お城へ行こう!

気ままなお城めぐりの旅の記録と写真を公開しています。

楽田城

2014-12-01 05:52:33 | 愛知県
 楽田城

2014/10/18

愛知県犬山市のお城めぐり

 小牧・長久手合戦で羽柴秀吉方の堀秀政が守ったお城

≪ お城の概要 ≫

城名: 楽田城
よみ: ガクデン
別称:
所在地: 愛知県犬山市城山
現状: 楽田小学校
築城年代: 永正元年(1504)頃
築城者: 織田久長
形式: 平城
遺構:
規模: 72m×97m
文化財:
訪城日: 2011/2/23・2014/10/18


≪ 訪城記 ≫

羽黒城から楽田城に向かう。

するすみふれあい広場駐車場を出て県道27号を南下、若宮交差点信号を左折、県道177号を西進してすぐ名鉄犬山線楽田駅北側の踏切を渡り、すぐに右折して楽田駅前を通って駅前の細い道を南下、約50mで道が左に小さく曲り、さらに約200m南下した突き当りを右折する角の東側に楽田城跡の楽田小学校がある。この突き当り角に楽田城趾碑と説明板があるのみです。
車は楽田小学校の駐車場に駐車させてもらいました。


≪ 歴 史 ≫

永正元年 (1504) 頃に尾張守護代織田氏一族の織田久長が築城したと言われている。
永禄元年 (1558) 城中に高さ約5mの壇を築き、その上に櫓を建て中央に座敷を設ける。これが天守閣の始まりと言われている
永禄年間 (1558-70) 犬山城の織田(津田)信清に攻略されたが、のちに織田信長が奪って坂井政尚を守将とする。
元亀元年 (1570) 近江堅田の合戦で坂井政尚が討死し、代わって梶川高盛が楽田城主となる。
天正十二年 (1584) 小牧・長久手合戦で小牧山城の徳川家康本陣に対し、羽柴秀吉は楽田城に堀秀政を配している。のちに秀吉が犬山城から楽田城に移るが終戦後に廃城となる。


≪ 写 真 ≫


楽田城趾碑


楽田小学校入口の楽田城趾碑

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄犬山線楽田駅から徒歩約5分。
<車>
東名高速小牧ICで降りて国道41号を北上、村中交差点信号を右折、国道155号を東進、小牧原交差点信号を左折、県道102号木曽街道を北上、県道27号木曽街道を北上して犬山市に入り、若宮交差点信号を右折、県道177号を西進してすぐ名鉄犬山線楽田駅北側の踏切を渡り、すぐに右折して楽田駅前を通って駅前の細い道を南下、約50mで道が左に小さく曲り、さらに約200m南下した突き当りを右折する角の東側に楽田城跡の楽田小学校がある。この突き当り角に楽田城趾碑がある。


≪ 位置図 ≫

楽田城(楽田小学校)


紹介したお城の数 309城



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羽黒城

2014-11-30 06:27:16 | 愛知県
 羽黒城

2014/10/18

愛知県犬山市のお城めぐり

 小牧・長久手合戦のときに梶原氏代々の居館を修復した城砦

≪ お城の概要 ≫

城名: 羽黒城
よみ: ハグロ
別称: 梶原館
所在地: 愛知県犬山市羽黒城屋敷
現状: 竹林・興禅寺・住宅街
築城年代: 建仁年間(1201-04)
築城者: 梶原景親
形式: 平城
遺構: 土塁・堀
規模:
文化財:
訪城日: 2011/2/23・2014/10/18


≪ 訪城記 ≫

犬山城から羽黒城へ向かう。

犬山城有料駐車場を出て犬山城前を東進、郷瀬川を渡った三叉路を左折、すぐの三叉路を右折、一方通行を東進して内田交差点信号を右折、県道27号を南下、犬山市役所前を通り、国道41号高架下をくぐり、市民文化会館南側のするすみふれあい広場駐車場に車を駐車する。

するすみふれあい広場の南側の道を約100m西進して左折、約140m南下した興禅寺敷地の北東角に土塁跡が残る。この興禅寺北東角の案内板のある交差点を東進、アパートの間の道を進むと竹藪の前に説明板があり、そのまま少し東進した民家角付近に古い説明板がある。この古い説明板から北の竹藪内に入り、真ん中の土塁上を西へ入った丘上に羽黒城趾碑が建てられている。
土塁上を東に進み、竹藪の切れ間を北に出ると東西に堀跡が残る。
北側の竹藪内にも土塁跡が残る。
興禅寺は羽黒梶原氏の菩提寺で、西の墓地に梶原景時公、梶原景義公、小笠原吉次公の供養塔がある。


≪ 歴 史 ≫

建仁年間 (1201-04) 建仁元年(1201)、梶原景時、景高父子が鎌倉幕府に誅殺され、逃れた一子豊丸が景親と名を改め館を築き、代々居住する。
天正十年 (1582) 景親から十七代孫の茂助景義が織田信長に仕えたが、本能寺の変で討死、羽黒梶原氏は断絶して城は荒廃する。
天正十二年 (1584) 小牧・長久手合戦のときに秀吉が廃墟となっていた梶原館を修築、山内一豊、堀尾吉晴に守らせるが、終戦とともに廃城となる。


≪ 写 真 ≫


羽黒城趾碑


堀跡


土塁跡


北側の竹藪内の土塁跡


興禅寺北東角の土塁跡


興禅寺北東角


羽黒城入口


興禅寺


梶原景時公、梶原景義公、小笠原吉次公供養塔


現地羽黒城趾周辺案内図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄小牧線羽黒駅から徒歩約10分。
<車>
東名高速小牧ICで降りて国道41号を北上、村中交差点信号を右折、国道155号を東進、小牧原交差点信号を左折、県道102号木曽街道を北上、県道27号木曽街道を北上して犬山市に入り、羽黒交差点信号を約300m北上した道の左側のするすみふれあい広場駐車場に駐車すると良い。するすみふれあい広場の南側の道を約100m西進して左折、約140m南下した興禅寺敷地と興禅寺北東角の交差点を東進、アパートの間の道を進んだ竹藪が羽黒城跡です。


≪ 位置図 ≫

羽黒城


興禅寺


紹介したお城の数 308城



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木ノ下城

2014-11-29 05:56:51 | 愛知県
 木ノ下城

2014/10/18

愛知県犬山市のお城めぐり

 尾張国守護斯波氏の臣織田広近が築き、四代子孫信康が犬山城を築いて移るまでの居城

≪ お城の概要 ≫

城名: 木ノ下城
よみ: キノシタ
別称:
所在地: 愛知県犬山市犬山愛宕
現状: 愛宕神社
築城年代: 文明元年(1469)
築城者: 織田広近
形式: 平城
遺構: 金明水
規模: 200m×350m
文化財:
訪城日: 2011/2/23・2014/10/18


≪ 訪城記 ≫

犬山城を木曾川沿いに一周するときに鵜沼城に拠り、続いて木ノ下城城に拠る。

鵜沼城付近の犬山橋北詰から犬山橋を渡り、名鉄犬山遊園駅前を通って県道27号を南下、郷瀬川を渡り、犬山駅前を過ぎ犬山市役所前信号から約75mの角を右折、約30mで愛宕神社前に着く。
愛宕神社鳥居の西側に小さな木ノ下城城趾碑があり、北奥の社殿前に説明板と金明水という古い井戸が残る。


≪ 歴 史 ≫

文明元年 (1469) 尾張国守護斯波氏の臣織田広近が木ノ下城城を築き、小口城から移り初代城主となる。
天文六年 (1537) 織田広近の四代子孫織田信康(織田信長の叔父)が犬山城を築いて移り、木ノ下城城は廃城となる。


≪ 写 真 ≫


木ノ下城城説明板と金明水


木ノ下城城趾碑


愛宕神社


金明水

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄犬山駅から徒歩約10分。
<車>
東名高速小牧ICで降りて国道41号を北上、村中交差点信号を右折、国道155号を東進、小牧原交差点信号を左折、県道102号木曽街道を北上、県道27号木曽街道を北上して犬山市に入り、国道41号高架下をくぐり、犬山市役所前三叉路信号を右折、犬山市役所有料駐車場を利用すると良い。ここから徒歩約5分で木ノ下城城跡の愛宕神社に着く。


≪ 位置図 ≫

木ノ下城城(愛宕神社)


紹介したお城の数 307城



ビジュアル・ワイド 日本名城百選
村田 修三,村田 修三
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新・日本名城100選 (新100選シリーズ)
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犬山城

2014-11-27 06:01:27 | 愛知県
 犬山城

2014/10/18

愛知県犬山市のお城めぐり

 織田信長の叔父織田信康によって築かれた尾張徳川家付家老成瀬氏代々の居城

 国宝  現存12天守   日本100名城

≪ お城の概要 ≫

城名: 犬山城
よみ: イヌヤマ
別称: 白帝城
所在地: 愛知県犬山市犬山北古券
現状: 国宝犬山城・針綱神社・三光稲荷神社・猿田彦神社・犬山神社
築城年代: 天文六年(1537)
築城者: 織田信康
形式: 平山城
遺構: 現存天守閣・本丸・杉ノ丸・桐ノ丸・樅ノ丸・松ノ丸・小銃櫓・本丸門・岩坂門跡・黒門跡・松ノ丸門跡・矢来門跡・中御門跡・空堀・石垣・大手道
規模: 標高85m
文化財: 国宝天守閣
訪城日: 2011/2/23・2011/11/30・2014/10/18


≪ 訪城記 ≫

自宅から犬山城に向かう。

東名高速小牧ICで降りて国道41号を北上、村中交差点信号を右折、国道155号を東進、小牧原交差点信号を左折、県道102号木曽街道を北上、県道27号木曽街道を北上して犬山市に入り、国道41号高架下をくぐり、犬山駅西交差点信号を左折、県道183号西進、本町交差点信号を右折、北上して犬山市文化資料館前を通って針綱神社前の交差点を左折、犬山体育館南側の有料駐車場に車を駐車する。一方通行の規制があるので注意。

犬山神社前を通って犬山体育館東の広場から大手道を登る。体育館南東隅に観光案内所がある。
大手道入口右側には大きな国宝犬山城址碑の石がある。
大手道に入ってすぐの左側に中御門跡、右にクランクするところの左側に空堀跡、三光稲荷神社を過ぎてすぐの右側に矢来門跡、松ノ丸門跡、黒門跡礎石、左にクランクする右側に針綱神社のある桐ノ丸、さらに登ると右側に発券所、左側に小銃櫓の石垣、入場料は500円、入口の本丸門をくぐり本丸に入ると目の前に国宝犬山城天守閣がある。
本丸右側奥に七曲門跡、中央に記念碑があり、前には少ないが可憐な桜の花が咲いてました。
天守閣から木曾川を沿いに見ると右側に鵜沼城跡の断崖、左側には伊木城の伊木山が見える。
犬山城を出て木曾川に架かるライン橋を通り、対岸を一周する。対岸から見る犬山城は、木曾川に突き出た断崖の上に建てられていて別名白帝城と呼ばれるほどのすばらしい景観を成していてとても満足です。


犬山城の詳細は ……… ここをクリック

≪ 歴 史 ≫

天文六年 (1537) 織田信長の叔父織田信康が木之下城から移築して犬山城を築く。
永禄八年 (1565) 織田信長の美濃攻略時に織田信康の子信清が美濃斎藤氏と通じたため、信長に城を追われる。
元亀元年 (1570) 池田恒興が城主となる。その後、城主は織田信房、中川定成と続く。
天正十二年 (1584) 小牧・長久手の合戦で池田恒興の急襲に遭い落城、秀吉方の本陣となる。以後、城主は加藤氏、武田氏、土方氏、三輪氏と交替する。
文禄四年 (1595) 石川貞清が城主となる。
慶長五年 (1600) 関ヶ原合戦で犬山城主石川貞清が西軍に与して所領を失う。戦後、小笠原吉次が入る。
慶長十二年 (1607) 尾張徳川家初代の徳川家康九男義直が尾張を領し、補佐役の平岩親吉が犬山城に入るが慶長十六年(1611)、親吉が没し、無嗣除封となる。
元和二年 (1616) 尾張徳川家付家老成瀬正成が犬山城主となり、以後、九代世襲して明治維新となる。
明治五年 (1872) 廃城となる。


≪ 写 真 ≫


犬山城天守


犬山城天守正面から


犬山城天守左下から


犬山城天守付櫓


本丸


伊木城方面


鵜沼城方面


木曾川からの犬山城


木曾川からの犬山城天守


空堀


記念碑


大杉様


記念碑前の桜


七曲門跡


小銃櫓


本丸門


小銃櫓石垣


大手道


黒門礎石


国宝犬山城趾碑


大手道入口

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
名鉄犬山線犬山遊園駅から徒歩約15分。
<車>
東名高速小牧ICで降りて国道41号を北上、村中交差点信号を右折、国道155号を東進、小牧原交差点信号を左折、県道102号木曽街道を北上、県道27号木曽街道を北上して犬山市に入り、国道41号高架下をくぐり、犬山駅西交差点信号を左折、県道183号西進、本町交差点信号を右折、北上して犬山市文化資料館前を通って針綱神社前の交差点を左折、犬山体育館南側の有料駐車場を利用すると良い。一方通行の規制があるので注意。


≪ 位置図 ≫

犬山城


紹介したお城の数 305城



日本100名城めぐりの旅―7つの「城の楽しみ方」でお城がもっと好きになる!
萩原 さちこ
学研パブリッシング




坂東三津五郎 粋な城めぐり 角川SSC新書 (角川SSC新書)
坂東 三津五郎
角川マガジンズ(角川グループパブリッシング)

野田館

2014-03-03 06:47:00 | 愛知県
 野田館

2014/2/16

愛知県新城市のお城めぐり

 千秋氏、富永氏を経て菅沼定則の居館

≪ お城の概要 ≫

城名: 野田館
よみ: ノダ
別称:
所在地: 愛知県新城市野田入畑
現状: 畑
築城年代: 十一世紀終わり頃
築城者: 千秋清季
形式: 居館
遺構:
規模:
文化財:
訪城日: 2014/2/16


≪ 訪城記 ≫

野田城から野田館へ向かう。

野田城西側に道を南下、突き当りの三叉路を右折、西進した川田交差点信号を斜め左折、国道151号伊那街道を南西に進み、川田下側交差点信号を左折、大きく曲がって東進、道なりに左へ曲がり、次を右へ曲って東進、約1kmで川を渡り、約200m進んで右折、川沿いに南下、約100mで川を渡り左折、約200m進んだ道の北側に説明板があり、道が曲がる地点の空き地に車を駐車する。

畑の中に説明板があるのみで遺構はない。


≪ 歴 史 ≫

十一世紀終わり頃に千秋氏の祖、藤原季兼の三代清季が野田館を設け千秋氏を名乗る。千秋氏六代(238年間)を経て、富永氏に代わる。富永氏も七代(175年間)ののち田峯から菅沼定則が入るが、野田城を築いて移る。

≪ 写 真 ≫


野田館説明板付近


現地野田館説明板館の図(リンク付サムネイル)

≪ アクセス ≫

<公共交通機関>
JR飯田線野田城駅から約2.0km、約40分。
<車>
東名高速豊川ICで降りて国道151号伊那街道を北上、川田下側交差点信号を右折、大きく曲がって東進、道なりに左へ曲がり、次を右へ曲って東進、約1kmで川を渡り、約200m進んで右折、川沿いに南下、約100mで川を渡り左折、約200m進んだ道の北側に説明板があり、道が曲がる地点の空き地に車を駐車可能。


≪ 位置図 ≫

野田館


紹介したお城の数 190城



レンズが撮らえた幕末日本の城―永久保存版
來本 雅之
山川出版社