右折、国道1号を西進、富士川を渡り、道が大きく左へ曲がり、続いて右側に大きく曲がったら駿河湾に沿って西進、すぐに側道を降りて国道1号のガード下を右折してくぐり、北上してイオンタウン蒲原前の信号を過ぎた新蒲原駅前を左折、突き当りを右折してJR東海道本線ガード下をくぐったらすぐに左折、県道396号を西進、二つ目の信号を右折、北上して東名高速道路の高架下をくぐったら城山配水場で大きく道が曲り500m程進むと解りにくいですが、道の右手に駿河国蒲原城の看板が建っています。看板の南側に駐車スペースがあります。


≪ 位置図 ≫

蒲原城


登城口駐車場


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興国寺城

2013-09-22 16:32:09 | 静岡県
 興国寺城

2013/9/14

静岡県沼津市のお城めぐり

 北条早雲旗揚げのお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 興国寺城
よみ: コウコクジ
別称: 杜若城・久窪城・深田山城・高国寺城
所在地: 静岡県沼津市根小屋
現状: 穂見神社
築城年代: 室町末期
築城者:
形式: 平山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・天守台・北曲輪・清水曲輪・土塁・石垣・空堀
規模: 130m×330m、標高20m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2013/9/14


≪ 訪城記 ≫

自宅から静岡県沼津市の興国寺城へ向かう。

新東名高速道路新富士ICで降りて西富士道路を南下、東名高速道路富士ICを通り越したところで側道へ降りて富士I.C信号を左折、国道139号を通って道が大きく右に曲がりそのまま南下、青島交差点信号を左折、国道139号のまま東進、東海道新幹線下をくぐった依田橋西交差点信号を斜め右折、国道1号富士由比バイパス・沼津バイパスを東進、原東町交差点信号を左折、北上した突き当りの根小屋三叉路信号を右折、次の北へ向かう左折路を山へ登っていくと興国寺城の本丸へ着く。本丸前の東側石火矢台の曲輪に駐車可能。ここに車を駐車する。

わたしは間違って根小屋信号を左折してしまいましたが、道路脇の案内板のお蔭で到着することが出来ました。

車を駐車した南側に土塁が見え、西側の広い本丸の西側にも高い土塁が見え感動です。本丸の北側には穂見神社があり、社殿右側に初代城主北条早雲の碑と並んで天野康景の碑、説明板が建てられています。
神社裏側の高い土塁上には天守台があり、礎石と南面に石垣が見られますが草だらけでよく見えませんでした。天守台西側の物見台のような削平地から南面の本丸、二の丸。西側の土塁跡が見降ろせ爽快です。
天守台北側には大空堀が東西に深く掘られていて、降りて底から見るとすごいです。大空堀の西側ではなぜか横穴が三つ空いています。
大空堀の北側台地が北曲輪で、ここも広い削平地です。
本丸へ戻り、登城道沿いの二の丸、三の丸を見て県道22号を東へ行った、次の左折路を北へ向かうと清水曲輪です。


≪ 歴 史 ≫

伊勢新九郎長氏(北条早雲)が妹婿(姉婿とも)の今川義忠戦死後の今川家家督争いを鎮定した功により興国寺城を与えられ、伊豆攻略の本拠地とした。
延徳三年 (1491) 伊勢長氏が伊豆を攻略し、韮山城を築いて移る。
天文十八年 (1549) 今川義元が興国寺城を修築して城域の拡大をする。
天文二十年 (1551) 北条軍に一時的に占拠されるが、すぐに奪回する。
永禄十一年十二月 (1568) 武田信玄が駿河へ侵入し駿府を攻略させると北条軍も駿河に侵入、北条氏邦が興国寺城、葛山城を手中にし、北条方の駿河の最前線基地となる。
永禄十二年五月 (1569) 垪和伊予守氏続に興国寺城の守備を命じる。
元亀元年八月 (1570) 武田信玄が興国寺城、韮山城に迫る。
元亀二年一月 (1571) 武田勢が興国寺城に来襲したが垪和氏続父子が善戦して撃退している。
元亀三年ころより武田氏の支城となり、元亀年間は穴山梅雪の家臣保坂掃部が守り、天正三年ころは向井伊賀守正重、以後は曾根下野守正清(昌世)が城番となる。
天正十年 (1582) 武田家滅亡により曾根正清は徳川家康に降伏して開城する。
天正十年三月 (1582) 牧野右馬允康成を入れ、九月には松平清宗を城主とする。
天正十八年 (1590) 小田原の陣以降は豊臣秀吉の家臣中村式部少輔一氏が駿河に入り、興国寺城には一氏の臣河毛惣左衛門尉重次が入った。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の合戦後には、ふたたび徳川家康の属城となる。
慶長六年二月 (1601) 天野三郎兵衛康景が城主となる。
慶長十二年 (1607) 康景の家臣が天領の百姓を殺害したことから改易となり、興国寺城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


石火矢台の土塁


穂見神社


天野康景碑


北条早雲碑


天守台石垣


天守台礎石


天守台から見た本丸・二の丸・土塁


天守台から見た石火矢台土塁


大空堀西側


大空堀


北曲輪


大空堀東側


本丸


本丸西側の土塁


二の丸


登城口


バス停と三の丸


西側の登城口と案内板


清水曲輪


興国寺城跡整備計画図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道線原駅・沼津駅からバスで東根小屋バス停下車すぐ。
<車>
新東名高速道路新富士ICで降りて西富士道路を南下、東名高速道路富士ICを通り越したところで側道へ降りて富士I.C信号を左折、国道139号を通って道が大きく右に曲がりそのまま南下、青島交差点信号を左折、国道139号のまま東進、東海道新幹線下をくぐった依田橋西交差点信号を斜め右折、国道1号富士由比バイパス・沼津バイパスを東進、原東町交差点信号を左折、北上した突き当りの根小屋三叉路信号を右折、次の北へ向かう左折路を山へ登っていくと興国寺城の本丸へ着く。本丸前の東側石火矢台の曲輪に駐車可能。


≪ 位置図 ≫

興国寺城


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高宮城

2013-09-09 18:09:19 | 滋賀県
 高宮城

2013/8/28

滋賀県彦根市のお城めぐり

 浅井氏とともに滅んだ高宮氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 高宮城
よみ: タカミヤ
別称:
所在地: 滋賀県彦根市高宮町
現状: 高宮小学校・高宮幼稚園
築城年代:
築城者:
形式: 平城
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2010/6/1・2013/8/28


≪ 訪城記 ≫

肥田城から高宮城へ向かう。

肥田公民館を出て前の道を東進、突き当りの交差点を左折、宇曽川を渡り、三津町南三叉路信号を右折、県道204号を東進、沢交差点信号を左折、国道8号を北上、犬上川を越えて高宮町南交差点信号を右折、県道223号を東進、高宮鳥居前信号を直進大きな鳥居をくぐり、すぐの三叉路を右折したところに彦根市役所高宮出張所があり、ここの駐車場に駐車する。

彦根市役所高宮出張所から徒歩で出張所東側に道を南下、すぐの三叉路を左折、約180m東進したところに高宮小学校があり、小学校のグランド北西隅のフェンス前に高宮城址碑と説明板があるのみで遺構はない。


≪ 歴 史 ≫

六角氏頼の三男信高を祖とする高宮氏が代々居城とする。
六角氏の出自ではあるが、しだいに浅井氏に従うようになり天正元年(1573)の織田信長の小谷城攻めで浅井氏とともに滅んだ。


≪ 写 真 ≫


高宮小学校北西隅にある高宮城址碑と説明板

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
近江鉄道本線高宮駅から徒歩約400m、約10分。
<車>
名神高速道路彦根ICを降りて国道306号を北西へ進み、外町交差点信号を左折、国道8号を南下、高宮町南交差点信号を左折、県道223号を東進、高宮鳥居前信号を直進大きな鳥居をくぐり、すぐの三叉路を右折したところにある彦根市役所高宮出張所の駐車場を利用、徒歩で出張所東側に道を南下、すぐの三叉路を左折、約180m東進したところに高宮小学校がある。


≪ 位置図 ≫

高宮城(高宮小学校)


紹介したお城の数 128城



近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
クリエーター情報なし
滋賀県文化財保護協会