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旧える天まるのブログ
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PHS実存主義

2019-11-11 02:30:54 | 雑記の宿

 来年の7月31日をもってPHS通信事業が終了するということになって、PHS携帯電話から現在のスマートフォンに回線移行しました。

 電話の歴史は各家庭によってさまざまなドラマがあると思いますが、僕が物心ついた頃には、まだ家庭用電話は家にありませんでした。

 幼稚園にあがる頃までなくて、当時、電話ボックスも置いてないくらいの田舎でしたから、うちのお婆さんが隣近所で裕福な家に行って電話を使わせてもらったり、商店に置いてある電話を使わせてもらいに行くときについていったことを覚えています。

 両親が田舎にもどり経済的に余裕ができたのか?僕が小学生にあがる頃にようやく、家にダイヤル式の黒電話が置かれるようになりました。

 すでにプッシュ式の電話もあった頃でしたが電話の普及は他の家庭と比べると後追いで設置した形になりました。

 時は過ぎて、電話は青春の1ページにもなりました。

 先週(11月9日)の土曜日TBS『久米宏ラジオなんですけど』のテーマはベルリンの壁崩壊から30年を記念して、テーマは『壁』でした。

 僕の壁は恋愛または交際において、電話がひとつの壁でした。電話でずいぶんと交際をダメにしてしまった苦い思い出が蘇ります。しかしながら、文明の発展とともに、通信は交際の手助けになったこともたしかでした。

 携帯電話の前に利便性のよいポケットベルが世の中に普及しました。

東京テレメッセージのポケベルや

NTTドコモのポケベルなど、番号表示付きのポケベルが大流行しました。

 世代的には僕よりも後輩世代の間でよく使われていて、僕はその後追いでポケベルを購入しました。きっかけは彼女ができたことがきっかけで、ポケベルを使用することになり、

そのときにこの本を買いました。『ポケベルおもしろ徹底活用術』

 内容は番号数字による暗号で、0840 と打つと、「おはよう」の挨拶だったりと、ここに書いてあることをお互いに確認しあって交際が進みました。

 それから時が過ぎて、音声携帯電話が普及し始め、初めはデジタルツーカーの携帯電話を手にしましたが、その前からPHS携帯が流行していて、友人から「携帯よりピッチ(PHS)のほうがいい」と言われ、「そうなのかなー」と思い、携帯電話からPHSに買い換えました。

http://hodogaya-mock.ocnk.net/product/1976

 現物が見あたらないので、画像ではお見せできませんが、画像付きのリンクにあったので、こちらをご紹介いたします。

 初めに手にしたPHSは、DDIポケットのKENWOODのISD-P67XITの色はアクアブルーを購入しました。KENWOODは音響メーカーとして憧れのブランドだったのでKENWOODで選んだのを覚えています。

[CM] 太陽とシスコムーン DDIポケット (1999)

 このCMの最初に持っていたのと同じものでした。その当時は、なにがよかったというと、文章が送信できることでした。後追いで携帯をもったので多少文字送信もできたのですが、文字数が断然PHSのほうが一度に多く送れて当時Eメールとは言わず、Pメールと呼んでいました。

 パソコン通信をすでに行っていた人にはEメールを送っていたのかもしれませんが、僕はその頃はまだパソコンはなく、Pメールが初めてのEメールでした。

 PHSだったので、周辺の基地局と交信ができるコンテンツがあり、その頃、すでに中高生の間ではよく使われていたようで、そのサイトなるものにアクセスしたときに、漢字一文字で例えば、今日今日今日今日今日今日 何何何何何何何 暇暇暇暇暇暇といった感じで文字だけが流れていて異様に感じました。おそらくどこかの少年たちのやりとりだったように思えましたが、誰かが入ると気づくみたいで、警察警察警察警察警察 と流れ、少年たちはビクビクしながらPHSでたむろってたんだなーと思いました。あの場の光景は異様に怖かったのですぐに退散しました。

 しかしラジオ局に手紙やはがきを送りたくてもなかなか送れなかった時代を過ごしていたので、ラジオ局に自分の意志を伝えられる手段として、PHSが使えたことは何よりも嬉しく、楽しく、開放された気分になりました。

 それから、あの頃は6か月から8か月ぐらいで機種交換ができたので、新型がでるとよく機種交換しました。初めは白黒液晶画面だったのが、色付きの液晶画面にしたり、カラー液晶になればすぐにカラー液晶の機種に交換しました。しかし、それと同時に携帯電話の開発もどんどん進化し、気づけばPHSより早くに、新性能の機種が普及していました。

 メール交換もよくやりましたが、だんだんとユーザーが携帯電話会社の方へながれてゆき、メル友とマッチングすることもなくなってゆきました。

 新たな交流の場は、パソコンユーザーへと求め、世界初のスマートフォンと言われた機種にも交換しました。品番的には初代ではなく第二弾の機種ですが、当時は指でも画面を操作できましたが、タッチペンで画面を操作してました。任天堂DSも発売されたころで、DS用のタッチペンを使うのが便利でした。

 現在はSIMという形になりましたが、真ん中にある白いガードを移し替えることで、別な機種も使えました。

 PHS携帯をずっと持っていたものとしては、予想以上に携帯電話のシェアが拡大して、PHSをもっていた自分にとっては共有できずに物寂しい思いをしました。スマートフォンを持ったのはいいのだけれど、当時は大きすぎて、薄型の折り畳み携帯が定着したころには一時期PHSから離れたこともありました。しかし、数年後再びPHSにもどりましたが事業終了の案内が届きました。

 でも、PHSがあったからこそ、僕はここにこうやって存在しうることが出来てますし、通信で繋がりあっています。PHSには1999年から20年ちかくお世話になりました。

 ちょっと真面目か!、もうね東京行って疲れて帰ってきて、スマホ届いてて!その移行作業にめちゃくちゃ疲れました。かんべんしてください

 

 

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