お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

筒井城

2013-03-29 21:57:22 | 奈良県
 筒井城

2013/3/23

奈良県大和郡山市のお城めぐり

 織田信長に大和一国の支配を任された筒井氏の本城

≪ お城の概要 ≫

城名: 筒井城
よみ: ツツイ
別称:
所在地: 奈良県大和郡山市筒井町
現状: 畑・住宅街・菅田比売神社・八幡宮
築城年代: 永享元年(1429)
築城者: 筒井順覚
形式: 平城
遺構: 堀跡・井戸跡
規模: 570m×380m
文化財:
訪城日: 2013/3/23


≪ 訪城記 ≫

滋賀県の北から奈良県へ行くには、高速道路を通って行くルートと、一般道を通って行くルートを比較すると、所要時間がほぼ同じで高速道路の通行料金が余分に必要になり、無駄な出費だと思うので一般道を選択しました。

大津市まで湖岸道路を通り、瀬田唐橋を渡り、唐橋西詰信号を左折して、瀬田川沿いの国道422号を南下、鹿跳橋西詰を直進し県道3号を瀬田川沿いに進み、瀬田川に架かる曽束大橋を渡って右折して県道3号を進み、宇治川と合流する地点の宵待橋を渡ったところを左折、県道62号を南下し、郷之口下町三叉路信号を直進して国道307号を南下、木津川に架かる山城大橋の山城大橋東詰交差点信号を左折して国道24号を木津川沿いに南下する。道なりに国道24号を進み奈良県に入り、奈良バイパスを大きく右に曲がり、今度は平安京を右手に見ながら大きく左に曲がり、そのまま道なりに南下、横田町交差点信号を右折して約1.4km西進した筒井町交差点信号を右折、約150m北進した道路西側にある八幡宮の駐車場に駐車させてもらおうと思っていたが、駐車場がいっぱいだったので、もう少し北に行ったキリン堂の駐車場に車を止めさせてもらいました。

キリン堂から道路沿いに南へ少し行ったところで、路地を西へ入り、突き当りを右折、北上すると三叉路の真ん中に小さな社のがあり、そこを左折すると菅田比売神社がある。さらにこのまま西へ進むと変速三叉路を左折した住宅街と畑の間でたくさんの人が寄っているところがあり、なんだろうと近寄ると、なんと筒井城の発掘調査の見学会をしているではないか。
偶然にも見学会の日に筒井城を訪問、ちゃっかり資料をもらって井戸跡と2条の堀跡を見学させてもらった。堀跡には「かわらけ」がたくさん出土した状況も見させてもらった。
この場所が筒井城の本丸跡だそうです。
さらに少し南に行くと溜池と畑の境に西へ行く畑道があり、この道が住宅地に入る住宅角に筒井城址碑が建っています。
あと八幡宮の東奥に「筒井順慶公碑」が建てられていて、その横に由来の石碑もあります。


≪ 歴 史 ≫

永享元年 (1429) 大和国の豪族筒井氏の筒井順覚の代で筒井城が初めて文献に登場する。
永享六年 (1434) 越智氏に筒井城を攻められる。
文安元年 (1444) 越智氏に筒井城を攻められる。
文安四年 (1447) 古市氏に筒井城を攻められる。
文明九年 (1477) 応仁の乱が終り、筒井氏が没落し筒井城を自ら焼き払う。
文明十五年 (1483) 越智氏の家臣堤氏が筒井城に入る。
明応六年 (1497) 越智氏を破り、筒井氏が所領を回復する。
その後、赤沢朝経、柳本賢治、木沢長政らが大和へ侵入する。
筒井順昭の代に大和をほぼ平定するが天文十九年(1550)に亡くなり、跡を継いだ順慶は幼いため叔父の順政が後見人となる。
永禄二年 (1559) 松永久秀が大和へ侵入し、筒井城を奪われる。
永禄九年 (1566) 松永久秀から筒井城を奪い返すも永禄十一年(1568)の織田信長上洛時に松永久秀が信長の配下となり、ふたたび城を奪われる。
元亀二年 (1571) 辰市の戦いで松永勢に勝利し、ふたたび城を奪い返す。
天正四年 (1576) 順慶が織田信長より大和の支配を任される。
天正五年 (1577) 松永久秀が織田勢に攻められ、信貴山城で自害する。
天正八年 (1580) 信長の大和一国破城令により郡山城を残して全ての城を破却し、筒井城も破却される。


≪ 写 真 ≫


筒井城址碑


筒井城本丸発掘現場


発掘現場の堀跡


発掘現場の井戸跡


八幡宮


八幡宮にある筒井順慶公の碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
近鉄橿原線筒井駅より徒歩約5分。
<車>
西名阪道郡山ICを降りて国道24号奈良バイパスを北へ約600mの横田町交差点信号を左折、約1.4km西進した筒井町交差点信号を右折、約150m北進した道路西側にある八幡宮の駐車場が近い。


≪ 位置図 ≫

筒井城址碑


本丸跡発掘場所


八幡宮


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西東社

天神山砦・茶臼山砦

2013-03-24 22:24:06 | 滋賀県
 天神山砦・茶臼山砦

2012/10/25

滋賀県長浜市のお城めぐり

 賤ヶ岳合戦で秀吉方の山路正国らが築いてすぐに放棄した砦

≪ お城の概要 ≫

城名: 天神山砦・茶臼山砦
よみ: テンジンヤマ・チャウスヤマ
別称:
所在地: 滋賀県長浜市余呉町国安・池原
現状: 山・草岡神社
築城年代: 天正十一年(1583)
築城者: 山路正国
形式: 砦
遺構: 曲輪・土塁・虎口・土橋・空堀
規模:
文化財:
訪城日: 2012/10/25


≪ 訪城記 ≫

行市山砦から毛受兄弟の墓のある「毛受の森」に下山し、天神山砦近くの全長寺へ向かう。
新堂集落の真ん中の道を西へ行くと田畑の中に全長寺があり、この寺にの参拝者用駐車場に車を駐車させてもらう。

寺の駐車場から農道を南に見える山が天神山でその東のこんもりした小さな山が茶臼山です。
農道を歩いて5分程で国安の集落入り口にある草岡神社に到着する。神社の前に床几板のような説明板がぶら下がっている。

草岡神社の拝殿裏に獣除けの柵があり、この柵を西に伝っていくと、扉のあるところがある。この扉を開けて中に入ると山へ入る山道がある。くれぐれも扉は閉めてください。
扉前は狭く滑りやすい上に崖になっているので注意してください。わたしは滑って落ちそうになりました。
山道を上がっていくと削平されたところに出て、そこから一段高いところへ上がる木の階段があり、上がっていくと広い削平地に出ます。ここに縄張図付の小さな説明板があります。この削平地の西側には虎口と思われる土塁と切欠きがあり、この切欠きを通ると土橋があり、土橋を渡るとまた削平地があります。この奥にもなにかありそうですが、雑木林になっていて良く分かりません。引き返して、最初の曲輪の東側に行くと段々になった帯曲輪がいくつかあります。

茶臼山砦は獣除けの柵がぐるりにめぐらされていて中に入れません。


≪ 歴 史 ≫

天正十一年 1583 賤ヶ岳合戦で秀吉方の山路正国らが砦を築いたが、行市山に佐久間盛政が砦を築き、見下ろされる天神山砦と茶臼山砦から後退した。

≪ 写 真 ≫


草岡神社


天神山砦の一段高い曲輪への登り口


天神山砦の土塁と虎口


天神山砦の土橋


天神山砦の空堀


茶臼山砦


天神山砦の現地縄張図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸線余呉駅から徒歩約4Km、1時間15分。
<車>
北陸道木之本ICを降りて木之本IC口交差点信号を直進、国道365号北国街道を北上し、余呉郵便局片岡支局を過ぎた次の交差点を左折、西進すると国安の集落へ入る入口にある草岡神社に約10分で到着する。駐車場はない。


≪ 位置図 ≫

全長寺


草岡神社


天神山砦


茶臼山砦


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行市山砦

2013-03-22 20:33:31 | 滋賀県
 行市山砦

2012/10/25

滋賀県長浜市のお城めぐり

 賤ヶ岳合戦で柴田方の佐久間玄蕃盛政が布陣した砦

≪ お城の概要 ≫

城名: 行市山砦
よみ: ギョウイチヤマ
別称: 行市城
所在地: 滋賀県長浜市余呉町小谷
現状: 山
築城年代: 天正十一年(1583)
築城者: 佐久間盛政
形式: 砦
遺構: 曲輪・土塁・虎口
規模: 南北約44.16m×東西約17.3m
文化財:
訪城日: 2012/10/25


≪ 訪城記 ≫

自宅から国道8号を北上し、木之本三叉路信号を左折、北陸道木之本IC前の木之本IC口交差点信号を右折、国道365号北国街道を北上し、余呉町新堂の集落へ入る入口に毛受兄弟の墓の道案内石柱と賤ヶ岳合戦史跡案内の看板が目印の交差点を左折、余呉川に架かる橋を渡り、毛受の森(行市山登山口)の案内板のある三叉路を右折、途中、舗装道路から林道のような未舗装道路にかわり、約400mで毛受兄弟の墓のある毛受の森に約30分で到着する。森の手前に墓地があり、そこの空き地に車を駐車させてもらう。

毛受の森の入り口左側の山裾に行市山登山道登り口の案内板があり、獣除けの柵を開けて登山道に入る。くれぐれも閉め忘れをしないように。
案内板に橡谷山まで570m、別所山まで2,100m、行市山まで3,350mとあり、この登山道を行けば橡谷山砦、林谷山砦、中谷山砦、別所山砦、行市山砦と行くことができる。

別所山砦を後にして、ひたすら山道を登り続ける事、約45分で行市山砦に到着する。砦の直前は特に急な坂道です。
砦の入口は一段高い土塁を踏み越えて郭に入ります。実は郭真ん中ぐらいにある縄張図の書かれた小さな説明板を見て一段高い土塁の部分が虎口の土塁だとわかりました。
この行市山砦は土塁で囲まれた小さな郭の陣城で東側の土塁は草木で良く分からない上に、西側の郭の大半と土塁は笹が生い茂りなにもわかりません。かろうじて入口の虎口土塁と通路、出口の一段高い土塁ぐらいしか見られません。
出口の土塁を乗り越えると視界が広がり、広い場所に行市山山頂(標高659.7m)と書かれた案内板とその横に「行市山 佐久間玄蕃盛政の砦」と書かれた木製標柱が建てられていて、余呉の街並みを眼下に見下ろす絶景です。


≪ 歴 史 ≫

天正十一年 (1583) "賤ヶ岳合戦で柴田方の佐久間玄蕃盛政が砦を築き布陣した。
一説に土豪、東野行一が築いたとされる。"


≪ 写 真 ≫


行市山砦の郭


郭と土塁


出口の土塁


行市山山頂


行市山 佐久間玄蕃盛政の砦の標柱


行市山登山道登り口


現地縄張図(リンク付サムネイル)


行市山・別所山・林谷山史跡案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸線余呉駅から徒歩約5Km、1時間30分。
<車>
北陸道木之本ICを降りて木之本IC口交差点信号を直進、国道365号北国街道を北上し、余呉町新堂の集落へ入る入口に毛受兄弟の墓の道案内石柱と賤ヶ岳合戦史跡案内の看板が目印の交差点を左折、余呉川に架かる橋を渡り、毛受の森(行市山登山口)の案内板のある三叉路を右折、途中、舗装道路から林道のような未舗装道路にかわり、約400mで毛受兄弟の墓のある毛受の森に約10分で到着する。


≪ 位置図 ≫

毛受兄弟の墓にある行市山登山道登り口


行市山砦


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西東社

別所山砦

2013-03-21 21:42:03 | 滋賀県
 別所山砦

2012/10/25

滋賀県長浜市のお城めぐり

 賤ヶ岳合戦で柴田方の前田利家・利長父子が布陣した砦

≪ お城の概要 ≫

城名: 別所山砦
よみ: ベッショヤマ
別称:
所在地: 滋賀県長浜市余呉町小谷
現状: 山
築城年代: 天正十一年(1583)
築城者: 前田利家・利長
形式: 砦
遺構: 曲輪・土塁・空堀・虎口
規模: 南北約34.77m×東西約36.6m、標高444m
文化財:
訪城日: 2012/10/25


≪ 訪城記 ≫

自宅から国道8号を北上し、木之本三叉路信号を左折、北陸道木之本IC前の木之本IC口交差点信号を右折、国道365号北国街道を北上し、余呉町新堂の集落へ入る入口に毛受兄弟の墓の道案内石柱と賤ヶ岳合戦史跡案内の看板が目印の交差点を左折、余呉川に架かる橋を渡り、毛受の森(行市山登山口)の案内板のある三叉路を右折、途中、舗装道路から林道のような未舗装道路にかわり、約400mで毛受兄弟の墓のある毛受の森に約30分で到着する。森の手前に墓地があり、そこの空き地に車を駐車させてもらう。

毛受の森の入り口左側の山裾に行市山登山道登り口の案内板があり、獣除けの柵を開けて登山道に入る。くれぐれも閉め忘れをしないように。
案内板に橡谷山まで570m、別所山まで2,100m、行市山まで3,350mとあり、この登山道を行けば橡谷山砦、林谷山砦、中谷山砦、別所山砦、行市山砦と行くことができる。

中谷山砦から行市山登山道をさらに進み、余呉の街並みを一望できる尾根の頂に出て、しばらく遠くにかすむ街並みを遠望し、進むと谷に出る。一旦谷の底に降りて、谷を登って杉林の中を通り過ぎると、鉄製の階段が見えてくる。この階段を登ると林道へ出る。林道を横断し、横断したところに案内板が建っている。ちなみに先ほどの谷の底を北へ少し行くと林道に出る。林道を少し登ると案内板のある場所に行ける。この案内板のあるY字右方向の登山道に入って行くと小さな縄張図付の説明板があり、さらに進む土塁と空堀があり、土塁と空堀を右手に見ながら曲輪に入ると土塁に囲まれたかなり広い削平地が広がり、中央に説明板が建てられている。説明板の南側には虎口らしき土塁の隙間がある。
現地の縄張図によると単郭で土塁も廻らせた周りに空堀を施したシンプルな作りになっている。
所要時間は中谷山砦から約15分。


≪ 歴 史 ≫

天正十一年 (1583) 賤ヶ岳合戦で柴田方の前田利家・利長父子が砦を築き布陣した。

≪ 写 真 ≫


林道を横断する場所


単郭中央の説明板


土塁跡


空堀跡


行市山登山道登り口


現地縄張図(リンク付サムネイル)


行市山・別所山・林谷山史跡案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸線余呉駅から徒歩約5Km、1時間30分。
<車>
北陸道木之本ICを降りて木之本IC口交差点信号を直進、国道365号北国街道を北上し、余呉町新堂の集落へ入る入口に毛受兄弟の墓の道案内石柱と賤ヶ岳合戦史跡案内の看板が目印の交差点を左折、余呉川に架かる橋を渡り、毛受の森(行市山登山口)の案内板のある三叉路を右折、途中、舗装道路から林道のような未舗装道路にかわり、約400mで毛受兄弟の墓のある毛受の森に約10分で到着する。


≪ 位置図 ≫

毛受兄弟の墓にある行市山登山道登り口


別所山砦


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滋賀県文化財保護協会

中谷山砦

2013-03-20 14:07:31 | 滋賀県
 中谷山砦

2012/10/25

滋賀県長浜市のお城めぐり

 賤ヶ岳合戦で柴田方の原彦次郎長頼が布陣した砦

≪ お城の概要 ≫

城名: 中谷山砦
よみ: ナカタニヤマ
別称: 中之谷山砦
所在地: 滋賀県長浜市余呉町池原
現状: 山
築城年代: 天正十一年(1583)
築城者: 原彦次郎長頼
形式: 砦
遺構: 土塁・空堀
規模:
文化財:
訪城日: 2012/10/25


≪ 訪城記 ≫

自宅から国道8号を北上し、木之本三叉路信号を左折、北陸道木之本IC前の木之本IC口交差点信号を右折、国道365号北国街道を北上し、余呉町新堂の集落へ入る入口に毛受兄弟の墓の道案内石柱と賤ヶ岳合戦史跡案内の看板が目印の交差点を左折、余呉川に架かる橋を渡り、毛受の森(行市山登山口)の案内板のある三叉路を右折、途中、舗装道路から林道のような未舗装道路にかわり、約400mで毛受兄弟の墓のある毛受の森に約30分で到着する。森の手前に墓地があり、そこの空き地に車を駐車させてもらう。

毛受の森の入り口左側の山裾に行市山登山道登り口の案内板があり、獣除けの柵を開けて登山道に入る。くれぐれも閉め忘れをしないように。
案内板に橡谷山まで570m、別所山まで2,100m、行市山まで3,350mとあり、この登山道を行けば橡谷山砦、林谷山砦、中谷山砦、別所山砦、行市山砦と行くことができる。

林谷山砦から橡谷山砦へ戻り、逆方向の登山道を中谷山砦を目指して西へ向かう。
途中、土塁跡や空堀跡らしい地形が登山道脇に見られる。さらに登山道自体が畝堀の底を歩いているような道で、驚くことに登山道の横にもう一本の畝堀が並行している場所もある。
20分程登っていくと「中之谷山 原彦次郎長頼の砦」と書かれた木製の標柱が倒れかかっていて、一見、隈笹で覆われていて何もないように見える。隈笹をかき分け北へ行くと土塁と空堀跡がある。


≪ 歴 史 ≫

天正十一年 (1583) 賤ヶ岳合戦で柴田方の原彦次郎長頼が砦を築き布陣した。

≪ 写 真 ≫


原彦次郎長頼の砦跡


行市山登山道登り口


行市山・別所山・林谷山史跡案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR北陸線余呉駅から徒歩約5Km、1時間30分。
<車>
北陸道木之本ICを降りて木之本IC口交差点信号を直進、国道365号北国街道を北上し、余呉町新堂の集落へ入る入口に毛受兄弟の墓の道案内石柱と賤ヶ岳合戦史跡案内の看板が目印の交差点を左折、余呉川に架かる橋を渡り、毛受の森(行市山登山口)の案内板のある三叉路を右折、途中、舗装道路から林道のような未舗装道路にかわり、約400mで毛受兄弟の墓のある毛受の森に約10分で到着する。


≪ 位置図 ≫

毛受兄弟の墓にある行市山登山道登り口


中谷山砦


紹介したお城の数 43城



近江城郭探訪―合戦の舞台を歩く
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