お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

駿府城

2014-05-31 06:10:25 | 静岡県
 駿府城

2014/5/4

静岡県静岡市のお城めぐり

 徳川家康晩年の隠居城

 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 駿府城
よみ: スンプ
別称: 静岡城・府内城・府内の館
所在地: 静岡県静岡市葵区駿府城公園1
現状: 駿府城公園
築城年代: 天正十七年(1589)
築城者: 徳川家康
形式: 平城
遺構: 本丸・二ノ丸・三ノ丸・復元東御門・巽櫓・坤櫓・天守台跡・内堀跡・二の丸水路・東御門橋・二ノ丸橋・北門橋・西門橋・大手御門跡・北御門跡・清水御門跡・四足御門跡・中堀・外堀・石垣・桝形虎口
規模: 800m×800m、標高35m
文化財:
訪城日: 2011/10/3・2014/5/4


≪ 訪城記 ≫

ホテルから徒歩で駿府城へ向かう。

静岡駅前の御幸通りを約600m北西に進むと外堀と石垣が見えてきて、静岡県庁への入り口が大手御門跡で石垣の桝形虎口が残る。県庁を通って北に出ると中堀が見え、駿府城公園入口の二ノ丸橋が架かっている。
まずは中堀沿いに東御門方向に一周する。復元された巽櫓の前付近には「東海道膝栗毛」の主人公弥次さん喜多さんの像があり、堀を曲がると東御門と東御門橋、東御門から二の丸水路までの間の石垣は水際までの高さで低い、北側へ周ると北御門跡と北門橋、北側も一部低い石垣がある。西側に周ると清水御門跡と西門橋、角には最近坤櫓が復元されている。
二ノ丸橋から入り、二ノ丸御門跡広場には二ノ丸御門跡と石垣サンプルがあり、坤櫓の見学もできる。入場料は100円です。東御門と巽櫓の入場料も100円です。
公園真ん中付近の本丸跡には徳川家康公鷹狩の像と家康公「手植えのみかん」、像の裏辺りが天守閣跡ですが、なにも残っていません。
東御門西側には、発掘調査で出土した内堀跡と石垣が見られ、内堀の北側にも二ノ丸水路跡が見られる。
地方検察庁西側道沿いには、石垣と四足門跡があり、静岡病院西側の外堀跡には、櫓台跡のような石垣を見られる。


駿府城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

天正十三年八月十四日 (1585) 徳川家康より、松平家忠に駿府築城の命が出される。
天正十四年十二月 (1586) 家康が浜松から駿府に移るも城は完成していない。
天正十五年四月二十五日 (1587) 本城が完成。
天正十六年五月十二日 (1588) 天守閣の工事が始まる。
天正十七年四月十日 (1589) 城の普請工事が完成する。
天正十八年 (1590) 小田原征伐後、家康は江戸に移り、駿府城には中村一氏が入る。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の戦いで中村一氏は東軍に与し、戦後、子の忠一が伯耆米子に移封され、駿府城には家康の臣内藤信成が入る。
慶長十年四月 (1605) 家康が将軍職を子秀忠に譲り、駿府を隠居城に定め、翌十一年四月、内藤氏を近江長浜に移し、十二年から修築拡張工事が天下普請で始まり、同年十月二十八日には完成したが、十二月二十三日の失火によって本丸建物が全焼し、翌十三年八月十八日に再建工事が完了する。
元和二年四月十七日 (1616) 徳川家康が七十五歳で没し、駿府城には徳川頼宣が在城するが、元和五年(1619)七月、兄秀忠の命で紀州和歌山城に移封となり、松平大隅守重勝が城代に任ぜられる。
寛永二年 (1625) 将軍家光の弟忠長が駿府城主となる。
寛永九年 (1632) 忠長が上野に蟄居を命ぜられ、以後、城代が置かれる。
寛永十二年 (1635) 火災によって天守などほとんどの建物が焼失、櫓、門は再建されるが、天守は再建されなかった。
明治元年 (1868) 徳川家達が駿府城主となるが、明治五年頃までに払い下げられる。
明治二十九年 (1896) 歩兵第三十四連隊が設置され、本丸堀が埋められる。


≪ 写 真 ≫


駿府城東御門と巽櫓


東御門入口


東御門


巽櫓


坤櫓


二ノ丸橋


二ノ丸御門跡


坤櫓城内側


駿府城本丸跡の徳川家康公鷹狩の像


徳川家康公御手植えのミカン


天守閣跡


二ノ丸内堀跡


二ノ丸水路


本丸内堀跡と石垣跡


中堀と石垣


東御門前の中堀と石垣


東御門と東御門橋


中堀東側


中堀東側と石垣


二ノ丸水路付近の石垣


北御門橋


北御門橋付近の石垣


中堀西側


坤櫓と中堀


二ノ丸御門跡付近の石垣


四足御門跡付近の石垣


外堀の櫓台跡


大手御門跡桝形虎口


外堀と石垣


現地駿府城公園案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線・東海道新幹線静岡駅から徒歩約10分。
<車>
東名高速静岡ICを降りて静岡IC入口信号を右折、インター通りを北西に進み、東海道新幹線とJR東海道本線の高架下をくぐり、南安倍交差点信号を右折、線路沿いの国道1号東海道を進み、静岡駅前信号を左折、御幸通りを北西に進み静岡県庁前に出る。付近に有料駐車場があるので利用すると良い。


≪ 位置図 ≫

駿府城(駿府城跡公園)


紹介したお城の数 223城



静岡の山城ベスト50を歩く
クリエーター情報なし
サンライズ出版




日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社

山中城

2014-05-25 06:09:24 | 静岡県
 山中城

2014/5/3

静岡県三島市のお城めぐり

 豊臣秀吉の小田原攻めの初戦で落城した後北条氏の箱根防衛の要となった山城

 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 山中城
よみ: ヤマナカ
別称:
所在地: 静岡県三島市山中新田・田方郡函南町桑原
現状: 山中城跡公園
築城年代: 永禄年間(1558-70)
築城者: 北条氏康
形式: 山城
遺構: 本丸・天守台・二ノ丸(北条丸)・三ノ丸・北の丸・西ノ丸・御馬場曲輪・岱崎出丸・すりばち曲輪・帯曲輪・元西櫓跡・西ノ丸物見台・西櫓跡・障子堀・畝堀・一ノ堀・三ノ丸堀・出丸御馬場堀・二ノ丸橋・本丸西橋・本丸北橋・堀・土塁・田尻の池・箱井戸・溜池・弾薬庫跡・兵糧庫・堀切
規模: 400m×800m、標高585m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2012/7/21・2014/5/3


≪ 訪城記 ≫

自宅を出て山中城へ向かう。

新東名高速長泉沼津ICで降りて東駿河湾環状道路を北東へ道なりに進み、三島塚原IC信号を左折、国道1号を北東に箱根方面に峠道を進み、峠の中腹で山中城跡案内所のあるところの道の両側に駐車場がある。道の左側に駐車場に車を駐車する。

駐車場に西側に説明板があり、ここから北に三ノ丸堀が綺麗な形でよく残っている。登っていくと田尻の池と箱井戸に着き、西ノ丸方向に登る。元西櫓下の堀を通り、二の丸と西ノ丸の間の堀切と土橋を見ながら、土塁で囲まれた広い西ノ丸へ入ると西の奥が高く斜面となっていて奥に物見台がある。さらに西には障子堀を間に角馬出の西櫓跡がある。
西ノ丸と西櫓の周りには緑の芝が植わった見事な障子堀と畝堀が印象的で、ちょうど咲いているツツジの赤と相まって、まるで庭園に来ているような雰囲気でとても美しい。
西櫓跡の西側畝堀外の帯曲輪に山中城趾碑が建っている。
溜池側から堀切を登って元西櫓跡、二ノ丸虎口を通って二ノ丸(北条丸)へ入る。二ノ丸は北から南へ傾斜していて西と東に物見台がある。本丸との間にも畝堀がみられる。
本丸は南に三段の曲輪で、一番下の曲輪に兵糧庫と弾薬庫跡があり、本丸の北東に天守台跡がある。北の丸との間には深い堀が横たわり、北の丸橋を渡って土塁に囲まれた北の丸へ入る。北の丸の周りはとても深い堀に囲まれている。
箱井戸に戻り、南へ抜けると宗閑寺があり、この寺に北条方と豊臣方の戦没武将の墓碑がひっそりと並んでいる。
国道1号の信号を渡り岱崎方面へ、案内所の裏側に御馬場曲輪、岱崎出丸、すりばち曲輪と連なり、北西側の斜面の一ノ堀も畝堀で緑の芝がとても美しい。見ると、とても感動します。


山中城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

永禄年間 (1558-70) 築城の時期につては分かっていないが、北条氏康の時に小田原城を守る箱根口の関門として築かれ、玉繩城主北条氏勝を城主とし、松田右兵衛大夫康長が城番となった。
天正十五年(1587)頃から豊臣秀吉軍の来攻を予想して増強を行っている。
天正十七年十二月 (1589) 岱崎を取り入れ郭を増強する。大改修は落城まで続けられ未完のところもあったようです。
天正十八年三月 (1590) 豊臣秀吉軍が伊豆に侵攻を開始し、韮山城と山中城を包囲した。三月二十九日、豊臣秀次を総大将に七万の大軍で山中城を一気に攻めたて守将松田康長ほか諸将が討死して、わずか半日で落城した。


≪ 写 真 ≫


山中城西ノ丸北西の障子堀


本丸


天守台


本丸下の段曲輪


本丸と北の丸の間の堀


北の丸


北の丸の深い堀


本丸と二ノ丸の間の畝堀


二ノ丸


二ノ丸櫓台


元西櫓と奥に西ノ丸


山中城趾碑


西櫓西側の畝堀


西櫓角馬出


西ノ丸と西櫓の間の障子堀


西ノ丸南側の畝堀


障子堀


西ノ丸


三ノ丸堀


出丸御馬場曲輪


出丸御馬場堀


一ノ堀


ツツジで書かれた山中城跡


岱崎出丸


すりばち曲輪見張台


すりばち曲輪


すりばち曲輪虎口


箱井戸跡


宗閑寺の北条方武将と豊臣方武将の墓


現地山中城跡案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR東海道本線・東海道新幹線三島駅南口から沼津登山東海バス「元箱根港行き」で約30分「山名城跡」下車すぐ。
<車>
新東名高速長泉沼津ICで降りて東駿河湾環状道路を北東へ道なりに進み、三島塚原IC信号を左折、国道1号を北東に箱根方面に峠道を進み、峠の中腹で山中城跡案内所のあるところの道の両側に駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

山中城(山中城跡公園)


岱崎出丸


紹介したお城の数 222城



静岡の山城ベスト50を歩く
クリエーター情報なし
サンライズ出版




日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社

津山城

2014-05-24 05:59:54 | 岡山県
 津山城

2014/4/29

岡山県津山市のお城めぐり

 森蘭丸の末弟森忠政が本格的な築城をした居城

 日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 津山城
よみ: ツヤマ
別称: 鶴山城
所在地: 岡山県津山市山下
現状: 鶴山公園
築城年代: 嘉吉元年(1441)
築城者: 山名忠政
形式: 平山城
遺構: 本丸・二の丸・三の丸・天守台・復元備中櫓・櫓跡・表鉄門跡・裏鉄門跡・切手門跡・四脚門跡・冠木門跡・五番門跡・七番門跡・虎口・土塀・大井戸跡・井戸跡・高石垣・薬研堀
規模: 600m×1,100m
文化財: 国指定史跡
訪城日: 2011/8/3・2014/4/29


≪ 訪城記 ≫

ホテルを出て津山城へ向かう。

国道53号を北上、岡山地方裁判所交差点信号を直進、県道27号を北上、山陽本線と山陽新幹線の高架下をくぐり、大和町交差点信号を左折、岡山県総合グラウンド前を通り、国道53号を西進、山陽道岡山IC入口三叉路信号を右折、国道53号岡山北バイパスを北上、岡山IC入口を通り越し、山陽道高架下をくぐり、吉宗付近で大きく右に曲がってから今度は左に曲がり、辛香トンネルを通り、トンネル出口で大きく右に曲がり、今度は左に曲がり北上、かつらぎ橋信号を直進、旭川沿いに大きく曲り、そのまま国道53号岡山街道を北上、津山市皿三叉路信号をほぼ直進、一方三叉路信号を直進、国道53号出雲街道を東進、津山駅前を通り、南町信号で吉井川に架かる橋を渡り北上、鶴山西口交差点信号を右折して突き当りを左折したら津山城有料駐車場がある。ここに車を駐車する。

駐車場の東側が津山城で高石垣がすばらしい。山裾沿いに南へ歩き、道なりに石垣沿いに東へ曲がった先に入口があり、冠木門跡前に入場券売場がある。入場料300円です。
冠木門跡横に津山城趾碑があり、広い石段から入ると三の丸で素晴らしい高石垣が迎えてくれる。高石垣に見とれながら石段の桝形虎口を登っていくと二の丸入口の四脚門跡に出る。ここから復元備中櫓を見上げながら切手門跡を通り、表鉄門跡へ、横から眺める備中櫓もいい。鉄門を入ると本丸で、東側の太鼓櫓跡、矢切櫓跡、月見櫓跡と続く大きな要塞のような石垣群は圧巻です。本丸西側には復元備中櫓、その奥に天守台の石垣がある。裏鉄門跡から降りていくと本丸下へ出て、西側の高石垣が見られる。


津山城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

嘉吉年間 (1441-44) 山名忠政が築城する。
慶長八年 (1603) 信濃川中島城主森忠政が入部し、本格的な築城を始める。
元和二年 (1616) 津山城が完成する。
元禄十年 (1697) 森氏が四代続いたが、森長成が死去し、嗣子なく改易となる。
元禄十一年 (1698) 松平越前守宣富が津山城主となり、以後、九代にわたって在城する。
明治二年 (1869) 徳川慶倫が版籍奉還し、津山城は明治三年(1870)に廃城となる。
平成十七年 (2005) 備中櫓が復元される。


≪ 写 真 ≫


津山城復元備中櫓


南西から見た備中櫓


天守台


天守台から見た備中櫓と天守虎口


天守台石垣


月見櫓石垣


本丸東側石塁の合雁木石垣


太鼓櫓石垣


表鉄門跡から見た備中櫓


表鉄門跡


石塁の東側


本丸東側石塁


石塁の南側


切手門跡


本丸北側の高石垣


天守台下の段石垣


本丸常用の井戸


本丸大井戸跡


裏鉄門跡石垣


裏鉄門跡


栗積櫓跡石垣


裏門石垣


西側高石垣


表門石段


表門石垣


冠木門跡


津山城趾碑


入口の石垣

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR津山線津山駅から徒歩約15分。
<車>
中国道津山ICで降りて津山インター信号を左折、国道53号出雲街道を西進、東津山駅前を通り過ぎ、吉井川沿いに進み船頭町交差点信号を右折し北上、鶴山西口交差点信号を右折して突き当りを左折したら津山城有料駐車場がある。


≪ 位置図 ≫

津山城(鶴山公園)


紹介したお城の数 221城



日本100名城公式ガイドブック―日本の文化遺産「城」を見に行こう (歴史群像シリーズ)
福代徹,日本城郭協会
学習研究社




レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版
來本 雅之
山川出版社

庭瀬城

2014-05-21 05:51:53 | 岡山県
 庭瀬城

2014/4/28

岡山県岡山市のお城めぐり

 関ヶ原の合戦の戦功によって戸川達安が築いた庭瀬藩の居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 庭瀬城
よみ: ニワセ
別称: 御陣屋
所在地: 岡山県岡山市北区庭瀬
現状: 清山神社・八幡宮
築城年代: 慶長五年(1600)以後
築城者: 戸川達安
形式: 平城
遺構: 郭・堀・石垣
規模: 200m×200m
文化財:
訪城日: 2014/4/28


≪ 訪城記 ≫

撫川城から徒歩で庭瀬城に向かう。

撫川城入口を南に進み、住宅街の突き当りを左折、約60m東進した突き当りを左折、約80m北上したT字路を右折、約80m東進したところの右側に池のような堀のある庭瀬城があり、入口の北側、案内図のある前に駐車スペースがある。

堀と石垣のある浮島が庭瀬城跡で入口に説明板と庭瀬城址碑があり、八幡宮が鎮座している。南側に架かる石垣の橋を渡った西奥に清山神社がある。


≪ 歴 史 ≫

慶長五年 (1600) 関ヶ原の合戦の戦功で戸川達安が入部して、撫川城を広げて古城の東に築城する。その後、四代の安風に嗣子なく改易となる。
天和三年 (1683) 久世重之が下総関宿から入部する。
貞享三年 (1686) 久世氏が丹波亀山に移封となる。
元禄六年 (1693) 松平信通が大和興留から入部する。
元禄十年 (1697) 松平氏が出羽上山に転封となる。
元禄十二年 (1699) 板倉重高が上総高滝から入部して明治維新まで板倉氏の居城となる。


≪ 写 真 ≫


庭瀬城入口


庭瀬城址碑


八幡宮


清山神社


清山神社からの橋の石垣


西から見た橋と石垣


西から見た庭瀬城


現地案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陽本線庭瀬駅から徒歩約5分。
<車>
岡山道岡山総社ICを降りて国道180号を東進、小山三叉路信号を直進してすぐに大きく右に曲がり、JR吉備線備中高松駅を過ぎ、国道180号を南東へ進み、山陽道高架下をくぐり、板倉三叉路信号をほぼ直進の斜め右を進み県道245号を約900m南下した県道389号へ行く三叉路を右折、県道389号を約700m西進した信号のある三叉路を左折、県道389号を南下、山陽新幹線高架下をくぐり、突き当りの三叉路信号を左折、約150m東進したら右折して細い路地の住宅街の道を約120m南下、突き当りを左折、すぐに右折してさらに細い路地を南下、下東城之内公民館角の突き当りを左折、すぐに右折して太鼓橋を渡って左折、クランクして南下すると左側に撫川城の堀が見える。突き当りを左折して約80m東進すると撫川城があり、入口を南に進み、住宅街の突き当りを左折、約60m東進した突き当りを左折、約80m北上したT字路を右折、約80m東進したところの右側に池のような堀のある庭瀬城があり、入口の北側、案内図のある前に駐車スペースがある。


≪ 位置図 ≫

庭瀬城(清山神社)


紹介したお城の数 220城



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撫川城

2014-05-20 06:26:29 | 岡山県
 撫川城

2014/4/28

岡山県岡山市のお城めぐり

 毛利氏の備前宇喜多氏に対抗する境目城

≪ お城の概要 ≫

城名: 撫川城
よみ: ナツカワ
別称: 高下ノ城・芝揚城・泥城・小倉城
所在地: 岡山県岡山市北区撫川
現状: 撫川城址公園・三神社
築城年代: 寛治年間(1087-94)
築城者: 藤井久任
形式: 平城(沼城)
遺構: 本丸・石垣・堀・土塁跡
規模: 100m×70m
文化財: 県指定史跡
訪城日: 2014/4/28


≪ 訪城記 ≫

備中高松城から撫川城へ向かう。

高松城水攻築堤跡の蛙ヶ鼻を出て、来た細い道を戻り、JR吉備線踏切を渡った歩道橋のある交差点を左折、国道180号を南東へ進み、山陽道高架下をくぐり、板倉三叉路信号をほぼ直進の斜め右を進み県道245号を約900m南下した県道389号へ行く三叉路を右折、県道389号を約700m西進した信号のある三叉路を左折、県道389号を南下、山陽新幹線高架下をくぐり、突き当りの三叉路信号を左折、約150m東進したら右折して細い路地の住宅街の道を約120m南下、突き当りを左折、すぐに右折してさらに細い路地を南下、下東城之内公民館角の突き当りを左折、すぐに右折して太鼓橋を渡って左折、クランクして南下すると左側に撫川城の堀が見える。突き当りを左折して約80m東進すると撫川城入口にある公園前に駐車スペースがある。ここに車を駐車する。

撫川城は堀と石垣に囲まれた本丸跡に入口に門があり、門をくぐった右手に説明板とパンフレットが置いてある。中央には三神社があり、北側と東側に土塁らしき盛り上がりが一部残る。


≪ 歴 史 ≫

寛治年間 (1089-94) 藤井久任が築城したとも、平清盛の家臣妹尾太郎兼康の一族が居城したとも言われている。
天正以前に三村氏の持城となる。
天正年間 (1573-92) 城主伊賀左衛門尉久が切腹したあと、毛利氏の城代として上山兵庫介、植民部大輔が在城したと言われている。
天正十年 (1582) 羽柴秀吉によって落城する。落城後は宇喜多氏の部将が城番として在城する。
慶長五年 (1600) 関ヶ原の戦いの戦功で戸川達安の所領となり、撫川城の東に陣屋が構えられ、以後も城域として利用されたようです。


≪ 写 真 ≫


撫川城入口の門


堀と石垣


西側の堀と石垣


三神社


東側の土塁跡


太鼓橋


現地案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR山陽本線庭瀬駅から徒歩約10分。
<車>
岡山道岡山総社ICを降りて国道180号を東進、小山三叉路信号を直進してすぐに大きく右に曲がり、JR吉備線備中高松駅を過ぎ、国道180号を南東へ進み、山陽道高架下をくぐり、板倉三叉路信号をほぼ直進の斜め右を進み県道245号を約900m南下した県道389号へ行く三叉路を右折、県道389号を約700m西進した信号のある三叉路を左折、県道389号を南下、山陽新幹線高架下をくぐり、突き当りの三叉路信号を左折、約150m東進したら右折して細い路地の住宅街の道を約120m南下、突き当りを左折、すぐに右折してさらに細い路地を南下、下東城之内公民館角の突き当りを左折、すぐに右折して太鼓橋を渡って左折、クランクして南下すると左側に撫川城の堀が見える。突き当りを左折して約80m東進すると撫川城入口にある公園前に駐車スペースがある。


≪ 位置図 ≫

撫川城(撫川城址公園)


紹介したお城の数 219城



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