旅のウンチク

旅行会社の人間が描く、旅するうえでの役に立つ知識や役に立たない知識など。

禁煙体験談その2

2010年03月30日 | ライフスタイル
ふとした思い付きで、しかも継続する予定もなく禁煙を始めた私ですが、禁煙そのものについては、”いつでもやめられる”という勝算がありました。根拠は国際線航空便。空港内全面禁煙の空港も増えた昨今、海外に渡航するには10時間程度の期間、タバコを吸えない事はよくある事です。そういった際に十分我慢できている事がわかっていたので、それがもう少し長くなっても大丈夫に思えました。この頃、私の知識は、タバコは嗜好物であって、吸いたい気持ちを我慢すればよいだけで、それ以外は体調も良くなって良いことづくめと考える程度の単純なものでした。

数年前には足を骨折したまま仕事をしていたことがあったり、その他にも、基本的に痛みや苦しみを我慢する事はある程度自信がありますから(痛い事が好きなワケではないのでお間違いなく。)あまりシリアスには考えていませんでした。ところがタバコを吸わなくなった翌日の事。朝から頭が痛くなってきました。最初は”寝不足だったかな”くらいに捉えていたのですが、昼頃には激痛に変わって来たのです。タバコを断って体の具合が悪くなるなんて思いもよらなかった私はこの頭痛を禁煙と関連させて考える事は出来ませんでした。それから、その日の帰り道、バイクを運転していた私は何となく自分の平衡感覚が今までと違う事に気がつきました。雰囲気としては平衡感覚が異常なのですが、禁煙の”効果”で平衡感覚が”良く”なって、普段どおりの走り方で平衡感覚に不安を感じることが”できる”ようになったのだと信じて疑いませんでした。あとになって考えれば、平衡感覚が”変”なのに、バイクを運転するのは危険と言えますが、”良く”なっていると信じていたのですから、”信じるものは救われる”というわけですね。

このような体調の異変は良くなるどころかどんどん進行して、3日目頃には頭痛は耐え難い痛みとなり、このあたりで”もしかすると、禁煙の影響かもしれない”と考えた私はインターネットで調べてみました。どうやら3日ほどの禁煙で体内のニコチンは全て排出されるとの事。その他の体調の変化もどうやら全て禁煙の影響。頭痛、眠気、喉のつかえ感、平衡感覚の異常、首と肩の異常な凝りなどの他に、根気がなくなり、集中力がなくなり、電卓を使ってすら計算ができなくなってしまいました。

もし、このような激しい異変がなければ予定通り2週間ほどで禁煙をやめていたと思います。あまりにも激しい異変を味わった結果、再度喫煙するのが怖くなって、喫煙再開を1日伸ばしに先送りしていました。ところが、このつきの月末、私は決算書を提出しなければならない時期であって、会計士や税理士にお願いしているわけでない渡しの場合、計算ができないのは致命的でありました。決算資料の作成も1日送りに先送りしていたのですが、もう今日出さなければならないという日に至り、ここで喫煙を再開することに決定。朝、1本のタバコに火をつけました。

2週間ぶりに吸うタバコ。そして1本吸い終わったとともに席について計算を始めてみると、朔日までの苦しみが嘘のように計算がはかどります。その日の午前中には計算完了。なんとか夕方には税務署へ申告書を提出することができました。

もともとの計画通り、ここからは時間コントロール。朝1本、昼食後1本、帰宅後1本という配分でタバコを吸い始め、最初はこのペースを守ることができたのですが、いつの間にか1日4本になり、5本になり、2週間後にはもはや1日1箱に戻っていました。ここで結論。やはりタバコの本数を減らすのは自分には無理なようです。それならいっそのことやめてしまう事を決断したのでありました。

手元にあったタバコが空になると同時に再び禁煙を開始。前回の禁煙からそれほど日も経っていないためか、耐え難いような頭痛は味あわずに済みましたが、肉体的な苦痛が少ない分、タバコを吸いたいという欲求との戦いは前回を上回ります。前回は肉体的苦痛が激しすぎて、タバコを吸うどころではなかったのです。

よく、禁煙と同時にタバコやライター、灰皿を捨てるべきという話を聞きますが、私は実は1箱だけタバコをストックしていました。自分のデスクからは離れた場所にライターと一緒に置いて、どうしても我慢できなくなったら、自己嫌悪を味わいながら1本だけ吸ってしまおうという我流な自己制御。(真似しないように)タバコを絶ってから2週間程度の期間は、なんどもそのタバコのパッケージから1本だけ抜き出して口に咥え、ライターに火をつけましたが、そのライターの火をタバコに近づける手前で思いとどまるという行為を繰り返しながら、耐えた日数を日誌につけていました。

映画”プラトーン”の中で、兵士達が兵役の残り日数を話し合うシーンがありますが、そのシーンが何度も頭をかすめます。残り日数が2桁台になった事を語り合う兵士達が、新兵に訪ねます。”お前は残り何日だ?”新兵が”3xxx日”と答えると、一渡り大笑した後で、”そういう時は残り何日と数えるのではなくて、もうxx日も過ぎたとか、そういう風に前向きに考える方がよい”と話すのです。

1ヶ月半が過ぎた頃、首と肩の凝り、喉のつかえ感、午後突然襲ってくる異常な眠気、ワケの分からない異常な食欲などの症状を残しながらも、どうやらストックしているタバコに手を伸ばす事は無くなりました。

この頃、タバコの匂いに対して異常に敏感になった私は、まだ寒い時期で車の窓は閉まっているにも関わらず、しかも、私は排ガスよけのマスクをしてバイクに乗っているにも関わらず、走行中に周囲を走行している車中で喫煙しているのを”嗅ぎつける”ことができました。このことから考えたものです。

例えば、戦場で見張りを立てるときは、喫煙者を選んで、1週間ほど営倉に閉じ込めて禁煙させてから見張りに立てれば、敵に喫煙者が混じっていれば遠くからでも”嗅ぎわけられる”とか、これだけの体の異変なら何かつかいみちがあるのではないかと。

とはいえ、まだまだ自分の体調の異変は続いていくのでありました。

更に続く。

P.S.
何となくブームに押されてヒステリックに禁煙が推し進められていますが、実際、喫煙者が禁煙するにはかなり大きな苦しみをある程度の期間にわたって味わう事を理解してあげて欲しいと思うのです。例えば会社単位で禁煙を進めるのであれば、喫煙者が禁煙に成功するためには、当分は”役立たず”に成り下がる事を計算に入れてあげなければなりませんし、家族が禁煙するときは、本人が相当な苦しみを味わっていることを周りの人は理解して応援してあげてください。

世の中の禁煙ブームはただ単に喫煙者を迫害するだけの行為に見えてなりません。


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