私たちの事務所の水産漁港部による網地漁港・仁斗田漁港の復旧状況の確認に同行しました。
石巻から牡鹿半島を南下し,鮎川港から船で両漁港に渡ります。
※国土地理院提供
復旧した銀ザケの養殖場を見ながら鮎川港から出発し,
網地漁港に到着!
岸壁は,東日本大震災で1メートル以上地盤沈下したため,かさ上げしています。
網地漁港の工区は3つに分かれており,優先順位を考慮して20%から70%の進ちょく率です。
地元だけでは,工事作業員が足りない状況が続いており,北海道から来ている方もいらっしゃるとのことです。
ちなみに県の担当者は富山県庁から宮城県庁に派遣されている職員です。
網地島の次は,猫がたくさんいることで有名な田代島(仁斗田漁港)に向かいました
仁斗田漁港の防波堤も地盤が沈下しており,50センチメートルのかさ上げがなされています。
このかさ上げは応急的なもので,今後さらに70センチメートルかさ上げされる予定です。
進ちょく率は,港全体で40%程度となっています。
こちらも工事作業員不足が影響して,思うように工事が進まないとのことです。
仁斗田漁港には,九州からきている方もいらっしゃるとのことです。
また,こちらも県の担当者は,高知県庁からの派遣職員です。
さて,この日は猫に会うことなく,田代島を出港し,再び鮎川港に向かいました。
鮎川港に上陸した一行は,平成23年11月にオープンした『おしかのれん街』に向かい,昼食を摂ることになりました
『おしかのれん街』の建物は,石巻で様々な支援活動を行っているNPO法人が建設し,石巻市牡鹿稲井商工会に寄贈したものです。
現在,飲食店やお土産屋さんなど16店舗が入居しています。
鯨にも「歓鯨」され
この日は,石巻の特産をふんだんに使用した海鮮丼をいただくことにしました!
こちら!!
石巻近海から水揚げされた新鮮な魚介がたっぷりと乗せられていました
手前はなんと鯨のお刺身です!!
白く見えるのが,鯨の皮だそうです!
この日は,特別に鮎川港で2年ぶりに調査捕鯨で水揚げされた鯨も加わってスペシャルな海鮮丼でした
そもそも,鮎川は,鯨とともに歩んで来た町です。
明治39年以来,捕鯨基地となり,三陸沿岸最大の捕鯨基地として町は繁栄しました。
多くの捕鯨関連の企業が立地しましたが,昭和63年に日本が商業捕鯨を中止し,
調査捕鯨のみとなった現在では,鯨の処理等を行う会社も鮎川に2件を数えるのみとなりました。
鮎川も東日本大震災で甚大な被害を受けました。
震災以降,調査捕鯨による鯨の水揚げもありませんでしたが,今年の4月には,実に2年ぶりの水揚げがあったそうです。
そのときの様子を大将が丁寧に説明して下さいました
遠方からいらしていたほかのお客さんも,熱心に大将の話を聞かれていました。
大将,ありがとうございます!
ちなみに80年代生まれの私は,給食で鯨肉を食べなかった世代です。
石巻の名物の「鯨の大和煮」などはいただいたことはあるのですが,お刺身ははじめてでした。
クセがなく,とてもおいしかったです
鮎川を後にし,復旧工事が完了している渡波の漁港にも立ち寄りました。
漁港からは,補修中のサンファン・バウティスタ号が確認できます。
今年は出帆400周年の記念の年で,様々なイベントが予定されており,津波で被害を受けたマストを現在補修中です。
なんとマストとなる木はカナダから寄贈され,はるばる海を渡ってきたものです!
宮城県では,他県から職員の応援など,全国から御支援をいただいているほか,
このように海外からの御支援力いただき,復興事業に取り組んでおります
(meg)
石巻市・東松島市・女川町の2市1町の災害廃棄物を処理するため,石巻市雲雀野町に建設された災害廃棄物処理施設。
昨年9月には最後の仮設焼却炉も完成し,本格的な処理が行われるようになりました。
今回は,亘理町内の災害廃棄物処理施設の協力により,石巻市南境地区の一次仮置き場から災害廃棄物がなくなる様子をご紹介したいと思います。
昨年5月7日,災害廃棄物処理が開始される前の石巻市南境地区仮置き場の様子です。



車両や重機と比較するとその大きさがよくわかりますが,災害廃棄物の山が敷地いっぱいに広がっていました。
(災害廃棄物の向こう側に見えるのは石巻商業高校の校舎です)


同じ敷地には津波で被災した車両が山積みになっていました。


この時点では,まだ災害廃棄物をフレコンバッグに詰めている最中でした。

これだけ,広大な土地を埋め尽くしていた災害廃棄物が,1月末には下の写真のようになりました


災害廃棄物の山や,積み上げられた津波被災車両が無くなり,周囲を覆っていた柵が取り払われ,とても見晴らしが良くなりました。
高い柵に囲まれて,災害廃棄物の山が目の前にあるのは,やはり圧迫感がありましたが,このように災害廃棄物の山がきれいさっぱり無くなると,気分も晴れ晴れしますね
災害廃棄物をここまで処理する為に尽力していただいた関係者の皆さまには,本当に感謝の気持ちでいっぱいです
(S.O)
昨年9月には最後の仮設焼却炉も完成し,本格的な処理が行われるようになりました。
今回は,亘理町内の災害廃棄物処理施設の協力により,石巻市南境地区の一次仮置き場から災害廃棄物がなくなる様子をご紹介したいと思います。
昨年5月7日,災害廃棄物処理が開始される前の石巻市南境地区仮置き場の様子です。



車両や重機と比較するとその大きさがよくわかりますが,災害廃棄物の山が敷地いっぱいに広がっていました。
(災害廃棄物の向こう側に見えるのは石巻商業高校の校舎です)


同じ敷地には津波で被災した車両が山積みになっていました。


この時点では,まだ災害廃棄物をフレコンバッグに詰めている最中でした。

これだけ,広大な土地を埋め尽くしていた災害廃棄物が,1月末には下の写真のようになりました



災害廃棄物の山や,積み上げられた津波被災車両が無くなり,周囲を覆っていた柵が取り払われ,とても見晴らしが良くなりました。
高い柵に囲まれて,災害廃棄物の山が目の前にあるのは,やはり圧迫感がありましたが,このように災害廃棄物の山がきれいさっぱり無くなると,気分も晴れ晴れしますね

災害廃棄物をここまで処理する為に尽力していただいた関係者の皆さまには,本当に感謝の気持ちでいっぱいです

(S.O)
復興が徐々に進む女川の風景を撮りました。

カタールの援助を受けた大型冷凍・冷蔵施設が完成しました!

施設名は「マスカー」
カタールの伝統漁法である追い込み漁からとったそうです。


1階の外壁は,津波を受けると外れる仕組みになっています。
2階部分に冷蔵庫があります。

復旧する国道の嵩上げ高さを示す表示板が設置されていました。

車と比べるとその高さが分かります。
復興の状況は随時ブログにアップしていきたいと思います。
(YOU)

カタールの援助を受けた大型冷凍・冷蔵施設が完成しました!

施設名は「マスカー」
カタールの伝統漁法である追い込み漁からとったそうです。


1階の外壁は,津波を受けると外れる仕組みになっています。
2階部分に冷蔵庫があります。

復旧する国道の嵩上げ高さを示す表示板が設置されていました。

車と比べるとその高さが分かります。
復興の状況は随時ブログにアップしていきたいと思います。
(YOU)
9月25日に鮎川に行ってきました。

港は漁船でいっぱいでした。
沖には養殖いかだもありました。

以前(1月23日)の状況です。
この時は,金華山行きの船と漁船2艘だけでした。

そして嵩上げ工事が始まっていました。


平成23年11月10日の鮎川港の状況です。
護岸が破壊され・・・、

地盤沈下により潮が満ちると浸水していた場所も、

今は堤防が出来ていました。
少しずつ復興への道を進む鮎川港でした
(YOU)

港は漁船でいっぱいでした。
沖には養殖いかだもありました。

以前(1月23日)の状況です。
この時は,金華山行きの船と漁船2艘だけでした。

そして嵩上げ工事が始まっていました。


平成23年11月10日の鮎川港の状況です。
護岸が破壊され・・・、

地盤沈下により潮が満ちると浸水していた場所も、

今は堤防が出来ていました。
少しずつ復興への道を進む鮎川港でした

(YOU)

石巻合庁の桜が開花しました。
仙台では既に満開ですが、石巻は仙台より5日くらい遅い感じです。

昨年の東日本大震災では,この桜の木も水没しました。
写真は震災翌日(2011年3月12日)の朝の様子です。
昨年の桜の時期は,石巻専修大学体育館に合庁機能を移転していたので,この桜が咲いていたのかどうかは定かではありません。
震災後,初めて開花が確認出来ました。

たまに,冬にも咲いたりする気まぐれな石巻合庁の桜。
津波の塩害にも負けない力強い桜です。
(S.O)