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エテポンゲの独り言

残したい瑣末な話し

バレンタインデイ

2013年02月14日 | 友人・知人

世の男性にとってなんとも甘美で悩ましい一日が今日2月14日のバレンタインデイであります。
私も会社勤めをしていた頃には色々頂戴したこともありましたが、この10年余はとんとご無沙汰でじつのところすっかりこの日を忘れていました。

それが近所の友人女性(飲み友達)が午後から来宅され思いもかけぬプレゼントを頂きました。そう、バレンタインチョコです。予期せぬ来訪と望外のプレゼントに戸惑いながらも品物を受け取りました。さてその中身です・・・

まあ定番のチョコレート製品ではあります。しかしただ単純に「ありがとう」とご返事するようなものではありません。なんとチョコパウダーの中に恐竜化石チョコレートが埋まっているのです。ご丁寧にもそれを掘り出す小道具(ブラシやピンセット)まで同梱されています。ほんとに楽しませてくれますね。

彼女曰く「子供たちに人気の商品だけど、そういえば近所に恐竜好きのオジサンがいたなと思い出したから」。そうその通り幾つになっても子供ぽっいジジィです。なにかワクワクしながら開封し拝見しました。

パウダーの中に埋まった化石のパーツを拾い出しそれを並べ直します。数種類のモデルがあるようで私のは人気のTレックスのようです。骨盤や恥骨の位置に迷いながら平皿に並べました。この作業がまたなかなか面白い。

プレゼントを頂くことも年々少なくなってきましたが、久しぶりに愉しい2月14日でありました。友人と商品を作られた会社の従業員の方々に感謝するバレンタインデイでありました。

 

                                 
                                         後ろ足でちょっと悩みます

                                          
                                         ウィットの効いた素敵な女性です


外飲み

2012年08月29日 | 友人・知人

ここ十数年は家飲みがほとんどで飲み屋に出かけることが少ない私です。ただそんな儉暮らしの中で年間の恒例としての飲み会があります。以前に務めていた会社のOB・OG会です。共通するのは同じ会社で禄を食んでいたこと。楽しいことも勿論ですがしんどい事も共有してきました。年齢はマチマチだけどそうやって未だに集まれるのはこの共有したことが大きいと感じています。

昨夜その会が近所の居酒屋でありました。集合したのは6人、この顔ぶれが元に始まったので最近は固定されてきた感がある。皆それぞれ様々な経験を重ねて素敵な熟女熟男?になっております。ちょっと楽しかったのでその模様をアップします。

 

                                    
                                 自営してるNさん、家庭の主婦にとっては外食は一番の解放らしい

                                    
                                       毎回幹事役でお世話になっているKさん

                                             
                                   4大卒で入社し可愛かったYさんも良いお母さんになりました

                                     
                                 当時100名以上いた社員の中から「爽やかNo、1」に選ばれたT君

                                     
                                      未だに一番元気なNさん、カラオケ得意な熟女です

                                     
                                          二軒目のスナック、カラオケは苦手です

                                     
                                          遅かったけど番外の熟女にも来てもらった

                                              
                                     居酒屋の美人若女将、昔の知り合いだと昨日分かった

 

楽しい一夜を過ごさせて頂きました。みなさまには感謝致します、また年末にでも再会できればと期待しながら散開しました。

                                   


明けましておめでとうございます

2012年01月01日 | 友人・知人

大晦日の昨夜、毎年恒例の年越し飲み会を近所の友人夫婦と催しましました。NHK紅白歌合戦を観て、中年のオバサンらしく丸い身体になったユーミンを笑いながら過ごしました。(私はユーミンのファンです)その後これも恒例の除夜の鐘を突きに最寄りのお寺に向かいました。

そこで驚いたのは人出の数です。例年なら一人で何回でも突けるくらいにまばらなのに、今年は梵鐘のある鐘突き堂までの道に人が列を作っていました。仕方なく行儀良く一回だけ突いては合掌して順番に下りてきました。子供たちが小さな頃からこの寺で除夜の鐘を突いていますが初めての事でした。

自宅への帰り道に原因を色々考えましたが思い当たるのはやはり3月の震災です。行く年の最期に何かを祈らずにはいられない気持ちになった人がこの片田舎の街にも多かったのではと思います。経験したことのない災厄を目の当たりにし、自分や家族にも降り懸かる可能性に不安を抱くのも当然だろうと思います。また現在もこの災厄に直面している人達を思い祈るのもごく自然な行為でしょう。

昨年の2月に沖縄旅行の記事をアップしたのを最後にこのブログも死に体のていをなしています。3月にもそのまとめ記事をアップするつもりでいましたが、それを止めた原因が例の大震災でした。たまたま自宅いてリアルタイムにTVの映像を見ました。

だんだん高くなる波飛沫に飲み込まれていく道路や車に現実感はなく、ハリウッドの特撮映画でも観ているような感じでした。そして真っ黒な津波が住宅やビニールハウスを呑み込んでいく様は宮崎駿「もののけ姫」の終盤の映像とダブりました。首を取られたシシ神が黒い液体状になり全ての生を侵食する様子にそっくりに思えました。かなりの時間が経ってからこれが現実であることをジワジワと理解しました。

あの映像を見てしまってからは呑気な記事を書くのが申し訳なく感じブログから遠ざかったんです。それ以降何か自分も助けに成ることはないかと考えたもんでした。自分になら出来る事がないかと。周りには早速現地に飛んで救援物資を運んだ人も沢山いましたが、日々休み無しの自分には出来るはずもないしと軽い罪悪感さえ感じました。

結局はなんの答えも見つからずに今に至っているのですが、また神戸の時のような無力を自分に感じました。そんなモヤモヤをずっと抱き続けた一年であります。そんな私も今年の目標を立てました。それは「浮かれず怒らず、地に足を付け」です。まあ地味ですがなんの取り柄もない自分には適当なテーマかなと思っています。


沖縄めぐり     その10

2011年02月19日 | 友人・知人

記憶の引き出しをもう一度探して下さい。水族館での昼食に食べた沖縄そばの味に不満を書いていましたね。そこに書いた通り敵討ちを最期にやりました。初日からずっと感じていた事なのですが、本当の沖縄らしいそして美味いメニューにあり付いていない。まあそんなことを言いながら「では沖縄料理をしってるのか?」と問われれば困るのですが・・・

糸満市でひめゆりの塔にお参りした後、時間も差し迫っていたのでその近くに食事処はないかとガイドさんに聞きました。すると彼女はお兄さんに聞きました。なんとそこでお兄さん夫婦は彼女をここまで車で送ってきた勢いで私達を案内すると言ってくれました。結局私達の車の前を先導する形で案内して頂きました。恐縮です。

紹介されたのは茶処真壁ちなーと言う小さな店でした。帰ってから確認したことなんですが、ガイドブックにも記載されている知る人ぞ知るお店でした。しかしその道程はとても県外から来た一見さんではたどり着けない道のりでした。住宅街の細い道をくねくね曲がって漸くの顛末でした。皆さん「こりゃ分からんわ」と白旗状態を案内下さったお兄さん夫婦に感謝して別れました。

石垣作りの門を入ると沖縄本来の琉球建築の住宅が顕れます。前庭もありゆったりとした構えです。平屋建ての屋根は勿論赤い瓦でお定まりのシーサーが鎮座していました。イメージとしたらドラマ「ちゅらさん」に出てきた小浜島の家です。いや、まさにそれです。主立った部屋は真ん中の十畳ほどの続きの二間。厨房など裏には小さなスペースがあるようです。普通の民家をそのまま店として使用しているのでしょう。だから余計に寛げます。さほ大きくもない建家だから気にもしなかったんだけど、ガイドさんの話ではここは元大地主で裕福な家だと言ってました。私はつい富山の豪邸を基準にするから間違う。アレのほうが全国的には異常なんですよね。

私達は正午を少し過ぎていましたがギリギリセーフで、それ以降は店に入れずに外で待たされる客の姿が見られました。飛行機の時間もありなんともラッキーだったようです。早速注文したのが野菜そばです。男性四人は同じメニューの方が早いだろうと即決です。勿論ビールも付いています。麺もスープも美味かった。「ああ沖縄に来て初めて地元らしいものを食べられた」と私は一人で感動してました。初日のリゾートホテルも美味しかったけど地元らしいものではなかったから皆さん感激の様子でした。

                                        
                                            石垣で出来た門。

                                        
                                               案内板です。

                                
                                      家の前景です。味わい深いですよ。

                                
                                      入口を横から。鉢植えの花も意匠です。

                                
                               前庭にはこんなレストスペース。机の上には貝殻の灰皿。

                                
                                       客席は本当に普通の民家です。

                                         
                                      沖縄の仏壇。やはり富山とはかなり違う。

 

沖縄での最後の食事をし私達は一路那覇空港に向かいました。実は画像はこれが最後なんです。携帯カメラだったもんだから電池の消耗を恐れて怖じ気づいたのです。そんなことで今回の沖縄旅行のブログ紹介はここまでです。しかしこの旅行で感じたことはまだまだあります。それは次回に残しておきたいと思います。

この度遠路沖縄まで行き感動や楽しさを味わえたのはこのゆんたくの会の皆様のおかげであります。しかしその中でも一年前から幹事として旅行の計画を旅行会社と折衝し、形あるものに仕立て上げてくれたKさんに感謝します。いつもの酒席の戯言で終わるかなと思っていた事がこんな風に実現した事に未だに驚いています。

そして今回のヒロインは現地ガイドとして私達を常にリードし様々な感動と好奇心を与えてくれた沖縄出身の奥様Yさんです。一つの文化は奥深いです。たった三日くらいで解るはずもないのは承知していますが、それでも彼女の折々の解説が無ければ何とも味気ないただの観光旅行になっていたでしょう。また短期間でこれほど濃密なものにはならなかった。彼女のご親戚にも併せて感謝いたします。本当にありがとうございました、そして御苦労様でした。


沖縄めぐり     その9

2011年02月18日 | 友人・知人

二十年前に沖縄に観光で訪れました。けれどその時にあったのは守礼の門だけだったと記憶します。なんせオッサンばかりの大名旅行ですから名物名勝ばかりを訪ねていました。深くも考えずガイドの説明も耳の遠くにありましたので記憶にないのも仕方ないか。今回は立派に復元された首里城に驚きました。当時の衣装を身につけたボランティアみたいなガイドさんも多くいて繁盛ぶりに感心しました。ただやはりここでも外国語が多かった。当然ながら観光コースになってるんでしょう。

                                 
                                       守礼の門。以前はこれしかなかった。

                                 
                                  工事中の足場も違和感ないように着色されています。

                                 
                                           琉球王の玉座です。

                                 
                                      ここでも色とりどりの花が。南国です。

                                

沖縄に来てやはり見逃せないのはひめゆりの塔です。先の大戦で唯一地上戦があった沖縄でも語り継がれる悲劇であります。しかしこれは沖縄戦の象徴であって逆にこの事ばかりを過大に取り上げるのもどうかと今は思います。そんな感想を持ったのもガイド役を引き受けてくれた沖縄出身の方とのやり取りがあったから。

当日は彼女は朝から別行動でした。昨年に親戚が亡くなりその弔問のため、これも予定の内です。メンバーの男性がハンドルを握りカーナビの指図に従い車を走らせますがどうも上手くいかない。結局普通に行くより倍近くの時間がかかったんでは。やはりガイドは有り難いことです・・・

糸満市の目的地近くになると各県の石碑が見られました。富山に帰った後で知ったのですが、金沢の師団が沖縄に在中していた時期があり富山県の方も沢山亡くなったそうです。他県の鎮魂の碑が多く見られたのはそんな事情だったんです。このひめゆりの塔に来てはしゃいでる者はいません。若い人も多く訪れていましたが皆神妙な趣きです。私が喫煙所で休んでいたときも今風の若い娘さんがハンカチで涙を拭いながらベンチに座っていました。と同時に彼女はポーチからタバコを出して紫煙を吐き出していましたが。

 

                                 
                                         記念撮影とは言えませんが。

                                 
                               資料館の中庭。20年前に来たときは無かったように思います。

ここでの写真は少ない、仕方ないですね。ただ冒頭の話です。ガイド役の彼女の話の続きです。いえ、そんなに多言をされたわけではありません。車中でひめゆりの塔の事を話していた時に彼女が言った一言「でもあの人たちは沖縄でも裕福な家庭の人達だから」。この言葉に私は引っ掛りました。考えればそうですね、当時に女学校や師範学校に通うのは裕福な子女に限られます。

後は私の拙い脳みそでの想像です。つまりひめゆりの塔として全国的に語り継がれる事になったんですが、沖縄の庶民は同様にあるいはもっと過酷な体験しているんですよと彼女は言いたかったんではと。別に僻んでの言葉ではなかった。おそらく沖縄の一般庶民の声だろうと推測します。そこに沖縄の気持ちと内地の我々とのすれ違いみたいなものを感じたのです。私たちが資料館にいる頃に彼女も到着しましたが、中に入りたくなかったそうです。「ここに入ると心が痛くなるから」と後で言ってました。

 

                                 

                                 


沖縄めぐり      その8

2011年02月18日 | 友人・知人

沖縄入りして初めて高速道路を使い那覇市内に戻りました。予約していたロイヤル オリオンにチェックインします。シティホテルかビジネス仕様かよく判らない宿泊施設ですが、建てられたのがやや古い事が部屋に入り判りました。トイレ風呂兼用は昨夜と同じでしたがそのどれもが垢じみていて清潔感はなし。さすがに私もここの風呂は使いませんでした。しかし連休ということで客は多く繁盛していました。昨日のリゾートホテルと違うのは聞こえる言葉が日本語ばかりなこと。外国語は皆無です。「あー、なるほど外国人はこんな安宿には泊まらないんだ」と妙な納得をしました。アジアと日本の立場の逆転を否応なく実感した夜です。

今夜の夕食はホテルではなく外食。四つ竹国際通り店が目指すところです。これは今回の旅行の中で数少ない予約コースでした。富山の旅行会社に勧められた店です。ざっと紹介すると沖縄舞踊を見ながら沖縄伝統料理を頂くスタイル。企画段階から聞いていたので「ウーン」と思っていましたが、その勘は当たり!。拙ブログでは以前から書いていたように欲望を充たす際には同時並行でやるのは間違いと思っています。例えば食欲と性欲とか。食べるときは「食べる」、性的快楽を求めるときはそのようにと。即ち裸の美女の上に食物を並べる女体盛りなんて言語道断なんです。まあそんな事を思い出した夜でした。

前半は厚化粧の女性が舞踊し後半は若い男性が太鼓を持って踊り舞います。特に若い男性二人のエイサーは迫力がありました。それ自体は悪くはないのですが・・・食事とは別にして欲しかった。後半は客も混ぜて踊ります。私はシャイだからとてもできませんでしたが。しかしこれはあくまでも私個人の感想で、反対に家内は楽しかったようです。男性の太鼓の叩き方などは昨夜のスナックで教わり本物を見て感激してました。(私は行ってないぞ)若い照英似の若者に帰り際に聞いたところ、首里でエイサーを練習していて本業ではないようです。爽やかなイケメンでした。

                                                     
                                                    伝統的な祝いの席に出されるメニューだそうです。(ガイドさんから聞きました)

                                                                   
                                          若い方の女性。美人に見えたけど厚化粧で?

                                     
                                       最後は客まで踊ろせるという恐ろしい演出です。

                                     
                                    キチッと記念撮影も。昭和のヘルスセンターのノリですね。

 時間にして一時間余りだったでしょうか、食事も観賞もどちらも中途半端な気持ちで終わりました。私以外の方たちも昨夜の名護のスナックが遅かったので皆さんお疲れのようでした。後はのんびりと国際通りをお土産の買い物がてらにホテルまで歩きます。都会の繁華街としては行儀の良い方ですが、たまに酔っ払った米軍らしい若者たちが騒いでるのを見掛けました。受け止め方は様々だけど私はあまり嬉しくなかったのは間違いない。ホテルに戻りまだやはりもの足らないので一部屋に集まり、コンビニで仕込んだ乾き物とアルコールで雑談に更けました。

明日はいよいよ最終日です。ここで私のデジカメのバッテリーが危うくなりました。多分三日くらいなら大丈夫だろうと充電器を持参しませんでした。案の定翌日の首里城跡でギブアップし画像を諦めたんですが、そこはハイテク日本です。携帯のカメラがアルじゃない。後で見ても画質にはさほどの違いはありませんでした。身体の疲れもボチボチきてますが最後のゴールに向い早寝をしました。けどホテルの窓からの眺めは何とも味気ないものでした。都会より田舎ですね。


沖縄めぐり     その7

2011年02月17日 | 友人・知人

さて世界遺産の今帰仁城です。どう読んでも解りません。「ナキジンジョウ」と読める方は現地の人か沖縄通でしょう。私は未だに「イマキジンジョウ」と読んでしまいます。ここで見た事は沖縄を理解するに大変大きな要素があったと思いました。いえ、まだまだ私は理解に至ってませんが。

                                                                        

                                                                             最初の城門のようです。

                                 
                                     万里の長城のように長く積み上げられた城壁。

                                 
                                  桜が綺麗に咲いています。内地の桃に似ています。

                                 
                                  城跡の横にはサトウキビ搾りを体験させてくれます。

下の写真はこの今帰仁城で見かけたものです。このような人達を二箇所で見ました。線香をあげ、供物を捧げている数人の集団がおられました。そのどちらもが大きな木の根本の少し窪んだ所で丸く屈んでいます。「思わず何だろう?」とガイドの奥様に聞きました。彼女は小さな声で「ユタ」と答えました。エッと何回か聞き返さないと判らない程度の声で。後で車に戻り車中で色んなお話を聞きました。

                                 
                                    女性ばかりの真ん中のパーマの方がユタです。

彼女の話です。「沖縄には霊感の強い人が多く、その中でも特に強い人がユタになることが多い。青森のイタコみたいな感じかな。霊感の強いのは女に多く私の弟の嫁もそう。帰宅した弟に着いてきた霊を玄関先で祓うのよ」と・・・聞いた私はウーンです。これが普通の日常の沖縄なのかと。

まず説明するとあの方たちが祈っていた場所は「御嶽」と書きます。音は「ウタキ」。感じる人には分かるらしく霊が多く集まるところらしいです。こんな場所は様々なところにあり、翌日行った首里城あとにも柵で囲われたものがありました。やはり大きな樹が生えていました。

彼女に聞くと沖縄では宗教は無いと言います。仏教もキリスト教も身近には無いそうです。基本的に祖先を敬う祖霊信仰なのです。ヘーッと最初は思いましたが、よく考えれば内地の私たちもそうなんです。彼岸やお盆にお参りする姿に凝縮されています。ただ私達内地では先祖に対する想いは希薄になっています。大事なのは今の自分!そんな意識で日々生きているのが正直な姿です。

以前から沖縄や奄美出身の人と接して感じる純朴さや人の良さの起源は此処にあるのではと思いました。今の自分があるのは先祖のおかげであり、周りの人の力でここに私が居る事を家庭環境の中で幼い頃から感得したせいかなと。私の知る限り総じてこの辺の出身の人は謙虚な方が多いように感じます。私の勝手な分析ですが。ところが以前娘には否定されました。「沖縄出身の人でムッチャワガママがいた」と。まあそれは個性かと片付けます。何れにしてもここでは祖霊が身近にいるのを理解しました。私たちが失ったものです。

 

では気分を変えてこの日の続きです。もう皆さん疲れが出てきてます。海岸沿いの道を走れば古宇利島です。まあここは島に行くと言うより古宇利島大橋ですね。実際に橋を渡り切ってそのままUターンしただけなのですが、それでも出会いはありました!岡山県から来た学生さんのグループと記念写真の撮り合いをしました。若いって良いですねェ羨ましいとジジィとバアサマが言ってました。

                                  
                                                古宇利大橋

                                  
                                       やはり若さに勝るもの無し!実感します。

この後はひたすら那覇を目指して車を走らせます。時間に追われる旅行なんて嫌ですけど今回は仕方なし。希望を詰め込み、そしてそれ以上に返してくれたんですから。感謝感謝・・・

                                          
                           名護市内のガジュマルの巨木。若い頃には待ち合わせの目印だったそうです。
                                 若い頃の甘酸っぱい思い出ですね。
                                                   

                                 

 

                                  


沖縄めぐり      その6

2011年02月17日 | 友人・知人

海岸沿いの道をそのまま走れば次の目的地ちゅら海水族館です。巨大な水槽とジンベイザメで有名です。この旅行の計画段階で私が一番楽しみにしていた施設です。以前大阪の海遊館に行った折も楽しくて、一日居ても良いなと思ったからです。ただ今回は連休の真ん中だったせいか満員状態で後ろから押されるような混み具合でしたので辟易しました。

ちょうど昼食時でレストランに行くも捌き切れない客が店からはみ出し列を作っています。仕方なくお昼は後回しにして館内を巡りました。勿論展示飼育されてる海洋生物たちは面白く満足しましたが、如何せん歩き疲れと空腹でなかなか楽しめません。ササっと廻り園内のファストフード店に入りました。そこでオーダーした沖縄そばが何とも美味くなかった。まあそんな店で期待する方が間違いなんでしょう。しかしこの敵討ちは最後の日にやりましたからご安心下さい。

                                
                        この季節にこれだけ色とりどりの花を見れることに雪国の私達は驚きました。

                                         
                                      巨大な伊勢エビ、1メートル程ありました。

                                 
                                  所謂ナポレオンフィッシュですね。おデコが特徴です。

                                 
                              やはりこのジンベイザメが此処のウリでしょう。迫力ありました。

                                 
                            古代鮫メガロドンの顎化石のレプリカ。じつはこれが一番嬉しかった!

さてこの後、世界遺産の今帰仁城跡に行くのですがその前に沖縄に関して気付いた事を書いてみます。私が空港からの車窓で一番気になったのは家の造りの違いです。私の住む北陸と異なるのは当然なんですが、その理由は気象の違いが大きい事は誰にも解ります。民家はどれも背が低くどうかすれば横の道路よりも下に屋根がある場合もあります。毎年幾つもの台風が通過する通り道に当たる地域だから強風に備えた造りなんでしょう。

ガイド役の奥様の話では鉄筋コンクリートの家もその基礎部分はかなり深いところまで打ち込んであるらしい。風に飛ばされないようにです。富山では大きな屋根や太い柱で雪に対応してますが、そんな家を建てようものなら一回の台風で跡形も無く吹き飛ばされるだろう。これも先祖伝来の知恵ですね。だから一軒当たりの建坪はどれも小さな家が多い。当然部屋数も少なくなりそこに10人前後の家族が住んでいたそうです。まあ富山の大きな家も実際日常に使う部屋は少ないのですが。ともかく空間の狭さが家族関係を濃密にした原因ではないかと想像しています。

また現代風の家に限って言えば二階にベランダが多い。あるいは屋上に出入りできる造りになっている。これも不思議に思い彼女に聞いてみました。「それはね、沖縄の夜は暑いから、涼む所が要るからよ」と教えてられました。これにはナルホドと納得しました。クーラーが無ければ外の風に当たるのが最高の涼ですもんね。また屋根には塔のようなものがある家がよく見られました。それは雨水を貯えるタンクが中にあるそうです。

まだまだ沖縄には不思議がありますが今回はここまで。実はこの旅行で感じた疑問などを彼女から色々うかがい目が覚めることが多かったのです。ここではサトウキビ畑は見ても田圃は見掛けませんでした。やはり水が少ないからでしょう。その分米作りが二期作であったりするそうです。足らない分は内地から供給されているらしい。

                                                          
                                        カラフルな家も多いのが特徴です。

                                  
                                   これは伝統的な家屋です。大きく二間しかありません。

                                  
                             ベランダが付き物です。庭木にサボテンには笑いました、さすが南国。

                                  
                                   お馴染みシーサー。これについてはまた後ほどに・・・    

                                  
                     普通の現代の沖縄の街並みです。写真では解りにくいけどどれもガッシリとしたコンクリート造り。


沖縄めぐり        その5

2011年02月16日 | 友人・知人

二日目は大忙しです。名護市から本部町に向かいます。目的地は瀬底島。実はガイドをして頂いてる奥様の故郷です。彼女はここで生まれ高校生まで過ごしました。もうご実家は絶えてないそうですが、自分が生まれ育った地を訪れたい気持ちは大きかったろうと想像します。当初からこの旅行の一つに彼女の実家の墓参りは入っていたので皆さん大賛成です。それが行ってみて驚きました。本当に素晴らしい処でした。

海岸沿いの道を走り島への入口の橋を渡ります。彼女の話では当時はまだ渡し舟にて往来していたそうです。だから高校に通うのも船に乗りバスに乗り継いでいたんです。その船は午後7時が最終で間に合わせるのに大変苦労したそうです。確かにまだ新しい橋のようで町の風景とは裏腹にピカピカとしていました。

瀬底島にはそれは綺麗なビーチがあり、内地の資本がバブル時に進出しました。ゴルフ場を作り立派なリゾートホテルを建てひと儲けを企んだわけです。しかし思惑はハズレてバブルは弾けて残ったのは建築途中のホテルの残骸とゴルフ場の管理棟そしてこの橋です。まあ橋は地元の利便性が上がり良いのだけれどその為に潮の流れが変わり砂浜が小さくなったそうです。それにしても途中で投げ出されたホテルは無惨な姿を晒していました。この島には似合いません。

彼女の墓参りを済ませた私達に素晴らしいプレゼントを頂きました。なんとそれはサトウキビです。島を車で廻っているとちょうどサトウキビの刈り取りをしている老人がいました。突然車を停めた彼女は老人に近付き交渉を始めたのです。私達は車の中から事態が解らず???走りながら戻る彼女の両腕には沢山の刈り取られたばかりのサトウキビが。そして彼女はやわらその一本の先にかじり付きました。鎌で切られた尖った部分を自分の歯で皮を剥いた。そしてガシガシとしがみます。「こうすると甘い汁が出るのよ」と言いながら。子供のころは大好物のおヤツだったそうです。

勧められた私たちも真似をしましたがさすがに脆くなった歯に自信がなく柔らかく噛むていどにしました。しかしその程度でもサトウキビの甘い汁は口中に感じました。実に素朴で美味しかった。彼女の話では各家の庭にはバナナの樹も植えられていてそれを日常的に食べていたそうです。富山県での柿の木みたいな存在が沖縄ではバナナだったようです。そういえば何処に行っても車中からバナナの木が見られました。

                                 
                                      真っ白な珊瑚で出来た瀬底の砂浜。

                                 
                                    季節になれば海の家もオープンするようです。

                                 
                              子供のころよく遊んだ洞窟。前の怪しいオッサンは地元人ではない。

                                 
                                  けっこう奥も深く、子供にとって秘密基地になりそう。

                                 
                          大きなお墓で戦時中は防空壕にもなりました。私が読経し皆でお参りしました。

                                 
                                   サトウキビを抱えて駆け寄ってくる昔の少女。

この瀬底島がお気に入りになりました。昨日の那覇市内から色々見てきたけれどこの島が一番私の中にある沖縄のイメージに近かったから。さすがに珊瑚で踏み固められた道や水牛に引かれた荷車は無かったけれど、ゆったりとした時間の流れを感じました。おそらく沖縄でも失われて行きつつある風情なんだろうと思いました。観光者の勝手な思い入れで意見は言うべきではないと分かりながらも残って欲しい島の情感でした。

                                 
                      風が強いので屋根が低い鉄筋コンクリート製の家ばかりです。それでも綺麗に保っています。


沖縄めぐり       その4

2011年02月16日 | 友人・知人

さてさて初日の楽しい夜会をパスしたのですが、二泊三日の旅では二日目がメインです。勿論この日も盛り沢山、女性陣が目玉にする斉藤君も予定に入っています。しかしここは社会性も備える母親たちです。民主党政権に変わって話題になった普天間基地移設候補にあがる辺野古の海を見なければと出発しました。けれどこれがなかなか大変でした。

ナビを使用しても解りにくい住宅街の細い道を右に左にとクネクネ車を走らせ、判らなくなると近所のオバァに聞きながら到着しました。ここでの主役は勿論現地ガイドの奥様です。近づくにつれ小さな看板に「基地反対!」と書かれたものがありましたがそれもほんの僅かです。むしろそこに静かで小さな漁村に迫りくる大きな脅威を感じました。普通の住宅街に隣接する小さく綺麗な浜辺です。

沖縄の浜ってなんでこんなに可愛いんだろうとつくづく思いました。愛しくなります。当然残したいと皆さんが思ったのは間違いないでしょう。もう既に工事用の波除けは幾つも置かれており何時でも工事開始出来る状態に思いました。しかしそこに滑走路などの人工物を作ると潮の流れが変わり砂浜が消滅するらしいのです。現地ガイドの奥様の故郷の島の渚もそれが理由で小さくなったそうです。悲しいですね・・・

                                 
                                          青いのが波除けです。

                                 
                          反対側には埠頭に連なる岩礁に鳥居があります。地元では信仰の対象です。

                                 
                              島の東側は風が穏やかで驚きました。東シナ海側とは大違い!

                                 
                                浜の後には南方の木々が生い茂る森が広がっています。

                                 
                                       複雑な想いで記念撮影します。

次はいよいよ斉藤佑樹のいる日本ハム名護キャンプです。車は再び島の西海岸に戻ります。名護市内は昨夜のスナックで私以外の皆さんは訪問済みですが、しかし夜と昼間とは印象もずいぶん異なります。事前にTVニュースで聞き及んでいた限りでは駐車場探しにも苦労するようでしたから気構えておりました。ところが行ってみると球場前の駐車場に空きがあり直ぐに止めることができました。ただ入り口には「関係者のみ」の看板がありましたが、誘導員のおじさんは入れとの指示を出してくれたのでそのまま車を進めたのです。ガイドさん曰く「ナンバーがレンタカーだからよ。県外の人には優しいから」。なるほど駐車中の車のナンバーは9割方「わ」でした。

早速に斉藤君を探しますが居場所は直ぐに判りました。人が大勢いる所。案の定ブルペン付近には黒山の人だかり。練習グラウンドにはいたるところに進入禁止のロープが張られています。なんとかブルペンに到着するも人の頭しか見えません。片手にカメラを掴み思い切り上に挙げてシャッターを押すけどフレームには入りません。殆ど写真を諦めた時少し遠のい処に植え込みの為の盛土があるのを見つけました。ほんの10センチくらいの高さでしたが、ちょうど前の客の頭の群が切れた箇所と一致しフレームに収めることが出来ました。ラッキーでした。しかし人気者は辛いですねぇ。これも商売と言えばそれまでだけど並の神経では耐えられませんわ。普通の人で良かった。

                                  
                                     軸足が折れる独特のフォーム、甲子園以来です。

                                  
                                    何か持ってる。確かにボールを持ってる。

                                  
                                      撮影禁止の場所から。マナー違反ですな。

                                  
                           ダルビッシュが左で投げていました。横にはガンちゃんことOB岩本氏がいます。

                                  
                                       練習場の裏は直ぐ綺麗なビーチです。

                                  
                               羨ましい環境ですが、選手たちにはそれどころじゃないでしょうね。

以上名護キャンプからでした。松阪世代と言われた選手たちもいました。今度は斉藤世代と呼ばれるボリュームゾーンが来るでしょう。何れにしてもこれからは人気だけじゃ済まされないことは本人たちが一番知っている事だから大変です。名護の狂騒ぶりを見ながら些か彼に同情しました。ともかくもうレースは始まっているのだから野球ファンを楽しませて下さい。今日は盛り沢山の二日目です。まだまだあるので次回に残します。

                                  

                                  

                              

 


沖縄めぐり       その3

2011年02月15日 | 友人・知人

初日の宿は名護市にあるオキナワ マリオット リゾート&スパ。立派なホテルでした。まずはその威様をご覧下さい。

                                   
                                      この12階が私達の部屋。全てツインです。

                                            
                               中央のロビーホール。巨大な三角形のガラス屋根が迎えてくれます。

                                            
                                               宝塚のような階段で・・・

                                    
                               豪華でスペイシーな部屋。ベッドも枕もフカフカで逆に寝にくかったです。

                                    
                                       小さなベランダとガラス張りに置かれたカウチ。

                                    
                                       そしてそこからの眺め。東シナ海が贅沢です。

                                    
                                        バスタブも広くて清潔に保たれていました。

館内の紹介はこれくらいで。夕食はバイキング形式。私の過去の経験からバイキングは美味くない!だからあまり期待してなかったんですが、しかし予想に反しそれは多様な味覚と食感で楽しませてくれました。何回もサーブテーブルを往復しガツガツと意地汚く腹を膨らませました。これが悪かった。私は平生はあまり食べない方でむしろお酒で満足する食生活です。「ウーン、テンパイかな」と自室に戻りベッドに横たわり終わりました。実はこの後も予定が組まれているのです。

現地ガイド役の奥様の同級生が営んでるスナックが名護市にあり、今夜は二次会で伺うことになっていました。そのスナックのママさんは自称日ハム応援団長さんらしいのです。メディアにも露出してるみたい。今年は斉藤佑樹がドラフト1位で入団したので名護は大騒ぎになってますが、私達はその前から予約をしていたので問題なくこのホテルに泊れました。ラッキーでした。と言うのも女生陣の今回の目的に新たにハンカチ王子が加わったのです。やはりイケメンには勝てませんわ・・・

そんなわけで私だけがホテルで留守番になりましたが、帰ってきた皆さんから聞いた話は楽しいことばかり。まことに残念で悔しいばかりでありました。沖縄の飲み屋さんはテンションが高く賑やかで一度体験したかったです。北の国の高倉健みたいな飲み屋しか知らないから。

                                   
                                         綺麗で清潔に並べられています。

                                   
                                              「いただきまーす!」

しかしこの高級ホテルで感じたのは外国人の多さです。特にアジア系の。聞こえてくる言葉が中国語か韓国語のことが多く日本語はあまり聞かなかった。ここが高級な宿だからということが理由と明日分かりました。残念ながら日本とアジアの関係は変わったようです。実感した今回の旅行でした。


沖縄めぐり      その2

2011年02月15日 | 友人・知人

まずは那覇市内を走りながら嘉手納基地を見下ろせるサンパウロの丘を目指しました。・・・ところがカーナビに「サンパウロの丘」と入力しても出てきません。旅行会社との交渉役を一任された奥様が聞いた話では基地を眺める一番のスポットらしい。不明なことは先送りにし、添乗員役の彼女と現地ガイドの二人でそれらしい場所を決めて走り出します。

後で解ったのは、かつてサンパウロの丘と呼ばれていた場所に嘉手納道の駅が出来たのでした。つまり昔はそんな呼び方をしていたようです。けどなんで「サンパウロ」の疑問は今でも残ってますが?

嘉手納町に入り車を走らせますが国道58号線の右側に現れた基地を囲むフェンスは途切れません。何時までたっても広大な敷地を占拠し芝生と南国風の植物に彩られゆったりした空間が続きます。反対の左側を見れば狭い処に窮屈そうに建てられた日本人が住む民家や店が並びます。これこそが沖縄の現実であり、先の戦争で敗者になった日本の置かれた立場なんです。もっと言えば日米安保の本当の目的が良く判ります。この条約はアメリカの為の約束で彼らは日本のことなんか配慮してはいない事を実感しました。

冒頭の写真はその道の駅の屋上から撮ったものです。最新鋭のF22などが配備されてるそうです。この屋上階には巨大な望遠レンズがついたカメラを抱えた人や軍事兵器が好きな若者がそれこそイモの子を洗うように集まっています。当日は風が強く沖縄ではこの冬一番寒いと言われてましたが、小雨の降る中沢山の人達が震えながらも基地方向にカメラを向けていました。これも今の沖縄の姿なんでしょう。

                                        
                                  そこで見つけたオモシロメニュー。モスラの幼虫

我々は寒さに勝てず時間も惜しくて嘉手納を後に海中道路がある平安座島に向かいます。兎にも角にも風の強い日で大きなワゴンが右に左にハンドルを取られます。しかし太平洋が視界に現れると皆感激し適当に駐車したら海や橋をカメラに収めます。この日は干潮が午後8時頃で潮が引くのが早く普段は海の下にある部分がかなり目にする事が出来ました。巨大な岩が根元を波に削られ蜃気楼のような姿を見せていて不思議な感動でした。

                                 
                                           浮いたように見えます。

                                        
                                          海中道路にかかる橋。

                                 
                                   風が強く女性たちは皆さんスーパーサイヤ人状態。

お次はマングローブ林を見たいとの希望を叶えます。時間もちょうど干潮を向える頃、マングローブの根がウジャウジャと地面から伸びている様子を見に行きます。ところがこれがなかなか難儀で当初予定していた海岸は時間的に難しいので違う海岸に変更しました。ここでも現地ガイド役の奥様の力が発揮されました。

まず彼女のお姉さんに電話をして情報を仕入れます。干潮の時間とマングローブ林が合致する場所を確認し恩納村に行きます。その情報の細かいこと。58号線の恩納村のローソンに車を停めて下さいとの指示。当該のコンビニに行き店員さんにマングローブ林を尋ねるも知らないと言われる。とそこに現地の野球少年が二人店に来た。彼らに尋ねると知っていると答え、おまけに案内をかってくれました。素晴らしい子供達でした。旅先で触れる人情に感激しました。

                                                  
                                  川と海との間の汽水域にマングローブは生息します。

                                 
                                 写真ではよく分かりませんがこの砂地の下に根がある。

                                 
                                              こんな風にね。

                                 
                           案内をしてくれた恩納小学校の野球少年二人。沖縄の未来は明るいぞ!

さて今度は本日最後の目的地、万座毛です。所謂「象の鼻」のような形をした岬です。TVのサスペンスなんかで最後のシーンで犯人が独白する場面に出てきそうな風景です。けど当日は強風のためカメラも構え難い状況で、安全柵はあるけど間違えば崖下に飛ばされそうな勢いでした。

                                 
                                           本当に象の鼻ですね。

                                 
                                         雪国の衣装が役に立ちます。

                                 
                                                熟女四人。

                                 
                               これはかつて沖縄サミット会場に使われたホテルと思います。

さてこれで風と長旅に疲れた我々を癒してくれる宿に向かいます。初日はリゾートホテルです。確かにここ沖縄本島の西海岸は東シナ海に沈む夕陽を眺める最高のロケーションなので観光やリゾートには最適だと思いました。私も億の金を手にし仕事から解放されたら此処に別荘を建てるのも悪くないなと想像しましたが・・・

                                

                                  


沖縄めぐり       その1

2011年02月15日 | 友人・知人

二月の連休を沖縄で過ごしました。仕事柄休暇は取りにくいから連泊の旅行は永らく諦めてました。TVの旅行番組を見ては「あー、いいなぁ」で終わらせていました。いえ、私は会社勤めをしたいましたから仕事関係でそれなりに各地に行きました。けどそれは仕事の延長みたいなもんでさほどに楽しいもんではありませんでした。単に見聞を広める感じかな。プライベートなものでなく家内には申し訳なく思っていました。

家内は生まれて此の方未だに飛行機に乗っていません。なんと不憫な現代人です。(冗談です)ともかく家内に対する贖罪をする機会に巡り会いました。

息子の高校野球部の父母会が継続し7年目にして念願の沖縄旅行が実現しました。部員5名の野球部ですから夫婦合わせて10人の会です。会員の奥様の一人が沖縄出身だったので会の名は「ゆんたくの会」にしました。当時NHKのドラマ「ちゅらさん」が流行っており、会員の皆がいつかは沖縄にと言い合っていました。

しかし現実は簡単ではなく、サラリーマンもおれば自営業もいるしでたった一晩の宴会でも全員が揃うのが難しい状況でした。だから沖縄なんて到底無理だろうと半ば諦めていました。ところが昨年の2月の定例の宴会で誰かが次の年のカレンダーを見て翌年の例会日が3連休になることを発見したことで始まったんです。前フリはこれくらいでその道中をアップします。

本来10人の会だけど2名欠席で今回は男女8名の旅行になりました。まずは小松空港に集合。石川は隣の県ですが加賀平野には雪が少ないことを再確認しました。実に羨ましい・・・

                                 
                           この飛行機。20年前に小松から那覇に行ったときはジャンボだったはず?

                                 
                                      永かった、2時間45分かかりました。

                                 
               早速空港内のレストランで沖縄料理を食べる。with麦酒。ミミガーなんかも思いの外食べやすく美味かった。

                                 

この後レンタカーを借りることになるのですが空港周辺をウロウロ。レンタカー会社のシャトルバスを見つけるのに難儀しました。けれど一旦レンタカーに乗れば後は早かった。何と言っても沖縄出身の奥様が現地ガイドを兼ねてハンドルを握ります。10人乗りのワゴンを見事に取り回します。どのルートを取れば効率が良いかなど彼女の判断で全て順調!盛り沢山の旅行になりました。                           


とにかく生きてくれ・・・

2009年08月27日 | 友人・知人

一昨日息子の同級生の青年が亡くなった。24歳の自死だった。息子とは野球を通じて小学生からの付き合いで、私も少しだが人柄は知っていた。

中学3年時は野球部の主将も務めたしっかりした子で、感情に走る事無く冷静に判断できる印象を受けた。その分責任感は強かったようだが。

昨日弔いで自宅を訪問した息子に彼の父親がメモ書きのような遺書を見せてくれたそうだ。そのご両親二人もなんとも言えない顔をしていたらしい。最後は「Tの分まで生きて下さい」とだけ言われて辞してきた息子だった。

そのT君に何があったのかは解らない。私の知るご両親も穏やかでむしろ優しい部類のお二人だと思う。だから余計に無念だろうとは想像できる。

子供が親より先に死ぬ事を逆縁などと言い、地方によっては葬式さえ区別する所がある。当に最大の親不孝と私は思う。

快活で友人も多く悩みの相談相手には苦労しないと思われた青年が自ら命を絶ったことにショックを受けた。これは誰にでも起こる事なんだろうか。

一人で深夜考え込んでいると魔の時があるのかもしれない。私くらいの年齢になると最悪の選択になる前に思考を止める事が出来る。頂いた命の勿体無さを知っているから。

今夜彼の通夜が営まれる。おそらく友人同級生が数多く弔いに訪れるだろう。その若い人たちに言いたい。辛い事は生きてる限りあるのは事実だ。けれどそれ以上に喜びもあるんだ。最悪の選択をする前に周りの誰かに自分の苦しみを伝えて欲しい。

誰より辛いのは残された家族両親なんだ。どうして助けられなかったを死ぬまで抱えて行く事になる。だから「とにかく生きて下さい」お願いします。


中学生の頃の思い出

2009年07月08日 | 友人・知人

中学2年時の担任教師のお話しです。その方は国語担当の女性でした。今から思うと綺麗な女性で多分30歳台でしょう。小柄で色白、ハキハキとしたF先生です。

けれど口の悪い中学生男子たちは「アゴ」と仇名をつけてました。顎が少し尖ってたから。大体に美人は少し顎が三角に後がってます。顎の丸い美人はいません。けど当時は美人だなんてとても思えませんでした。

私等の先輩たちは彼女の事を「デンスケ」と仇名してました。確認した事は無いけど多分同じ事を繰り返し言う事から付いたんでしょう。昔(オープンリールの頃)テープレコーダーをデンスケと言いましたから。

とにかく厳しく怖かった記憶です。忘れ物をすると顔にはんこを押されます。額やほっぺたに大きなゴム印を捺されるのです。捺されるのは殆ど男子で女子は滅多にいない。そりゃ格好が悪いからね。

国語の時間に一つの言葉を使って短文を作る作業がありました。お題は「うごめく」。小さなものが集ってウジャウジャ動いてる様を俯瞰してる時の表現でしょうか。

皆が書いて教壇の先生に提出しました。F先生はそれを一枚づつ見ながらコメントします。そこでクラスのO君の番になりました。彼のはこうでした。

「犬が寝ていた。僕が石をぶつけたら犬はうごめいていた。」

先生はちょっと考えながら「うーん、うごめくの使い方がちょっと違うかな?O君どんな石を投げたの?」と聞きました。それに対して彼は少し困りながら答えました。

「これくらい」と両手で大きさを表現しました。なんとそれは漬物石くらいの大きさで人の頭くらいの大きさでした。苦し紛れの彼の答えに先生も何も言えず、教室も普通に静かでした。

しかし私は違いました。脳裏では漬物石を頭部にぶつけられ、頭蓋を割られ瀕死の犬がピクピクしている様を思い浮かべました。もう爆笑です。もちろん声も上げずに心の中で。

苦し紛れと言いながらO君のリアクションには脱帽しました。普段は大人しく鷹揚な人柄であまり冗談なんか言わない彼の最高のギャグでした。

 

もう一つF先生絡みの話しです。

技術家庭のペーパー試験の答え合わせでした。生徒各自が答案用紙を自分で採点するやり方でした。回答用紙をクラス担任のF先生が読んでいきます。

機械工作の問題の答えで「アメリカ式ベッド」と言うのがありました。旋盤か何かの台の名前が問われていたんでしょう。先生は淡々と正当を読み上げていました。

そこで一人の生徒が手を挙げて「先生、フランスベッドはダメなんですか?」と聞きました。それを聞いたとたん教室は爆笑しました。もちろんTVで毎日見ているフランスベッドのCMを皆が知っているからです。

しかしそこでF先生はきょとんとして、いえ、それはダメみたいですね。」とだけ言いました。きっとフランスベッドのCMなんか見たこと無いようでした。TVはNHKだけのような真面目な方でした。

中学を卒業して暫くしてからF先生の訃報を聞きました。「えっ」と驚きましたがそれ以上の感興は無かったのも事実でした。元気でむしろ生徒からは畏怖の念さえ持たれていた先生が亡くなった事が現実的じゃなかった。

しかし自分が50歳台になり、ふっとその事を思い出すとなんとも早すぎる命終に愕然としました。旦那さんも子供さんもいました。家族の寂寥感はいかばかりかと想像すると自分の愚かさがばかりを痛感します。

先達が言うようにその辛さは同じ立場にならないと分からない。確かにその通りではあるけれどなんとも思いの至らぬ子供だったなと思います。しかしそれは今も変らないようです。未だに反省ばかりの日々であります。