Eveの消しゴム防止観劇日記

宝塚大好き。チョン・ウソンさん好き。好きな舞台・映画を観た感想を綴ります。

宝塚宙組『美しき生涯/ルナロッサ』感想

2011-06-16 11:10:47 | 観劇

書こう書こうと思っていて放っておいた。
計3回行った感想。

『美しき生涯-石田三成 永遠(とわ)の愛と義-』
http://www.tca-pictures.net/shop/press/110610_utsukushiki.html

まず、初日では宝塚でないと書いた。(義と不義。「茶々を抱け」がどうも

二度目は私には合わないと書いた。
なぜ合わないのか?
三成の言う主題「生かすことが愛」というのがどうもしっくりこない。
苦しみ、辛抱を強いるのに「生かすことが愛」なのだろうか?
確かに、生きていれば嬉しいこと、楽しいこと、良いことは沢山あると思う。
傲慢ではないか?エゴではないか?‥‥(「自分の為に生きてくれ」という方がよっぽどストレートでよい)

茶々は「生きてこそ愛」と言い、三成の為に生き、息子秀頼の為に母として生きた。

3回目、違う見方をしようと思った。
何故、最後の場面を斬首にしたか?(事実、三成は斬首である)
宝塚的に事実をあいまいにもできた。
三成は牢獄の場面で茶々に言う。
「あの世で秀吉さまに許しを請おう」(私は「甘い!あの秀吉が許すはずはない!」と心の中で叫んでいるが‥)
牢獄から斬首の場面まで、ゆうひ(大空祐飛)の演じる三成は自分の罪を背負い償い責任を取ろうとしているように見えた。
自らが斬首を願うように‥‥(福島正則の台詞にもある。)
その点において三成の『美しき生涯』は成立するのではないかと感じた。
抑制された男役、大空祐飛の真髄がよく表現されていたと思う。

最後のカタルシスを与える「琵琶湖の鴛鴦」の舞の場面(私は初日、これを理解していなかった)は美しいが今一つカタルシスを得られないのはやはり“茶々を抱いた”からだろう。
あの場面で冷静に寝所に行くのではなく、激情にかられて抱いたとしたら見ている者の感情はどう動いただろう??
でも、激情にかられたら三成ではなくなるし‥‥

初日から思うと衣装の着こなし、所作(手の動きが美しい)と、ゆうひ(大空祐飛)は三成という人を脚本の間を埋めながら『美しき生涯』にしようと邁進なさっていると思う。
とても変わった紋、大一大万大吉(だいいちだいまんだいきち)「万民が一人のため、一人が万民のために尽くせば太平の世が訪れる」という理想を掲げた石田三成という人を表現する為に

茶々役の野々すみ花ちゃん、この人はいつも初日から出来上がっている。
だから、度の曲線がゆるい。(褒めてます。
少女時代から母になる青年期まで上手く演じておられる。(すみ花ちゃんには簡単だったかも?)

忍者(信長に仕えたのは甲賀かな?集団の中でも高位だと思う。)疾風役のテル(凰稀かなめ)。
これは難役だ。
世の無常を表現しなくてはいけない役。
銀橋で三成と歌う“光と影”。
表舞台を歩ける“光”と存在してはいけない“影”。
どれだけ表舞台を歩きたかっただろう三成になりたかっただろう
死ぬときに言う「来世があるなら三成のように生きてみたかった・・・無理か・・・」の台詞のように‥
テルは表現できていないと思う。(ファンの方、ごめんなさい)
疾風こそが茶々に対し「生かすことが愛」だったのではないだろうか?
疾風の人生が凝縮されている最後の台詞、「無理か‥‥」をもっと上手く言って欲しい

福島正則(北翔海莉)以下七本槍
お笑い担当のようだがしっかり演じ笑いを誘っておられる。(間が良い
夫婦のダンス場面の加藤清正(悠未ひろ)の品よい和式腰振りには毎回笑わせてもらっている
家康に“秀吉に対する義”に関してなじられるが福島正則以下6人(糟屋武則は関が原では三成側西軍)も“ねね”に対しては忠義をつくしたのだから堂々としていればよいと思う。

『美しき生涯-石田三成 永遠(とわ)の愛と義-』、戦国好きの方が見たらいろいろな角度からみれて面白い舞台かもわからない‥
いや、歴史を知らないほうが泣けるかも‥‥??

レヴュー・ロマン『ルナロッサ』は旅人のお話のショー

一場面、「バザールでゴザール」場面を除いて好き(面白いけれどゴチャゴチャしすぎ
この場面のゆうひの衣装にはちょっと笑った
わたる君(湖月わたる)の『1914/愛』の暑苦しい衣装を思い出してしまった。
2回目に見た時、スーツで踊る“男役総踊り”のカッコよさにはノックダウンだった。
宙組の“男役総踊り”は品がある。
この場面からフィナーレの羽根振りを見るためにだけでも通ってもよいと思った。(通えないけれど

あと1回、楽しもう
長い文章を読んでくださってありがとうございます。