石巻&東松島&女川復興情報 “石巻地域Again”

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〈本文は、敬称略〉

“第2回震災学びのガイド育成研修会”を開催しました。〈その2〉

2013年08月14日 | 復旧・復興への取り組み

7月18日(木)に開催した「第2回震災学びのガイド育成研修会」の報告の〈その2〉です。
  ⇒ 〈その1〉はこちらをクリック


今回はサン・ファン館,東松島市のガイドの様子をお伝えします。


【サン・ファン館】

「宮城県慶長使節船ミュージアム(愛称:サン・ファン館)」は,
今からちょうど400年前の1613年(慶長18年)仙台藩主伊達政宗の命を受けてヨーロッパへ渡った支倉常長ら慶長使節一行を乗せ,
太平洋を往復した木造洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ」の復元船を係留展示している博物館施設です。

震災の影響を受け,現在休館中ですが,慶長使節が月浦(現石巻市)を出帆して400年を迎える今秋の再開館を予定しております。

また,11月にはここを会場に偉人たちの偉業を讃える記念行事が催されます!


震災時のサン・ファン館の様子。

「震災時,この施設にはスタッフを含めて数十人いたが,展望棟の上部に避難し全員無事だった。」
「サン・ファン・バウティスタ号は係留船なので,津波で流されることはなかった。」
「資料などを展示していたドック棟が大きな被害を受けた。」
「サン・ファン・バウティスタ号の折れたマストはカナダ政府から材料が寄贈され,現在修復している。」
とスライドを使用しながら当時の状況を説明いただきました。



サン・ファン館の中澤学芸員。普段は,展望棟の上部(屋外)でフリップを使いながら説明しているとのこと。



サン・ファン館の説明の後は,東松島市へ移動し,ボランティアガイドの方に案内していただきました。

【東松島市】

東松島市は西部に特別名勝「松島」の一角を占める奥松島や野蒜海岸を抱えるほか,
里浜貝塚,野蒜築港跡,北上・東名運河などの史跡も数多く,観光と歴史を兼ね備えた地域です。


平成23年12月に東松島市復興まちづくり計画を策定し「東松島一心」の言葉を掲げながら

「災害に強く安全なまち」「安心して笑顔で暮らせるまち」

などを将来像としてその実現に向けて復興を進めています。




宮戸諸島の風景



野蒜海岸のハマヒルガオ


東松島市においては,「大曲浜地区」→「国道45線沿い」→「吉田川」→「野蒜地区」→「余景の松原周辺」→「野蒜海岸」→「宮戸島」→「鳴瀬第二中学校」→「野蒜小学校」の順で案内いただきました。



「東松島市では1,100人の方が犠牲となり現在もまだ27人の方が行方不明となっている。」
「ガレキの量が多く処理に時間を要しているが,分別作業は手作業で行われるため雇用の場になっている面もある。」
「海側の水田は除塩ができていないため水稲の作付ができない。」
「まばらになった松林は日を追うごとに枯れていく松が目立ってきている。」
と震災時の状況を説明するボランティアガイドの門馬さん。



海岸線から500mに位置する鳴瀬第二中学校。
津波の影響で松林がなぎ倒され,見えなかった海が見えるようになったなど学校から見える風景が変わったといいます。



校舎1階。津波の生々しい傷跡が残っています。



震災後,市内の事業者から寄贈された記念碑。
鳴瀬第二中学校の校歌などが刻まれています。

鳴瀬第二中学校は3月で閉校し,第一中学校と統合し「鳴瀬未来中学校」として開校しました。



野蒜小学校周辺。
ここでは学校の裏山など高い場所に避難した方が助かったことや
高所に避難したものの自宅に物を取りに行って犠牲になられた方がいたことなどのお話をいただきました。



東松島市の案内終了後,再びサン・ファン館に戻り参加者全員で「交流会」を開催しました。
交流会の様子は〈その3〉で紹介します。



(uchi)



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