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フィリッポ・リッピ 「聖母子と二天使」

2014-03-01 23:55:07 | 番組(美の巨人たち)

2014年3月1日放送 美の巨人たち(テレビ東京)
フィリッポ・リッピ 「聖母子と二天使」

ルネサンス美術は単なるギリシア・ローマ美術の模倣にとどまるものではない。
ルネサンスはまた自然の美や現実世界の価値が再発見された時代でもあり、そして何よりもまず「人間性の回復」の時代であった。

                  ―――高階秀爾監修 『カラー版 西洋美術史』 70頁

Quattrocentoなる(美術)用語がある。
1400年代、すなわち15世紀のイタリア美術を指す言葉である。

同様の呼称は各世紀に与えられている。
1200年代(13世紀)...Duecento
1300年代(14世紀)...Trecento
  (↓)
1500年代(16世紀)...Cinquecento
1600年代(17世紀)...Seicento
等。

Quattrocentoの幕開けは、美術史上、初期ルネサンスの始まりとしても位置付けられる。
初期ルネサンス絵画の創始者をマザッチョに定めるならば、彼の次世代に位置するのがフラ・アンジェリコフィリッポ・リッピである。

この系譜はフィリッポ・リッピの弟子ボッティチェリに受け継がれ、また同時代の芸術家ヴェロッキオにはレオナルドが師事している。

こうして、時代は三人の巨匠(レオナルド、ミケランジェロ、ラファエロ)の盛期ルネサンスへと移行してゆく。

このページの冒頭の引用にもあるように、ルネサンスという運動の目指した〈再生〉は、なにもギリシア・ローマの古典の〈文芸復興〉ばかりではない。
ここでいう〈再生〉とは、〈人間性の回復〉をも包含した概念なのである。

番組内ではフィリッポ・リッピこそ〈ルネサンス絵画の創始者〉といった表現がなされていた。
人間性の回復〉という視点を念頭に置いてこの運動全体を眺めてみれば、まさに言い得て妙ではないかと思う。

マザッチョやフラ・アンジェリコの絵画をみると、そこには対象をいくぶん〈理想化〉する傾向がみられる。
こうした意味においては、彼らの作品は中世美術のパラダイムを脱しきっていないともいえる。

しかし、トップに貼り付けた絵画《聖母子と二天使》の右上に描かれている幼子イエスの表情に特徴的に窺われるように、フィリッポ・リッピの描いた人物は、決して〈理想化〉されていない。
このように、〈人間性の回復〉という観点からみれば、より〈世俗的〉な画風を示したフィリッポ・リッピがルネサンス絵画の幕開けに位置するという見方は十分可能なのである。

番組のなかではまた興味深い指摘がなされていた。
《聖母子と二天使》をよくみてみよう。

聖母マリアは肘掛け椅子に座っている。
しかし一方で、彼女の背は窓枠にもたれかかっているようにもみえる。

〈額縁〉ともとれる窓枠の外には、レオナルドの「空気遠近法」の先駆けともいわれる筆遣いで自然が描かれている。
その景色は、決して〈理想化〉されていない。

「美の巨人たち」で紹介されていた解釈はこうだ。

従来の聖母子像では、背景に〈理想化〉された風景ないしは光景が描かれた。
フィリッポ・リッピの本作は、あたかも〈窓〉という〈額縁〉から聖母らが抜け出してきたかのように浮かび上がってみえる。

つまり、この絵画は、言ってみれば、聖母子を天上の〈彼岸〉世界から世俗の〈此岸〉世界へと移行させているまさにそのただ中にあるのである。
その表情の〈世俗的〉な描き方と相俟って、この絵画はまさに〈人間性の回復〉を掲げたルネサンス絵画の新時代を告げている。

ヴァザーリの有名な伝記では多分に画僧の破天荒な生き様が誇張されているようだが、その〈色眼鏡〉を通して作品をみている限り、フィリッポ・リッピという画家の真の姿は見えてこないようにも思える。

また《聖母子と二天使》に描かれている幼子イエスは画僧の自画像という説もあるようだ。
こうした解釈の可能性も含め、画家の〈革新性〉についてはまだまだ研究の余地があるということらしい。

19世紀フランスのバルビゾン派を代表する画家ミレーは、「愛好家ばかりで研究者がいない、伝記ばかりで論文がない、ある意味で特殊な画家」とも評される(井出洋一郎『「農民画家」ミレーの真実』 11頁)。
フィリッポ・リッピもまた、伝記的事実が他の画家と比べいささか〈特殊〉なだけに、その事実がときに画家をみる眼を視野狭窄なものとし、研究を少なからず滞らせるということなのであろうか。

少し話は変わるが、同じ〈画僧〉であっても、フラ・アンジェリコとフィリッポ・リッピとでは性格的に天と地ほど違う。

〈敬虔〉を(文字通り)絵にかいたような修道士と、スキャンダラスな破戒僧。

フィリッポ・リッピが愛したのは30も年の離れた尼僧ルクレツィア・ブーティ。
彼女との駆け落ちをはじめとする画僧の破天荒な人生については、『イラストで読む ルネサンスの巨匠たち』(70-79頁)のなかでもユーモラスに紹介されている。

また先ほど「空気遠近法」の話でレオナルドの名前を挙げたが、彼とフィリッポ・リッピにはもうひとつ共通点がある。
レオナルドは幼くして母親と生き別れ、フィリッポ・リッピも同じく死別している。

この二人は、幼少期の〈母親不在〉という点で共通しているのだ。
こうした"sense of lost"は終生、両画家に影を落とし、二人は"sense of gain"を作品のなかに求めようとした。

番組内でも言っていたが、フィリッポ・リッピの描いた聖母マリアは、「あどけなさと優美さを湛えつつ、愁いを帯びた繊細な様子」である。

これは単に、将来人々の〈犠牲〉となる幼子イエスの行く末を聖母マリアが案じているというだけではない。
画家の幼少期以来の複雑な心境が、聖母マリアに投影されているのである。

フィリッポ・リッピ。
これほどまでに軽やかなヴェールを描き切ることのできる画家を、私は知らない。

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