松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

役立たずだと思われたものを保存した人

2007-07-05 23:43:43 | 復活奮闘日記
櫨は現代では何の役にも立たない。
そう断言された私ですが、その事について
ある方を思い出しました。
昨年の2月に亡くなられた香月徳男さんという方です。

香月さんは昭和36年から、
郵便局の仕事の合間に筑後一円の民家を周り、
うきは市の山奥で「平川家」の家を発見します。

発見当時、平川家では折しも改築の話が持ち上がっており
香月さんは
「貴重な国の民俗資料をみすみす壊すのは国の損だ。
なんとか考え直して欲しい。」と
再三にわたる説得に向かいます。
この時の香月さんの実測調査と研究資料が
文化庁に認められ、46年に
福岡県下第一号の国の重要文化財指定民家になりました。

香月さんは、朝倉市で最も観光地として名高い
三連水車の保存にも力を尽くしました。
43年に水車の実測調査をやった後、
水車廃止の声が出ると、
自費で8mm映画「水車は生きている」を作り
啓蒙運動を起こし、全国から大学教授や学者を集めて
現地で水車シンポジウムを開きました。
現在、カタコトと動く三連水車はライトアップされ、
観光客がたくさんやってきます。

また49年に、道路拡張の邪魔だからと
久留米市山本町の櫨並木を伐採してくれと
地区の住民が署名運動を始め、
県に陳情を出した事件もありました。
その時も、香月さんは櫨の保存を訴え
話し合いや現地調査を行い、
後に伐採計画が取りやめになりました。
現在、山本町の櫨並木は毎年20万人の観光客で賑わっています。

平川家住宅も、三連水車も、櫨並木も
昭和40年代当時、全くムダと思われていました。
過去の遺物だから、なくなってしまってもいいと。
平成19年現在、上記のものを
全くムダと言う人はいません。
地元の貴重な遺産だと認められています。

櫨が役に立つかどうか。
ある人には「未来」の中に見えるかもしれないし
他の人には見えないかも知れません。
そんなこと、誰にわかるでしょう?

私は残念ながら香月さんとお会いしたことはありませんが
三連水車や櫨並木を見る度に
香月さんの成し遂げた功績を思い出し、力づけられています。

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