ゾウさんと暮らす

85歳の 夫ゾウさんとの
二人暮らし。 わたし 82歳。  

④ 九戸政実の乱。落城した姉帯氏の居城

2018年08月22日 00時09分18秒 | 2018・九戸城ツアー・遠野 

盛岡 → 九戸 → 遠野 18・8月

④ 九戸政実の乱・ 前哨戦で 落城した姉帯氏の居城

ホテルから 開運橋を 渡って 盛岡駅へ

集合は 7時15分。  30分前に 着いた。

(多分) 誰も 来ていない。 添乗員さん も。

催行最小人数は 15人と なっていた が さて。

盛岡駅から 何人乗ったのか わからなかった。

一戸駅に 集合したら 大型バスが いっぱいだった。

   あとで 添乗員さんと 話す機会があった。

   人気のある ツアーなのだそうな。

台風一過。これ以上がない 好天のなか、山城の 姉帯城へ 向かう。

ここは 姉帯城(左手の 山)が 見える 馬淵川の 橋の上。

TVの 報道で 洪水の状態を見ていた。 

すこし 水は 引いたように 思う。

説明を受ける。

山城へいく道は このたびの 台風で 崩壊した箇所がある。

残念ながら 行くことができない、と。

解説を メモしていたら 地元の方が よって来た。

端っこにいたので、ワタシ ご挨拶をしたら、話しかけきた。

「道路は きれいになっているが うちの中は まだ 土砂だらけ」。。。

と 言っている、ようだ。

解説を 聞きたい 私は 気持ち 散漫。 メモは 出来なかった。

解説者の 話を聞き 質問をしていた方が

「城に行きたい。 崩壊箇所手前まででも 行きたい」となった。

行けるところまで 歩くことになった。そうでなくちゃ・・・

姉帯城は 九戸南部氏の一族・姉帯氏の居城。

姉帯氏は 南部氏16代 助政の子息が 姉帯小次郎を称したのが始まり。

姉帯の地に 500石 の他、 飯岡(盛岡市)に 1,000石の領地。

九戸政実の祖父である九戸修理信実、

その弟である 兼実 が 姉帯蔵人を 名乗って 姉帯氏を継いだ。

     姉帯城 ↑ 入口 右へ曲がる。

天正19年(1591)

南部信直の「九戸政実反逆」の 訴えにより

豊臣秀吉は 九戸氏討伐の軍を差し向けた。

当時の姉帯城主は 姉帯大学兼興で、

九戸城攻撃に向かう 豊臣勢を迎え撃つため

一族郎党や 近隣の諸豪族らと共に 姉帯城に 籠城した。

そして 前哨戦で 落城してしまう。

姉帯氏の居城に 近づいている。

ここを すこし 行ったあたりで みなさま 戻ってきた。 

崩壊したところまででも いいから 見たかった ナ。

追いつけないもんな。。私の足では

 → こっちへ 行くと

さっきの橋があるのだが その手前が 硅化木地帯である。

            ( 城とは かかわりない が )

バス駐車していたところは 停留所 だった。

「 侍 村 」とある。

バス路線の 北側が 城のある 川久保。

道を 隔てた 南方が さむらいむら。。。

  姉帯一族の意地を みるような 名称だ。 

 バスの中から。

山ん中に 住んでいる私には 山は 珍しくない。

毎日 見てる。 …が ここの 緑は また 格別。

   道が 緑の山に ぴったり くっついている。

  これから 長興寺へ 向かう。


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