111006.tur.
新宿ピカデリーで「エンディングノート」を観る。
モーレツに働いて日本の礎を築いて、
これから充実した余生を・・と思った矢先の発病。
人生って、ほんと、思うようにはいかないもの。
しかし、それなら自分で納得する最後の幕引きを、と思った
砂田さんの人生礼賛の映画である。
その背中を黙って追いかける、次女(=監督)のカメラのなんて温かい視線。
父の言葉は娘の声を借りて、観客の心に響いてくる。
企業戦士だった自負と家族への愛情が、ストレートに届く。
だからこそ、リアリティあふれた映画になっているのだ。
最期まで家族のことを思い、葬儀の段取りまでして
人生の幕を引くということは
だれもがそうしたいと思いながらなかなかできないだろう。
事務的なことから、キリスト教に改宗すること、
家族へのさよならを悔いのないように言うことまで、
残された日々、砂田さんは奔走する。
溺愛する孫達に「いつだってじいじは、見守っているよ」と。
95歳で一人で暮らす母親へは「先に逝くよ。ごめん」と。
「言い残すことはもうないか?」という長男へは
「何かあったら、ケータイで」というユーモアも忘れない。
中でも印象的だったのは、やはり夫婦関係。
喧嘩もよくし、退職後は週末婚に切り替えた結果、
とてもいい関係になれたと思ったら、夫の突然の発病。
妻は、最初それを受け止めきれない。
なんて自分勝手な、という気持ちが先に立つだろうなあ、と思う。
そんな二人の、最後の場面は本当にまるで映画のようだった。
初めて言った「愛している」という言葉。
「逝かないで。一緒に逝きたい」と声をふりしぼる妻。
両隣にいた男性は、早いうちから鼻をすすっていた。
砂田さんのお知り合いだったのかもしれない。
今はもうこの世にいないひとが
かつての元気な笑顔で、こんなふうに登場されたら、
想いがあふれてたまらないだろう。
その後は、砂田さんの友人だったという
H氏とI氏とともに新橋へ。
3人でよく飲んだという店に連れていっていただき
砂田さんのご冥福をお祈りして、乾杯。
「彼は何も言わなかったけれど、今思えば
一緒に飲んだあの日は病気がわかった後だったのか」と
お二人もしみじみ杯を重ねる。
いいお友達に恵まれて、だからこそ
自分の死で友の生活を煩わすことをしたくないという
優しさと強さをあわせ持ち、
最後は近親者のみで送られたという砂田さん。
きっとお幸せだったでしょうね。
心からご冥福をお祈りします。
余談だが、
「死ぬまでにしたい10のこと」という映画が何年か前に公開されて、
乳がんの手術をしてまだ間もなかった私は
身につまされたのだった。
そんな記憶が蘇ったが、2001.09.11の手術から10年経って
こんな歌を作った。
メメント・モリ
いつか来る自分の死を
自分で選びとる
その日のために
今日も生きていく
新宿ピカデリーで「エンディングノート」を観る。
モーレツに働いて日本の礎を築いて、
これから充実した余生を・・と思った矢先の発病。
人生って、ほんと、思うようにはいかないもの。
しかし、それなら自分で納得する最後の幕引きを、と思った
砂田さんの人生礼賛の映画である。
その背中を黙って追いかける、次女(=監督)のカメラのなんて温かい視線。
父の言葉は娘の声を借りて、観客の心に響いてくる。
企業戦士だった自負と家族への愛情が、ストレートに届く。
だからこそ、リアリティあふれた映画になっているのだ。
最期まで家族のことを思い、葬儀の段取りまでして
人生の幕を引くということは
だれもがそうしたいと思いながらなかなかできないだろう。
事務的なことから、キリスト教に改宗すること、
家族へのさよならを悔いのないように言うことまで、
残された日々、砂田さんは奔走する。
溺愛する孫達に「いつだってじいじは、見守っているよ」と。
95歳で一人で暮らす母親へは「先に逝くよ。ごめん」と。
「言い残すことはもうないか?」という長男へは
「何かあったら、ケータイで」というユーモアも忘れない。
中でも印象的だったのは、やはり夫婦関係。
喧嘩もよくし、退職後は週末婚に切り替えた結果、
とてもいい関係になれたと思ったら、夫の突然の発病。
妻は、最初それを受け止めきれない。
なんて自分勝手な、という気持ちが先に立つだろうなあ、と思う。
そんな二人の、最後の場面は本当にまるで映画のようだった。
初めて言った「愛している」という言葉。
「逝かないで。一緒に逝きたい」と声をふりしぼる妻。
両隣にいた男性は、早いうちから鼻をすすっていた。
砂田さんのお知り合いだったのかもしれない。
今はもうこの世にいないひとが
かつての元気な笑顔で、こんなふうに登場されたら、
想いがあふれてたまらないだろう。
その後は、砂田さんの友人だったという
H氏とI氏とともに新橋へ。
3人でよく飲んだという店に連れていっていただき
砂田さんのご冥福をお祈りして、乾杯。
「彼は何も言わなかったけれど、今思えば
一緒に飲んだあの日は病気がわかった後だったのか」と
お二人もしみじみ杯を重ねる。
いいお友達に恵まれて、だからこそ
自分の死で友の生活を煩わすことをしたくないという
優しさと強さをあわせ持ち、
最後は近親者のみで送られたという砂田さん。
きっとお幸せだったでしょうね。
心からご冥福をお祈りします。
余談だが、
「死ぬまでにしたい10のこと」という映画が何年か前に公開されて、
乳がんの手術をしてまだ間もなかった私は
身につまされたのだった。
そんな記憶が蘇ったが、2001.09.11の手術から10年経って
こんな歌を作った。
メメント・モリ
いつか来る自分の死を
自分で選びとる
その日のために
今日も生きていく
そうでしたか。
すばらしいお母様ですね。
自分の人生のデザインができるということは
それだけ納得した生き方をされてきたということでもあるのでしょう。
いざとなったらなかなかできない・・・というほうが圧倒的に多いような気もします。
先日、健康保険証が届き、裏を見たら
「臓器移植提供の意思の有無」を書き込む欄が
今回初めてありました。
まだ書き込んでないですが、考えてしまいました・・・。
特集、読んでくださって
すぐにお電話をくださって
ありがとうございました!
嬉しかったです~!!!
あの手術があって、
いまのこの環境にいることが嬉しいと思う自分が
好きだなあ~・・・なんて
これからもよろしくです!
書いてくれて、読ませてもらって
ありがとう