松山櫨(はぜ)復活奮闘日記

失われてしまった松山櫨の景観を復活させようと奮闘していく日々の記録。

義経の弓には櫨が

2007-12-09 21:43:19 | 和弓と櫨
上の画像は源平合戦で超有名な場面「那須与一の扇の的」を描いたものです。
日本で弓の名手といえば、筆頭にあげられる那須与一。
伝承なども各地に残っているようですが、吾妻鏡には記載されておらず
平家物語や源平盛衰記に伝えるところが大きいため、
実在していたかの立証はないそうです。

しかし、与一が実在していたとして、
使っていた弓は、どんなのだろう?という疑問は以前からありました。

するとたまたま、ネットを放浪していたら
なんと義経が使っていた弓が残されていたとの記事を発見!

○義経の弓が残されていた 紫波町赤沢に伝承
この義経の弓道具には義経の恋の伝承も残っている他、
かなり興味深いことが載っていました。

-----引用-----
遠山さんは「弓は当時の普通サイズより短めに作られている。点々と糸でつなぎ巻き、要所は藤で巻いて補強し、その上に漆を塗っている。その芯(しん)に用いているのは櫨(はぜ=ウルシ科の落葉小高木)と思われる」と説明する。
-----引用終わり--

芯材に使う櫨は山櫨ですが、山櫨の生育地は関東以西。
櫨の木材の取引が盛んだったのか、
弓自体の取引が盛んだったのか
京都から奥州藤原氏のもとに移った義経が、弓を持っていったのか。
いずれにしろ、当時の武将の弓に櫨が使われる事は一般的だったのかもしれません。

こうしたことを考えると、源平合戦の時、那須与一の使った弓も、
おそらく芯材は櫨だったと考えても不思議ではありません。
いろいろと想像すると楽しいもんです。

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