お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

上中城

2015-05-24 06:50:07 | 京都府
 上中城

2015/11/15

京都府京都市のお城めぐり

弓削荘の荘子弓削国直の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 上中城
よみ: カミナカ
別称: 田中ノ小城・田中城
所在地: 京都府京都市右京区北上中町城下町3
現状: 公園
築城年代: 室町時代
築城者: 弓削国直
形式: 館
遺構: 土塁・堀跡
規模: 83.8m×37m、標高275m、比高1m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2015/11/15


≪ 訪城記 ≫

周山城から上中城へ向かう。

道の駅ウッディー京北の駐車場を出て国道162号周山道路を北上、弓削川沿いに進み約4.8㎞地点の交差点にある弓削郵便局を過ぎ約300m進んだ田んぼ道へ入る交差点を左折、約160m進んだ交差点を左折、約90m南下した田んぼの中にある民家付近が上中城跡です。川に架かる橋を入った所の空き地に車を駐車する。

上中城は民家のある広場の中央に楕円形をした芝生広場が城跡で北西側に土塁跡が残り説明板が建っています。芝生広場は南東側に三段に仕切られ下がっています。周囲の砂利道が堀の跡だそうです。


≪ 歴 史 ≫

室町時代 弓削国直が弓削荘の荘司となり居城する。国直の孫越前守頼泰が草木氏の姓を賜る。
天正年間 (1573-92) 明智光秀が周山城を築いた頃、城主越前守守親が病死、子の太郎左衛門吉長が継ぐ。


≪ 写 真 ≫


上中城跡


北西側土塁跡


堀跡の砂利道


現地案内板図面(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線京都駅からバスで下中バス停下車、徒歩約500m、約10分
<車>
名神高速京都南ICで降りて、京阪国道1号に出て、鴨川に架かる鳥羽大橋を渡り北上、京阪国道口信号を左折、国道171号九条通を西進、西大路九条交差点信号を右折、JR東海道本線高架下をくぐり北上、西大路五条交差点信号を左折、国道9号西五条通を西進、阪急京都線高架下をくぐり、五条天神川交差点信号を右折、国道162号周山街道を北上、紅葉狩りで有名な高雄方面に向かい、紅葉が美しい高雄を抜けさらに国道162号周山街道を北上、清滝川沿いに進む、杉の里トンネル、中川トンネルを抜け、さらに進み笠トンネルを抜け、栗尾バイパスに入り、京北トンネルを抜け桂川を渡った交差点信号前の道の西側に道の駅ウッディー京北からさらに国道162号周山道路を北上、弓削川沿いに進み約4.8㎞地点の交差点にある弓削郵便局を過ぎ約300m進んだ田んぼ道へ入る交差点を左折、約160m進んだ交差点を左折、約90m南下した田んぼの中にある民家付近が上中城跡です。川に架かる橋を入った所の空き地に車を駐車すると良い。


≪ 位置図 ≫

上中城


紹介したお城の数 311城



レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版
來本 雅之
山川出版社




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周山城

2015-05-23 06:42:07 | 京都府
 周山城

2014/11/15

京都府京都市のお城めぐり

明智光秀が丹波平定の拠点として築いた総石垣の山城

≪ お城の概要 ≫

城名: 周山城
よみ: シュウザン
別称: 城山
所在地: 京都府京都市右京区北周山町城山
現状: 山
築城年代: 天正七年(1579)頃
築城者: 明智光秀
形式: 山城
遺構: 天守台跡・本丸・二ノ丸・小姓丸・鷹屋ノ丸・馬屋ノ丸・石垣・石段・井戸・土塁・堀切
規模: 標高480m、比高220m
文化財:
訪城日: 2014/11/15


≪ 訪城記 ≫

自宅から周山城へ向かう。

名神高速京都南ICで降りて、京阪国道1号に出て、鴨川に架かる鳥羽大橋を渡り北上、京阪国道口信号を左折、国道171号九条通を西進、西大路九条交差点信号を右折、JR東海道本線高架下をくぐり北上、西大路五条交差点信号を左折、国道9号西五条通を西進、阪急京都線高架下をくぐり、五条天神川交差点信号を右折、国道162号周山街道を北上、紅葉狩りで有名な高雄方面に向かい、紅葉が美しい高雄を抜けさらに国道162号周山街道を北上、清滝川沿いに進む、杉の里トンネル、中川トンネルを抜け、さらに進み笠トンネルを抜け、栗尾バイパスに入り、京北トンネルを抜け桂川を渡った交差点信号前の道の西側に道の駅ウッディー京北がある。ここの駐車場に車を駐車する。

道の駅ウッディー京北北側の道を西へ進み、弓削川に架かる橋を渡り、突き当り三叉路信号を右折、約250m北上したJA京北支店前バス停付近に周山城跡登山口があり、案内板と説明板がある。このバス停の道を西に約380m行くと登山口に着く。倒木の間の道を尾根に進み、尾根に出たら急な尾根道を登ること約500mで小さな周山城趾碑のあるNHKアンテナ基地に着く。アンテナ基地の右側を進み、急な坂道を約200m進んだ左側斜面を登り切ると二ノ丸に出る。東西に長い郭で西に本丸への虎口がある。本丸中央付近に見難い丸太の説明板があり、南側に天守台跡の土塁、北西側に大きな穴がある。北西側虎口石段を降りていくと小姓丸で先端部分の切岸付近に石垣跡が良く残る。小姓丸西側石垣下の裾道を北へ進むと堀切が二つ見られ、石垣も残っている。さらに進むと北端に虎口の土塁がある。石段付近に戻り、東側の下へ降りると石組の井戸が残る。本丸西側の下にも石垣跡が残り、西の一段下に鷹屋ノ丸がベロ状に出ている。


≪ 歴 史 ≫

天正七年 (1579) 明智光秀の丹波入部により宇津城が開城、光秀が丹波平定の拠点として別に総石垣造の周山城を築く。

≪ 写 真 ≫


周山城小姓丸北端の石垣


本丸天守台跡


本丸


二ノ丸からの虎口


二ノ丸


天守台の土塁


小姓丸入口の石段


小姓丸


小姓丸最北端の郭東側の石垣


小姓丸最北端の切岸


小姓丸東下の石組井戸


鷹屋ノ丸北側の石垣


鷹屋ノ丸


小姓丸北側一つ目の堀切


小姓丸北側二つ目の堀切


小姓丸北側の土塁


登城道


登城口


バス停横の登山口付近


現地周山城見取図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線京都駅からバスでJA京北支店前バス停下車、徒歩約1㎞、約45分
<車>
名神高速京都南ICで降りて、京阪国道1号に出て、鴨川に架かる鳥羽大橋を渡り北上、京阪国道口信号を左折、国道171号九条通を西進、西大路九条交差点信号を右折、JR東海道本線高架下をくぐり北上、西大路五条交差点信号を左折、国道9号西五条通を西進、阪急京都線高架下をくぐり、五条天神川交差点信号を右折、国道162号周山街道を北上、紅葉狩りで有名な高雄方面に向かい、紅葉が美しい高雄を抜けさらに国道162号周山街道を北上、清滝川沿いに進む、杉の里トンネル、中川トンネルを抜け、さらに進み笠トンネルを抜け、栗尾バイパスに入り、京北トンネルを抜け桂川を渡った交差点信号前の道の西側に道の駅ウッディー京北に駐車すると良い。道の駅ウッディー京北北側の道を西へ進み、弓削川に架かる橋を渡り、突き当り三叉路信号を右折、約250m北上したJA京北支店前バス停付近に周山城跡登山口から徒歩約1㎞、約45分。


≪ 位置図 ≫

周山城


周山城登城口


紹介したお城の数 310城



廃城をゆく (イカロス・ムック)
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廃城をゆく3 (イカロス・ムック)
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楽田城

2014-12-01 05:52:33 | 愛知県
 楽田城

2014/10/18

愛知県犬山市のお城めぐり

 小牧・長久手合戦で羽柴秀吉方の堀秀政が守ったお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 楽田城
よみ: ガクデン
別称:
所在地: 愛知県犬山市城山
現状: 楽田小学校
築城年代: 永正元年(1504)頃
築城者: 織田久長
形式: 平城
遺構:
規模: 72m×97m
文化財:
訪城日: 2011/2/23・2014/10/18


≪ 訪城記 ≫

羽黒城から楽田城に向かう。

するすみふれあい広場駐車場を出て県道27号を南下、若宮交差点信号を左折、県道177号を西進してすぐ名鉄犬山線楽田駅北側の踏切を渡り、すぐに右折して楽田駅前を通って駅前の細い道を南下、約50mで道が左に小さく曲り、さらに約200m南下した突き当りを右折する角の東側に楽田城跡の楽田小学校がある。この突き当り角に楽田城趾碑と説明板があるのみです。
車は楽田小学校の駐車場に駐車させてもらいました。


≪ 歴 史 ≫

永正元年 (1504) 頃に尾張守護代織田氏一族の織田久長が築城したと言われている。
永禄元年 (1558) 城中に高さ約5mの壇を築き、その上に櫓を建て中央に座敷を設ける。これが天守閣の始まりと言われている
永禄年間 (1558-70) 犬山城の織田(津田)信清に攻略されたが、のちに織田信長が奪って坂井政尚を守将とする。
元亀元年 (1570) 近江堅田の合戦で坂井政尚が討死し、代わって梶川高盛が楽田城主となる。
天正十二年 (1584) 小牧・長久手合戦で小牧山城の徳川家康本陣に対し、羽柴秀吉は楽田城に堀秀政を配している。のちに秀吉が犬山城から楽田城に移るが終戦後に廃城となる。


≪ 写 真 ≫


楽田城趾碑


楽田小学校入口の楽田城趾碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄犬山線楽田駅から徒歩約5分。
<車>
東名高速小牧ICで降りて国道41号を北上、村中交差点信号を右折、国道155号を東進、小牧原交差点信号を左折、県道102号木曽街道を北上、県道27号木曽街道を北上して犬山市に入り、若宮交差点信号を右折、県道177号を西進してすぐ名鉄犬山線楽田駅北側の踏切を渡り、すぐに右折して楽田駅前を通って駅前の細い道を南下、約50mで道が左に小さく曲り、さらに約200m南下した突き当りを右折する角の東側に楽田城跡の楽田小学校がある。この突き当り角に楽田城趾碑がある。


≪ 位置図 ≫

楽田城(楽田小学校)


紹介したお城の数 309城



関東の名城を歩く 南関東編: 埼玉・千葉・東京・神奈川
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関東の名城を歩く 北関東編: 茨城・栃木・群馬
峰岸 純夫,齋藤 慎一
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羽黒城

2014-11-30 06:27:16 | 愛知県
 羽黒城

2014/10/18

愛知県犬山市のお城めぐり

 小牧・長久手合戦のときに梶原氏代々の居館を修復した城砦

≪ お城の概要 ≫

城名: 羽黒城
よみ: ハグロ
別称: 梶原館
所在地: 愛知県犬山市羽黒城屋敷
現状: 竹林・興禅寺・住宅街
築城年代: 建仁年間(1201-04)
築城者: 梶原景親
形式: 平城
遺構: 土塁・堀
規模:
文化財:
訪城日: 2011/2/23・2014/10/18


≪ 訪城記 ≫

犬山城から羽黒城へ向かう。

犬山城有料駐車場を出て犬山城前を東進、郷瀬川を渡った三叉路を左折、すぐの三叉路を右折、一方通行を東進して内田交差点信号を右折、県道27号を南下、犬山市役所前を通り、国道41号高架下をくぐり、市民文化会館南側のするすみふれあい広場駐車場に車を駐車する。

するすみふれあい広場の南側の道を約100m西進して左折、約140m南下した興禅寺敷地の北東角に土塁跡が残る。この興禅寺北東角の案内板のある交差点を東進、アパートの間の道を進むと竹藪の前に説明板があり、そのまま少し東進した民家角付近に古い説明板がある。この古い説明板から北の竹藪内に入り、真ん中の土塁上を西へ入った丘上に羽黒城趾碑が建てられている。
土塁上を東に進み、竹藪の切れ間を北に出ると東西に堀跡が残る。
北側の竹藪内にも土塁跡が残る。
興禅寺は羽黒梶原氏の菩提寺で、西の墓地に梶原景時公、梶原景義公、小笠原吉次公の供養塔がある。


≪ 歴 史 ≫

建仁年間 (1201-04) 建仁元年(1201)、梶原景時、景高父子が鎌倉幕府に誅殺され、逃れた一子豊丸が景親と名を改め館を築き、代々居住する。
天正十年 (1582) 景親から十七代孫の茂助景義が織田信長に仕えたが、本能寺の変で討死、羽黒梶原氏は断絶して城は荒廃する。
天正十二年 (1584) 小牧・長久手合戦のときに秀吉が廃墟となっていた梶原館を修築、山内一豊、堀尾吉晴に守らせるが、終戦とともに廃城となる。


≪ 写 真 ≫


羽黒城趾碑


堀跡


土塁跡


北側の竹藪内の土塁跡


興禅寺北東角の土塁跡


興禅寺北東角


羽黒城入口


興禅寺


梶原景時公、梶原景義公、小笠原吉次公供養塔


現地羽黒城趾周辺案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄小牧線羽黒駅から徒歩約10分。
<車>
東名高速小牧ICで降りて国道41号を北上、村中交差点信号を右折、国道155号を東進、小牧原交差点信号を左折、県道102号木曽街道を北上、県道27号木曽街道を北上して犬山市に入り、羽黒交差点信号を約300m北上した道の左側のするすみふれあい広場駐車場に駐車すると良い。するすみふれあい広場の南側の道を約100m西進して左折、約140m南下した興禅寺敷地と興禅寺北東角の交差点を東進、アパートの間の道を進んだ竹藪が羽黒城跡です。


≪ 位置図 ≫

羽黒城


興禅寺


紹介したお城の数 308城



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木ノ下城

2014-11-29 05:56:51 | 愛知県
 木ノ下城

2014/10/18

愛知県犬山市のお城めぐり

 尾張国守護斯波氏の臣織田広近が築き、四代子孫信康が犬山城を築いて移るまでの居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 木ノ下城
よみ: キノシタ
別称:
所在地: 愛知県犬山市犬山愛宕
現状: 愛宕神社
築城年代: 文明元年(1469)
築城者: 織田広近
形式: 平城
遺構: 金明水
規模: 200m×350m
文化財:
訪城日: 2011/2/23・2014/10/18


≪ 訪城記 ≫

犬山城を木曾川沿いに一周するときに鵜沼城に拠り、続いて木ノ下城城に拠る。

鵜沼城付近の犬山橋北詰から犬山橋を渡り、名鉄犬山遊園駅前を通って県道27号を南下、郷瀬川を渡り、犬山駅前を過ぎ犬山市役所前信号から約75mの角を右折、約30mで愛宕神社前に着く。
愛宕神社鳥居の西側に小さな木ノ下城城趾碑があり、北奥の社殿前に説明板と金明水という古い井戸が残る。


≪ 歴 史 ≫

文明元年 (1469) 尾張国守護斯波氏の臣織田広近が木ノ下城城を築き、小口城から移り初代城主となる。
天文六年 (1537) 織田広近の四代子孫織田信康(織田信長の叔父)が犬山城を築いて移り、木ノ下城城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


木ノ下城城説明板と金明水


木ノ下城城趾碑


愛宕神社


金明水

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄犬山駅から徒歩約10分。
<車>
東名高速小牧ICで降りて国道41号を北上、村中交差点信号を右折、国道155号を東進、小牧原交差点信号を左折、県道102号木曽街道を北上、県道27号木曽街道を北上して犬山市に入り、国道41号高架下をくぐり、犬山市役所前三叉路信号を右折、犬山市役所有料駐車場を利用すると良い。ここから徒歩約5分で木ノ下城城跡の愛宕神社に着く。


≪ 位置図 ≫

木ノ下城城(愛宕神社)


紹介したお城の数 307城



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