ゾウさんと暮らす

85歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 82歳。  

 東日本大震災3・11の 冊子

2014年03月02日 00時10分12秒 | 平成東日本大震災2011・3月

3年前の 地震のことは

ブログに 書いていたから 憶えているだろうと

思っていたが

電気が来たのは 何日後 だったのか。

いつ 水がきたか。 水道から 水があふれたのは、

何日後 なのか。 どっちが 先だったのか。

あ、これは 憶えている。 電気が 先。


3月11日の 次の日かな。 

「集会所に ……」と 広報車が 叫んでいたので

なんのことか わからなかったが いってみた。 

発電機から 電源を とって、 テレビが ついていた。  

   そして この 映像 を みた。 

 

堤防から 波が溢れて 

車が 連れ去られて……。


その3月に入った。 もうすぐ、3年なんだ。

内陸部に 住む 私の 地震体験だから 

甘っちょろいものだが、それでも 冊子を 作ることにした。

このブログには 54篇 書いてある。

文章をワードに移したら 70ページに なった。

目次を つくった。 それから 文章の推敲。

53ページに まとまった。 写真もすこし いれた。

表紙には 上の写真をつかった。

 下

2006年の 高田松原、 震災まえの (ゾウさんの)写真。

 Dsc00294 

事実確認の 検索をしていたら 見つかった。

下の 紀行文。陸前高田市のこと。

   南船北馬集 第十四編

岩手県巡講 第一回日誌

大正六年七月十日 晴れ。

朝、宮城県気仙沼町を発し、

山路五里の間、腕車通じがたきにつき、

迂路をとり、矢作嶺を登降して

岩手県陸前国気仙郡高田町〈現在岩手県陸前高田市〉に至る。

行程六里半。

町外に一帯の松林の海に沿うありて、自然に防風波堤となる。  

夏時の海水浴場に適す


大正時代の 紀行文である。 (大正六年七月十日)

穏かな海まで みえる 描写である。

それが …… 

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