お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

津城

2013-07-27 05:23:33 | 三重県
 津城

2013/6/23

三重県津市のお城めぐり

 織田信長の弟信包が築き、藤堂高虎が大修築した津藩の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 津城
よみ: ツ
別称: 安濃津城
所在地: 三重県津市丸之内27-10
現状: お城公園
築城年代: 元亀年間(1570-73)・慶長十六年(1611)
築城者: 長野上野介信兼(織田信包)・藤堂和泉守高虎
形式: 平城
遺構: 本丸・西之丸・三層復興櫓・天守台・丑寅三重櫓跡・戌亥三重櫓跡・月見櫓跡・伊賀櫓跡・玉櫓跡・石垣・内堀
規模: 標高5m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2011/9/12・2013/6/23


≪ 訪城記 ≫

小造城から津城へ向かう。

小造城跡の前の道を西へ約250mの十字路を右折、約400m北上し、川を渡って三叉路を左折、国道23号中勢バイパスを越えて道なりに北西方向に進み、久居東中学校を通り過ぎ、斜め三叉路に突き当り、信号を大きく右折、県道114号を東へ進み、小森山信号で国道165号と合流、そのまま東へ出雲本郷町交差点信号を左折、国道23号伊勢街道を北上、岩田川に架かる橋を渡り、津警察署入口信号を左折、約150mで津警察署前を右折、約150m北上するとお城公園が左手に見え、三層復興櫓前を通り過ぎた道の右側にお城前公園有料駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場から高石垣沿いに三層復興櫓前を通って公園に入る。この復興櫓は丑寅三重櫓を復元したようですが、建っている位置が東鉄門跡で、実際は北東隅に丑寅三重櫓跡が残る。丑寅櫓から内堀の北側石垣上を西に歩くと、北西隅が戌亥三重櫓跡です。
復興櫓から南の石垣沿いに歩くと南東隅に月見櫓跡、西へ歩くと天守台跡、石垣が少し崩れたように見える伊賀櫓跡、公園の中央噴水の南側に藤堂高虎の馬上像、この馬上像と同じような像を愛媛の今治城にもあったよ~な………。
西鉄門虎口から西之丸に入ると庭園になっていて、中央に入徳門があり、南西隅に虎口と玉櫓跡があります。
内堀沿いに石垣を眺めながらお城の周りを一周して満足でした。


≪ 歴 史 ≫

永禄十一年 (1568) 織田信長が伊勢に侵攻し、長野氏(工藤氏)を攻めたが安濃城が落ちず、信長の弟信良(信包)を長野家の養子として跡目を継がせることで和睦する。
元亀元年 (1570) 最初、上野城を築いたが、急造であったため津に築城を開始する。
元亀三年 (1573) 信良が長野上野介信兼と改名する。
天正八年 (1580) 安濃津城が完成して、信兼は織田姓に復して織田民部少輔信包と改名する。
天正十年 (1582) 本能寺の変で兄信長が斃れると豊臣秀吉に仕える。
文禄三年 (1594) 信包は丹波国柏原に減封され、代わって文禄四年七月、富田左近将監知信が城主となる。
慶長四年 (1599) 知信が隠居し、富田信濃守信高が跡を継ぐ。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の役で西軍に包囲され、安濃津城に籠城、善戦したが開城し、安濃津城は西軍に落ちた。役後、信高は津城に復帰している。
慶長十三年 (1608) 富田信高が伊予国宇和島へ転封となり、代わって同年八月、藤堂和泉守高虎が入封、伊賀上野城に入城する。翌十四年、津城に入って津を平時の居城とした。
慶長十六年 (1611) 津城の大修築を開始する。以後、藤堂氏が十二代世襲して明治維新に至り、藩政奉還後、三重県庁が置かれ、明治五年(1872)には、御殿が、同十八年には本丸櫓。多聞が競売される。
昭和三十三年 (1958) 東鉄門跡横に三層復興櫓が建てられる。


≪ 写 真 ≫


丑寅三重櫓の石垣


丑寅三重櫓跡


戌亥三重櫓跡から見る北内堀


戌亥三重櫓跡


三層復興櫓


月見櫓跡


天守台跡


藤堂高虎馬上像


伊賀櫓跡


西鉄門虎口の石垣


入徳門


玉櫓跡


月見櫓跡の石垣


拡張された石垣跡


天守台横の埋門


天守台の石垣


西之丸虎口の橋


西之丸の西側石垣


西の内堀


西之丸の北西側石垣


戌亥三重櫓の石垣


北内堀


現地説明板概略図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
近鉄名古屋線津新町駅から徒歩約15分。
<車>
伊勢道津ICを降りて県道42号を南東へ進み、近鉄名古屋線、JR紀勢本線を越えて津市役所北側のお城西公園とお城公園の間の信号を右折、南下して二つ目の信号を左折、津警察署前を左折、約150m北上するとお城公園が左手に見え、三層復興櫓前を通り過ぎた道の右側にお城前公園有料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

津城(お城公園)


紹介したお城の数 101城



三重の山城ベスト50を歩く
福井 健二,竹田 憲治,中井 均
サンライズ出版

木造城

2013-07-25 05:06:26 | 三重県
 木造城

2013/6/23

三重県津市のお城めぐり

 伊勢国司北畠氏の一族、小造氏の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 木造城
よみ: コツクリ
別称: 木造御所
所在地: 三重県津市木造町
現状: 田
築城年代: 貞治五年・正平二十一年(1366)
築城者: 小造顕俊
形式: 平城
遺構: 本丸跡
規模: 標高約7m
文化財: 市指定史跡
訪城日: 2013/6/23


≪ 訪城記 ≫

松ヶ島城から小造城へ向かう。

民家前の狭い道を戻り八雲神社とコスモ石油跡地の交差点を右折、北西へ約700mの突き当りの海近くの運河のような川の前を左折、すぐにもう一度左折、南西へ向かい、道なりに大きく右に曲がったら市場庄町信号を右折して国道23号南勢バイパスを北上、三渡川に架かる三渡大橋を渡り、中勢バイパスを進み、雲出川を渡ったら木造町へ入る。川を渡って約700m進んだといころで側道を降りてすぐの信号を右折、中勢バイパスの高架下をくぐり約500m東進した水田地帯の道路北側にこんもりと土が盛り上がった場所があり、ここが小造城の本丸跡です。車は道路脇に駐車しました。意外と通行量がないので安心です。

木造町の北はずれの水田地帯でちょっと広い道の北側のこんもりとした土盛りの上に説明板と小造城址碑があるのみです。


≪ 歴 史 ≫

貞治五年 (1366) 北畠氏の一族、北畠大納言顕能の次男顕俊が城郭を築き、小造氏としてこの地に居住した。
小造氏の二代目は、第二子の俊康が相続するが、京都に住してたため小造城は波瀬城主小造雅俊に攻められ支配下に置かれる。しかし、俊康は将軍の加勢を得て奪い返し、南朝方と戦う。
三代持康の代に牧城を築く。六代政宗の代に川方に城を築く。
享禄元年 (1528) 七代俊茂の代に新城を築く。
天文二十三年 (1554) 伊勢国司北畠晴具の三男具政が小造家の養子となり、九代となり戸木城を築く。
永禄十二年 (1569) 織田信長の伊勢侵攻で小造具政、長政父子は信長に降り、南伊勢の案内をする。さらに信長の次男で北畠氏を継いだ北畠信雄に仕える。


≪ 写 真 ≫


小造城全景


小造城の土盛り


小造城址碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
近鉄名古屋線桃園駅から2km、徒歩約40分。
<車>
伊勢道久居ICを降りて国道165号を約3.5km東進、中勢バイパスとの分岐信号を右折、次の信号を左折して中勢バイパス沿いの下道を南下、約1.1km進んだ信号を左折、約500m東進した水田地帯の道路北側にこんもりと土が盛り上がった場所があり、ここが小造城の本丸跡です。車は道路脇に駐車可能。


≪ 位置図 ≫

小造城


紹介したお城の数 100城



日本の城 完全名鑑 増補改訂版 (廣済堂ベストムック)
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松ヶ島城

2013-07-20 05:07:38 | 三重県
 松ヶ島城

2013/6/23

三重県松阪市のお城めぐり

 織田信雄が築き松ヶ島城と命名した居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 松ヶ島城
よみ: マツガシマ
別称: 細首城・天守山
所在地: 三重県松阪市松ヶ島町
現状: 台地状の小山
築城年代: 天正八年(1580)
築城者: 織田信雄
形式: 平城
遺構: 台状地
規模:
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2011/9/12・2013/6/23


≪ 訪城記 ≫

松阪城から松ヶ島城へ向かう。

松阪公園駐車場を出て前の道を西へ、すぐに大きく左へ曲がり新松阪大橋南詰信号を右折、阪内川に架かる新松阪大橋を渡り、そのまま県道756号を北上、川井町4交差点信号を斜めに右折、県道59号を北東へ進み、大塚町信号を左折、国道42号熊野街道を北西に進む。松ヶ崎駅前交差点信号を右折、少し狭い道を北東へ、松坂自動車学校前を通り、松ヶ島町交差点信号で国道23号を渡り直進、そのまま松ヶ島町の集落内へ、突き当りのT字路を左折、200m程北西に進むと道の左側にコスモ石油跡、右側に八雲神社のある北東へ入る細い脇道を50m程進み、右へ曲がった突き当りのお家の前の道路脇に車を駐車させてもらう。

このお家の南側を通らしてもらい、ハウス沿いのあぜ道を100m程行き右へ曲がると、こんもりとした小山があり、小山の北東側に説明板が建てられていて、その脇に登る道がある。頂上は松の木とベンチがあるのみで、ハウス畑のある南西側へ降りる道があり、降りたところに松ヶ島城址碑が建てられている。
この小山が松ヶ島城跡で畑地の中に小山のみが残っている。


≪ 歴 史 ≫

永禄十年頃 (1567) 北畠具教が織田信長の伊勢侵攻に備えて細首に城を築き、家臣日置大膳亮に守らせたが、同十二年の織田軍の侵攻で日置大膳亮は細首城を焼いて、大河内城に籠城したと言われる。その後、和議が成立して信長の二男信雄が北畠の家督を継ぎ田丸城を築いて居城とした。
天正八年 (1580) 田丸城が焼失、細首城を大改修して松ヶ島城と改称した。
天正十年 (1582) 本能寺の変で父信長が斃れると、信雄は尾張清洲城へ移り、松ヶ島城は家臣津川義冬が城主となる。
天正十二年 (1584) 羽柴秀吉との関係悪化、小牧・長久手の戦いで信雄は、流言によって津川義冬を殺害、代わって滝川勝利が城主となり籠城したが、秀吉軍の攻撃で落城する。秀吉方の蒲生氏郷が松ヶ島城に入る。
天正十六年 (1588) 蒲生氏郷が松阪城を築き移り、松ヶ島城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


北東方向からの松ヶ島城


小山の南西方向にある松ヶ島城址碑


南西方向からの松ヶ島城


北方向からの松ヶ島城

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
近鉄山田線松ヶ崎駅から徒歩約35分。
<車>
伊勢道松阪ICを降りて県道59号を西進、曲町付近で大きく右に曲がり、松阪市民文化会館南信号を左折、北東へ進み大塚町信号を左折、国道42号熊野街道を北西に進む。松ヶ崎駅前交差点信号を右折、少し狭い道を北東へ、松坂自動車学校前を通り、松ヶ島町交差点信号で国道23号を渡り直進、そのまま松ヶ島町の集落内へ、突き当りのT字路を左折、200m程北西に進むと道の左側にコスモ石油跡、右側に八雲神社のある北東へ入る細い脇道を50m程進み、右へ曲がった突き当りのお家の前の道路脇に駐車可能。


≪ 位置図 ≫

松ヶ島城


紹介したお城の数 99城



三重の山城ベスト50を歩く
福井 健二,竹田 憲治,中井 均
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松阪城

2013-07-19 05:09:09 | 三重県
 松阪城

2013/6/23

三重県松阪市のお城めぐり

 蒲生氏郷が総石垣造りで築城した居城 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 松阪城
よみ: マツサカ
別称: 松坂城
所在地: 三重県松阪市殿町
現状: 松阪公園
築城年代: 天正十六年(1588)
築城者: 蒲生飛騨守氏郷
形式: 平山城
遺構: 本丸上段・本丸下段・二の丸・隠居丸・きたい丸・天守台跡・敵見櫓跡・金ノ間櫓跡・太鼓櫓跡・月見櫓跡・遠見櫓跡・藤見櫓跡・鐘ノ櫓跡・助左衛門御門跡・表門跡・中御門跡・裏門跡・井戸跡・石垣・土塁・御城番屋敷
規模: 500m×600m、標高38m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2011/9/12・2013/6/23


≪ 訪城記 ≫

自宅を出て三重県松阪城へ向かう。

伊勢道松阪ICで降りて松阪インター口を直進、県道59号を東進、曲町付近で道なりに右へ曲がり、阪内川手前の五曲橋西詰信号を左折、阪内川沿いに県道757号を北東に進み、新松阪大橋北詰信号を右折、新松阪大橋を渡り、新松阪大橋南詰信号を左折、少し進み道なりに右に大きく曲がったところに松阪公園の野球グランド前に無料駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場から道沿いに南東方向に石垣沿いに歩いて表門へ、表門虎口の坂を登ると説明板と松阪城址碑があり、突き当り石垣を右坂を登ると井戸跡と歴史民俗資料館があり、資料館の入館料は100円で内部見学する。
資料館を出て坂を登ると、次の突き当り石垣が助左衛門御門跡で左へ進むと本丸下段へ行く。本丸下段には遠見櫓跡、月見櫓跡、太鼓櫓跡があり、本丸上段への虎口がある。一旦、中御門を通って二の丸、裏門へ出て隠居丸側の石垣と御城番屋敷を見に行ってから引き返し、途中、本居宣長旧宅がある隠居丸を通って本丸上段へ、本丸上段へ通じる虎口を抜けた先に本丸石碑があり、その裏側に金網を張られた井戸跡がある。井戸の右側に天守台跡と敵見櫓跡、石垣に囲まれた方形の本丸、本丸下段側に金ノ間櫓跡、井戸跡と天守台跡の間を南西に抜けるときたい丸へ、櫓跡と石垣沿いを見ながらぐるっと北へ向かうと藤見櫓跡と鐘ノ櫓跡、そのまま助左衛門御門を西へ、石垣沿いに南方向へ、きたい丸の石垣下をまわると城の南側に石垣ではなく土塁による切岸が見られる。
石垣の保存状態が非常によくすばらしいです。


≪ 歴 史 ≫

天正十二年 (1584) 近江国日野城主蒲生氏郷が松ヶ島城主として南伊勢に入る。
天正十六年 (1588) 蒲生氏郷が松坂城を築き松ヶ島城から移り、松坂としたが明治になって松阪と変わった。
天正十八年 (1590) 蒲生氏郷が会津若松へ移り、代わって翌十九年、服部采女正一忠が松阪城主となり、家臣石黒毛右衛門を城代として置く。
文禄四年 (1595) 服部一忠が関白豊臣秀次事件に連座して切腹、改易となり、代わって近江国日野城主古田兵部少輔重勝が城主となる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の役で西軍の鍋島勝茂らの攻撃を受けたが、よく防戦する。
慶長十一年 (1606) 古田重勝が江戸城普請中に病死したので弟の重治が跡を継ぎ城主となる。
元和五年 (1619) 古田重治が石見国浜田へ転封、七月、松坂領は和歌山城主徳川頼宣の所領となり、長野九左衛門を代官として置く。
明暦三年 (1657) 大久保四郎右衛門が初代松阪城代となり、以後、明治まで城代が置かれる。
寛文十二年 (1672) 三の丸に城代役所が建てられる。
寛政六年 (1794) 二の丸に紀州御殿(徳川陣屋)が建てられる。
明治十年 (1877) 不審火で紀州御殿が焼失する。


≪ 写 真 ≫


松阪城表門入口


表門の松阪城址碑


表門


表門高石垣前の松阪城址碑


表門上の井戸跡


歴史民俗資料館


助左衛門御門と鐘ノ櫓石垣


金ノ間櫓登り階段


本丸下段


中御門跡


二の丸徳川陣屋跡


月見櫓の高石垣


二の丸


裏門跡


隠居丸の高石垣


御城番屋敷


御城番屋敷の屋敷街


太鼓櫓の高石垣


隠居丸の櫓跡


本丸上段


天守台跡


敵見櫓跡


金ノ間櫓跡


きたい丸の櫓跡


天守台の高石垣


きたい丸の高石垣


きたい丸石垣下の土塁跡


二の丸東側の高石垣


二の丸北側の高石垣


現地城跡案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR紀勢本線松阪駅から徒歩約15分。
<車>
伊勢道松阪ICで降りて松阪インター口を直進、県道59号を東進、曲町付近で道なりに右へ曲がり、阪内川手前の五曲橋西詰信号を左折、阪内川沿いに県道757号を北東に進み、新松阪大橋北詰信号を右折、新松阪大橋を渡り、新松阪大橋南詰信号を左折、少し進み道なりに右に大きく曲がったところに松阪公園の野球グランド前に無料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

松阪城


御城番屋敷


松阪公園駐車場


紹介したお城の数 98城



日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社




三重の山城ベスト50を歩く
福井 健二,竹田 憲治,中井 均
サンライズ出版

槇嶋城

2013-07-15 06:08:05 | 京都府
 槇嶋城

2013/6/16

京都府宇治市のお城めぐり

 将軍足利義昭が織田信長に反旗を翻し籠城したお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 槇嶋城
よみ: マキシマ
別称: 真木嶋城・薗場城
所在地: 京都府宇治市槙島町薗場
現状: 住宅地・槇島公園
築城年代: 承久三年(1221)
築城者: 長瀬左衛門
形式: 平城
遺構:
規模: 200m×220m
文化財:
訪城日: 2010/11/2・2013/6/16


≪ 訪城記 ≫

勝竜寺城から槇嶋城へ向かう。

勝竜寺城を出てガラシャ通りを北上、長岡京駅前を通り突き当りの三叉路を右折、小畑川を渡り、見場走り三叉路信号を斜め直進、府道79号を西進、名神高速高架下をくぐり、西羽束師川を渡ってすぐの信号を左折、川沿いを北上、菱川交差点信号を右折、府道79号を西進、桂川を渡り、宇治川沿いに出て観月橋北詰信号を右折、桂川に架かる観月橋を渡って国道24号を南東へ、槙島町へ入って右に大きく曲り南下、京滋バイパスをくぐり府道69号をそのまま南下、小倉交差点信号を左折、府道249号と合流する三叉路信号を東進、府道249号をそのまま東進、付近に駐車する場所がないためコーナンの駐車場に車を駐車させてもらう。

コーナンの東側の道を北上、ユニチカの工場地を抜けて、突き当りの三叉路信号を右折、任天堂工場前の住宅街に北上する道を100m程で住宅内の緑地公園に突き当たる。この公園の入り口に槇島城址碑と説明板があるだけで、遺構などはない。
さらにこの住宅街を東に抜けて、小川沿いの道を約300m北上すると田んぼの中に槇島公園がある。この公園にも槇嶋城記念碑と説明板がある。


≪ 歴 史 ≫

承久三年 (1221) 承久の乱で後鳥羽上皇方が長瀬左衛門を槇嶋城の守備に配置している。
明応八年 (1499) 宇治・槇島の合戦で細川政元の攻撃を受け落城、文亀三年(1503)まで細川政元の居城となる。その後、赤沢宗益が城を守る。
天正元年 (1573) 将軍足利義昭が織田信長に反旗を翻し槇嶋城で籠城、七月十八日、信長軍の攻撃に城を開け渡し、足利幕府は滅びる。その後、信長は細川昭元を配した。
天正十一年 (1583) 豊臣秀吉が一柳市介に槇嶋城を守らせている。


≪ 写 真 ≫


住宅街の公園にある槇島城址碑と説明板


住宅街の公園


槇島公園


槇島公園にある記念碑と説明板


現地槇嶋城図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR奈良線宇治駅から徒歩30分。
<車>
京滋バイパス宇治東ICを降りて府道7号を南下、宇治川に架かる宇治橋を渡り、宇治橋西詰の信号を右折、宇治川沿いに府道241号を北上、約600mで堤防を左折、住宅街を西進、任天堂工場前の道を北へ入った突き当りの公園に碑がある。


≪ 位置図 ≫

槇島城址碑のある住宅街の公園


槇島公園


紹介したお城の数 97城



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