nursling,

読書 音楽 映画について

ランボー全詩集  アルチュール・ランボー  Arthur Rimbaud  宇佐美 斉 訳

2007年12月20日 | 読書記録
ランボーといえばフランスの詩人。
…あと、ランボーとヴェルレーヌの恋愛を描いた映画「太陽と月に背いて」をビデオで観たことがある。
この本を読む前は、その程度の知識でした。

「太陽と月に背いて」では、まだ若くてきゃしゃな体つきで、髪の長いレオナルド・ディカプリオがものすごくかわいらしかったこと。
あと、ランボーとヴェルレーヌが些細な事で、しかも感情もあらわにけんかをするので、なんだか小学生の男の子同士のけんかを見ているみたい…と、ちょっと呆れてしまった記憶があります。
ラストで、ヴェルレーヌがレストランのような場所で、ランボーの幻を見るのだけれど、そのシーンは少し感動的でした。



詩というのはやはり、元々書かれた言語で読むのが一番いい鑑賞法なのではないかしら?…という思いからか、外国の人の書いた詩集は、今まであまり熱心に読んだことがないのですが、、、

最近チラッと目にした「教養のためのガイドブック」とかいう本に”この本は読んではいけない”と言う項目に、ランボーの「地獄の季節」と言うのがありました。
それで読んでみようかな、と思ったわけです。

「教養の・・・」という本は、どうも大学生くらいの若い人向けに書かれた本のようで、「まだ自我が出来上がっていない若い人には進められない云々…」とありました。…ので、もういい年した私は読んでもかまわんだろう。。。
。。。と言うか、二十歳くらいのときにこういう文面に出会っても、結局読んじゃっていたりして。


@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

ランボー全詩集

*前期韻文詩
孤児たちのお年玉
感覚
太陽と肉体
(以下略)

*後期韻文詩

カシスの川
渇きのコメディ
(以下略)

*愛の砂漠(散文)

*地獄の季節(散文詩)
*****(←こういうタイトルの詩が始めにあるのです)
悪い血
地獄の夜
錯乱Ⅰ
錯乱Ⅱ
不可能
閃光

別れ


*イリュミナシオン
大洪水のあと
子供のころ
おとぎ話
客寄せ芝居
(以下略)


*補遺
①初期散文習作
〔物語〕
シャルル・ドルレアンのルイ十一世宛書簡
僧衣の下の心
②淫猥詩篇
③書簡抄

*略年譜
*訳者あとがき


前期韻文詩は、宗教絡みのもの、しかも皮肉ったりあざけったりしているようなものが多い。

私が驚いたのは、ランボーがこれ(前期韻文詩)を書いたのは10代の半ばだと言うのに、その作品の中に、ありとあらゆる知識、が、これでもかと言うくらいに頻繁に詰め込まれていること。
ギリシャ神話を始めとするあらゆる文学作品の登場人物、解剖生理学の専門用語、…この子は、字が読めるようになった時から、片っ端から本を読んでいたんだろうな、と思った。

これらの初期の詩を読んでいると、宗教や政治、…あとその当時の道徳観念のようなものにたいする、物凄い怒りを感じる。
それだけでなく、自分自身に対しても彼は意地悪く、辛らつに攻撃している、と感じました。


巻末の略年表を見ると、15、6歳の頃、何度もパリまで出奔(…要するに家出の事ですよね)し、当時政情が不安定だったのに、パリを徘徊したりしている。


若いとはいえ、突発的に行動を起こさずにはいられない、彼が書く詩の世界そのままに、怒ったり、苛ついたりしていたのかな。…などと思った。


地獄の季節…これは散文詩。
これをどういう意味にとるかは、読む人に任されるべき…というか、読む人の自由だと思う。

私はこれは、ランボーがヴェルレーヌと過ごした、ロンドン等での日々、彼との間に起こったいざこざ(ヴェルレーヌはランボーに向けて銃弾を発し、ランボーは左手首を負傷、ヴェルレーヌは逮捕されたりしている)
…そういったものを経験した上で、心の中からあふれ出て来るものを、思いのままに書き綴ったのではないかな、と思った。

イリュミナシオンという詩集、これに関してもどうとらえるかは鑑賞者の自由だと思う。
この本、最初から最後まで訳者の方の注が、これでもかと言うくらいに大量に書き込まれており、最初は(ずうずうしくも)[邪魔だなぁ…]などと思っていたが、少し読み始めるとすぐに、あぁ、注を参考にする事なしに、ランボーの詩を鑑賞するのは無理だ、と気付いた。
注を参考にしても、意味の分からない詩も多々あるが、それはそれでやはり読み手の自由だとおもう。
どう鑑賞するかは自由だと思う。

ランボー自身も、すべて読み手に分かるように…などと望んでいないと感じた。

それどころか、読み手を翻弄して嘲笑っているかのような印象を受け、なぜかそんな所にも魅力を感じずにはいられなかった。


ランボーは、20歳を少し過ぎた頃に、詩作も文学もきっぱり捨ててしまった。

詩にも文学にも、ヴェルレーヌとのいざこざも含めて、思い出したくもない程に愛想が尽きてしまったのか、それとも、…。

真意は、本人にしかわからないのかもしれないが…。
巻末の略年表の詩をやめた後の人生を読み、まるで昔書いた詩の内容そのものを実行に移しているのでは、と思った箇所もあり…。


ランボーは、ストイックに自分の理想を追い求め、自ら、命を縮めてしまったのかな。
そんなことを思いました。

イリュミナシオンの中の”岬”という詩に「日本の木の梢を傾けている奇妙な公園の斜面、…」という言葉が出て来ます。

同じくイリュミナシオンの“首都の景観”という作品にも、「ここは、ライン川のかなたや日本やグアラニのおとぎ話めいた貴族たちが領有する土地であって、…」という一節もあります。

「日本の一番大きい島」と言う言葉も、確かにどこかのページで見たんだけれど、探してもちょっと見つかりませんでした。


太陽と月に背いて(1995) - goo 映画


wikipedia---アルチュール・ランボー

私にフランス語が読めたらなぁ…ぜひ原文を読んでみたいものですが、フランス語を覚えようと思っても、フランス語はいと遠し…。
老後の楽しみに…しようかな。
いや、無理だな。うん。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 老婦人クラブ―名探偵エミール... | トップ | クリスマス・キャロル―A Chri... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

読書記録」カテゴリの最新記事