エテポンゲの独り言

残したい瑣末な話し

スペース イズ バリュー

2005年10月17日 | 地域

 外国語をカタカナで書くと妙な違和感を感じますが、「広さが大事」くらいの意味でしょうか。アメリカ人の基本的な考えですね。広大な大地で大柄な連中が大量の資源で大雑把に暮らしていくには丁度良い思想です。アメリカ人の方ごめんなさいね。

 アメ車のサイズはまさにこの考えを具現化したものです。無意味なくらいにデカイ!住居に関しても同様で大きなスペースを重視した作りになっています。丸い卓袱台を何人もで囲む日本人とは大違いですね。一人一人が適当な感覚で場を占めるその尺度の違いを感じます。

 狭いと言われる日本の住環境ですが、私の住む北陸の一部はそれはあたりません。100坪くらいの住宅は特別なものではありません。水田に一軒づつ住宅が点在する有名な散居村です。住宅の周りは樹齢も古い大きな木々が囲んでいます。そのおかげで冬は風雪から夏は酷暑から住人を守っています。実際真夏でもクーラーなしでも快適に暮らせます。

 たまに大阪に帰ると小さな家並みに驚きます。実家も間口2間のウナギの寝床でした。大阪や京都などの古い街はこの手の街づくりが多いですね。学生の頃の下宿の基本的サイズは四畳半でしたがそれでも不満はない広さでした。中には三畳間の人もいましたから。

 そんな大きな住居に暮らすのに慣れた地方ですが、最近は少子高齢化が進み実際に住んでる人数は二,三人の家が増えています。実に勿体無いことですが日常に使用する部屋数は限られたものなんです。寝室、居間にダイニングキッチンくらいでしょう。

 年配の奥さんと話をしてると日頃の掃除や片付けを思うと小さな家が良いと言います。夫婦と娘の三人暮らしだからもうそんなに沢山の部屋もいらないし最低限の部屋数で満足だそうです。だから本音は都会のマンションが羨ましいんですね。気持ちはよく分かります。口の悪い人は「田舎の人は金の使い方を知らないから大きな家を建てる」なんて言います。

 この地方は昔から隣接したお隣りが無いから大きな家を建てるようになったんでしょう。それにしても、もし今日同様の家を建てるとすれば計り知れない金額が必要な家が無人の空家になっていくケースが増えています。後継ぎが都会に行き戻れなくて老夫婦だけが守る家が多いのです。どこの田舎にも付物の悩みですがモノが大きいだけに哀れさが際立ちます。