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ensemble マーケティングの視点

日常生活と趣味を綴る個人的散文です。タイトルに反し、仕事に関する話は書きません。

セッション(原題:Whiplash)

2015-05-22 23:46:34 | コンテンツ

酷評報道につられて観にいった映画です。ネガティブキャンペーンだったのか、本気で酷評したのか……いずれにしても、公開後ずいぶん経つのにえらく混んでいました。

さわやかな音楽映画ではないし、コメディでもありません。むしろ、その対極にある陰鬱な世界観、狂気と心に渦巻く嫉妬や挫折感で歪められた理想が描かれていますが、スクリーン上だけのことにしても、こうした世界観を求めている人が意外と多いのですね。評価も軒並み高い映画です。皆、飽き飽きしているのでしょう。フィクションの世界でまで守る必要のない無味乾燥な暗黙の了解と中途半端な優しさ、心地よさでお茶を濁したような作品には。

かといって、リアリティが欠如しているかというと、そんなことはありません。もちろん車が横転し、血まみれになってまで、ドラムの主奏者として、コンペティションのステージに立とうとするシーンは、フィクションそのものです。でもそれ以外の大部分は、そうではないと思います。誰にも保証されない、あるかないかもわからない才能を拠り所に日々を費やす若きニーマンの苦悩、またフレッチャーにしても鬼教師としては有名でも、人を育てることでは満たされない、プレーヤーとして自ら追求しきれなかった人生への悔しさ……自分自身には投影できなくても、心が震える部分はあったのではないでしょうか。

むだな描写はなく、しかしむだにも思える葛藤や周囲の人を傷つけたり切り捨てたりする描写は容赦なく、それが観客の胸を締めつけ、あるいは二人の主人公を軽蔑する上から目線をもたらします。そんなに必死になっても、ニーマンはまだ何もつかんでいないし、これからも何もつかまないかもしれない。フレッチャーだって、プレーヤーとしてはだめだったか、イマイチだった人でしょう。そんなんで、本当に一流のアーティストが育てられるの?と……(決して“Good Job!”が人を育てるとは思わないから、そこは共感するけれど)

そもそも2人とも人物の性格設定は結構傲慢で嫌なやつで、本音は最後まで見えない部分があります。最後のフレッチャーの心情も、見る人によって、解釈を二分させます。譜面をニーマンの前にだけ置かなかったのは、あの彼の行動を予測し、彼を音楽の世界に引き戻すためだったのか、あるいは自分を陥れた元愛弟子への憎しみから永久追放を狙ったのか。

師弟の成長物語でも、世間に何か教訓を与えるものでもなく、不完全な人間同士がせめぎ合い、化学反応をすることで、今はまだ世の中にないもの(ニーマン独自の音楽)が生まれる過程を描いた作品だと思えば秀逸です。クラシックにしてもジャズにしても、音楽を志す人生とは無縁ですが、成功なんかほとんど望めない将来に、多額のお金と時間を費やすのです。そんな人生を選んだ人に、いい人であれ、人を傷つけるな、蹴落とすなとはいえないし、この映画に描かれた狂気もまた絵空事とのは思えないのです。

最近、観た映画の中では、私的には一番でした。


BS朝日の不可解なインフォメーション

2015-04-24 00:30:36 | コンテンツ

Yahoo!トップに【BS朝日 錦織戦生中継できず】というニュースがあがっていました。

何を言っているのだろう、あるいは何をもって、本気で生中継ができると思っていたのだろうと、不思議に思っている国際テニス観戦のコアなファンも多かったのではないでしょうか。今、錦織圭が出場しているバルセロナオープンは、平日午前中開始の国際映像は流していません。自分たちでカメラを持ち込み(もちろんそういう契約を結び)、独自でLIVE中継をしない限り、放送予定自体があり得ないものと思っていました。

しかも、試合は日本時間18時(現地11時)からの開始なのに、放送予定は17時。1時間もいったい何をやるつもりなのか、それも不思議でした。まさかサマータイムを知らないとか。いや、サマータイムじゃなければ19時か。

それでもBSとはいえ、朝日が堂々と中継を発表し、テレビ欄に載せているわけですから、何らかの契約が結ばれて実現するのだろうと考えるのが普通の日本人の感覚です。

さて、蓋をあけてみれば、やっぱり放送はできませんでした。もっとも遅れて放送したわけですから、映像そのものは手に入れたということです。何らかの交渉はしていたのでしょうが、試合のスケジュールが決まるのは前日なので、結局交渉が噛み合わず間に合わなかったということでしょう。

ただ、これも想像です。もしかしたら、最初から映像が届かないことはわかっていたのではないかとか、さまざまな憶測を呼びます。そもそも何年もテニス中継のノウハウを積んでいるWOWOWやGAORAの牙城に、無料放送が錦織に付いている大スポンサー軍団の広告料獲得のために食い込むわけですから、こういうことがあれば、理由を曖昧にせず、視聴者にも説明すべきです。

ここのところ、いくつものテレビ局がテニス中継に手をあげていますが、それによってWOWOWやGAORAと契約解除した錦織ファンもいると思うのです。テニス中継というファンや両局にとって大切なコンテンツを荒らして、最終的に有料放送局がこのコンテンツに魅力を感じなくなり、撤退や縮小をされてはたまったものではありません。あり得ない話ではありません。たとえば日本には高く売れると、放映権料がインフレを起こせば、スポンサーへの営業ノウハウのある民放キー局や、資金力が豊富なNHKが強くなります。

ところが彼らは日本人の試合しか放送しません。テニスという国際スポーツを放送するのではなく、錦織圭というコンテンツを放送しているにすぎないのです。そのこと自体は仕方がありません。NHKのターゲットは広く国民ですし、民放はスポンサーがつかなければ放送しませんから、数少ないテニス観戦ファンのために放送してほしいというのは無茶な要望です。

まあ、もっとも開始時間も第1試合でなければわからない、何時間やるかもわからない。個人競技ですから、ケガや病気のキャンセルで試合そのものがなくなる可能性もあると、テニスはきちんとプログラムが決まっている地上波の放送には馴染まないものです。BSにしたところで、不特定多数の視聴者がさまざまな要望やクレームを寄せてくる大手テレビ局は、いずれ耐えきれなくなり手放す可能性もあります。昨年全米での錦織圭の活躍で、NHKあたりになぜ中継しないのかというクレームが多くきたとも聞いています。生活者自身がコンテンツや情報は、常に無料で手に入るものという意識を変えるほうが大切かもしれません。もっとも、NHKは受信料を払っていれば、その限りではありませんが。


出版社の存在価値

2015-03-15 23:49:09 | コンテンツ

もし、このニュースが何の策略でもなく、真実なら出版社の存在にどんな意味を持つのかと思います。(Yahoo!ニュース

この際、大手ブックチェーンが優秀なフリー編集者を雇い、作家を発掘して、売れる本を作って売った方がいいんじゃないでしょうか。販売権だけ持って、製造責任を問われる出版権、編集権をそれでも本を作りたい第三者に持ってもらえばいいんです。小売業でいうところのPB(プライベートブランド)。案外、気骨のある真のクリエーターが賛同してくれるかもしれません。

ニュースの内容は、『境界のないセカイ』というコミックの連載中止、単行本化中止です。その理由が、「男は男らしく女は女らしくするべき」というメッセージが断定的に読み取れる記述があったというものらしいです。残忍なシーンがあったというなら、100歩譲って仕方がないと思えても、こうなるともはや実はほかに深い理由があったと釈明してもらわないと、そんなクレームリスクすら取れない出版社の存在のほうがよほどリスクです。放っておいても、本が売れない時代に、こんなことで本当に大丈夫なのでしょうか。

そもそも「男は男らしく女は女らしくするべき」というメッセージは、間違っているかもしれませんが、この社会に根付いているものでしょう。(しかもこのコミックは、これが言いたいのではなく、終盤に向かうにつれて考えを改めるそうです)その考え自体を支持している人がまだ多数派だといってもいい。だからこそ、マイノリティの団体からのクレームがこわいみたいですが、何か思考回路が無茶苦茶というか、主体的にもの(出版物)を作ろうという会社とは思えません。

これならまだ、スポンサーに支配されている民放キー局の方がよほど凛然たる態度です。途中でスポンサーが降りた『明日ママ』も、一応最後まで放送しましたし、同じ日テレでそれ以前に放送した『家なき子』『女王の教室』も物議を醸しだしましたが、一定以上の評価を得たのも事実でしょう。

今、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)という本を読んでいます。読了前なので感想は控えますが、ざっくりいうと、今の日本は平和だ、清潔だ、日本人は素晴らしいと、喧伝する裏にある闇や矛盾を描写するノンフィクションです。

教育者や一般企業が不都合な真実を隠したがる心情はまだわかります。出版社が多様なイデオロギーや意見や思想、固定概念、世の中の裏側に背を向けて、創作物であるという理解すらないクレームを恐れて、いったい何を出版するのでしょうか。

コミックという完全な創作物だから描けるものがあるはずです。仮に暴力や戦争を肯定する世界観でも、本当は描いていいはずです。実際、そんな書籍はいくらでもあります。

それに比べれば、古い固定概念がストーリーに必要な要素として出てきても何の問題もありません。もしコミックだから子どもの目に触れ、それが正しいと認識されることを恐れているなら、それは教育の放棄以外の何ものでもありません。漂白された社会で、1人の人間が生き抜けるほど、この世の中は簡単ではないと思います。


オリジナルドラマ

2015-01-07 00:41:16 | コンテンツ

最近、妙にBSスカパーのオリジナルドラマ『破門』のCMが目につきます。

WOWOWではおなじみの「初回無料」のアプローチつきで。1回目、おもしろければ、2回目以降は、有料でどうぞというわかりやすい加入促進です。

私は、WOWOWとGAORAに加入していますが、スカパーは観られないし、これ以上視聴できるチャンネルを増やしたいとも思わないけれども、結局、本格的に加入者を求めるなら、オリジナルコンテンツありきなのかな、と思わせる力の入れようです。

よくテレビ番組がつまらないという人がいます。私自身も別におもしろいとは思わないけれども(全部がつまらないとも思わない)、いわゆる民放はただで観ているわけです。もちろんCMで観た商品を買っているとか、電波は公共のものだとか、理屈をつければ、無料であることが番組作りに手を抜いていい理由にはなりませんが、やっぱり制作費が潤沢なNHKなどはいい番組も多いわけです。むろん、民放もCM価値を高めるためには、視聴率を上げる必要はありますが、どうしてもスポンサー目線にならざるを得ず、表現の自由、編集権の堅持をとなえても限界があります。

テレビ朝日のドラマは、全体におもしろいのですが、それでも固有名詞はそのまま出てきません。たとえば、アメリカのドラマでは、よほどその対象がストーリーの本筋と密接でなければ、オバマ大統領は「オバマ大統領」と表現され、Facebookは「Facebook」と表現されます。リアルさが重要な社会派ドラマでは、たったそれだけのことでも重厚さがぐっと増します。

そこまでの徹底していなくても、有料放送であるWOWOWの制作、放映するドラマは見ごたえがあります。テーマも司法や政治はもとより、経済犯罪の話など、世相にも比較的勇気をもって踏み込んだ内容が多いです。別に地上波民放のドラマと出ている人が違うわけでも、脚本家が違うわけでも、制作スタッフが違うわけでもありません。最近は知りませんが、もともとフジテレビのドラマスタッフの制作ドラマが多かったのです。ドラマ作りのノウハウでは実績が違いますから、最初から独自スタッフというわけにはいきません。

要するには、規制、自由度、だれを向いてものづくりをするのか、それだけで提供されるものが変わるということです。

BSスカパーの本格オリジナルドラマは初めての取り組みということです。そこに踏み込んだのは、視聴者に直接お金を出してもらうためには、ほかでは観られないものを作るしかないというでしょう。いくら映画の放送権を買っても、個人でも映画館で観たりレンタルDVDを借りたりすることができます。視聴者にとってみれば、コンテンツを自分で選べるので、その方がいいかもしれません。

そう考えれば、オリジナルドラマ、ドキュメンタリー、LIVEのコンサートやスポーツの放送などに勝るものはありません。一定の加入者を確保している有料放送局は、団塊世代の在宅率が増え、テレビ視聴時間が増えるに従い、今後そちらの方向に流れると思います。