社会人2年目の頃の話。
私が当時働いていた会社はとても進歩的な考え方の会社で、海外旅行目的であれば1年間に2週間の休暇が合計2回。つまり1ヶ月の休暇を取得することができました。更に、入社して最初の2回は”研修”と称して行き先は会社が指定。航空券は会社が用意してくれるのですが、滞在費は自分で工面しなければなりません。たいていの研修はマニラや香港、バンコクあたりへ1人で行かされるのですが、私ともう1名、そんな楽しいところへ行かせたら帰って来なくなると危惧された人間がいて、我々は二人組でロサンゼルスへ行く羽目になりました。
とはいえ、二人とも薄給の新入社員なのでロサンゼルスに2週間も滞在する財力はありません。きっと、この困難をいかに乗り切るかが我々に対する”研修”なのでしょう。
とりあえず到着日はロサンゼルスオフィスへ配属されている同期入社の社員にファックス(時代を感じます)して、アパートに泊めてもらうことにしたのですが、ずっと居候はできません。そこで出発前に考えたのが、近隣の物価の安そうな国への逃亡でした。ちなみにこの逃亡は研修のルールに違反はしていません。逃亡費用は自分で負担しなければなりませんから懸命に安い航空券を探したものです。
かくしてロサンゼルスへ到着した翌々日には私はグァテマラへ。一緒にロサンゼルスへ行かされた人物はサントドミンゴへ逃亡。
10日ほどをグァテマラシティとアンティグアで過ごした私は帰国日に合わせてロサンゼルスへ戻るためにグァテマラシティの空港から飛び立ちました。フライトはグァテマラシティからメキシコシティ経由ロサンゼルス行きのメヒカーナ航空。
グァテマラからロサンゼルスへ帰ってきた日の宿泊は、ロサンゼルスオフィスのスタッフにお願いして、当時、格安ツアーでの利用が多かったフィゲロアホテルに旅行会社の特権、無料で泊めてもらえるように交渉してもらってありました。だから、このフライトに乗るところまで生き延びればあとは一文無しでもなんとか日本へは帰れそうです。
メキシコシティでのトランジットを終えて機内へ戻ってしばらくしたら、機内放送。
どうやら、少し飛行機が遅れるとのこと。
更に少し経つと、もう一度機内放送。
一度トランジットルームへ出てほしいとの事。
案内が全て英語とスペイン語なので上手く聞き取れないのですが、何度も聞いていてわかったのはメキシコシティで降りる人の受託手荷物が航空機から上手く降りていないのでやり直しているとの事。
トランジットルームにはワゴンが運ばれてきてソフトドリンクと小さなサンドイッチがセルフサービスで提供されました。
実は私は旅行好きの夕べの際にサンドイッチを用意するたびにこの時のメキシコシティ空港のサンドイッチを何故か思い出します。
メキシコシティでの遅延はどんどんと長くなり、確か4時間ほど遅れたのかと記憶しています。ようやく出発したフライトはもちろん到着も遅延。ロサンゼルスに夜中に到着して、頭もぼーっとしたまま入国審査の列に並びます。
治安の良くないロサンゼルスに夜中に到着は少し怖い感じではありますが、幸い今回は宿泊先をこれから探すわけではありません。
別の入国審査の列のところに制服を着た体格の大きな女性が犬を連れて歩いています。
”あ!麻薬犬だ!”
なぜか私にとっては当時物珍しい存在だったのです。少し興奮。
次の瞬間、その助成係員は私の姿を見つけると犬を連れて猛ダッシュで私の元へやってきたのです。
リードを引っ張って犬を私にけしかける係官。
犬は私のショルダーバッグの匂いを嗅いで、”フン”と顔を背けると係官を別の方向へ連れていったのでした。
社会人になってからの渡航なので、そんなに怪しい恰好をしてはいなかったと思うのですが。
私が当時働いていた会社はとても進歩的な考え方の会社で、海外旅行目的であれば1年間に2週間の休暇が合計2回。つまり1ヶ月の休暇を取得することができました。更に、入社して最初の2回は”研修”と称して行き先は会社が指定。航空券は会社が用意してくれるのですが、滞在費は自分で工面しなければなりません。たいていの研修はマニラや香港、バンコクあたりへ1人で行かされるのですが、私ともう1名、そんな楽しいところへ行かせたら帰って来なくなると危惧された人間がいて、我々は二人組でロサンゼルスへ行く羽目になりました。
とはいえ、二人とも薄給の新入社員なのでロサンゼルスに2週間も滞在する財力はありません。きっと、この困難をいかに乗り切るかが我々に対する”研修”なのでしょう。
とりあえず到着日はロサンゼルスオフィスへ配属されている同期入社の社員にファックス(時代を感じます)して、アパートに泊めてもらうことにしたのですが、ずっと居候はできません。そこで出発前に考えたのが、近隣の物価の安そうな国への逃亡でした。ちなみにこの逃亡は研修のルールに違反はしていません。逃亡費用は自分で負担しなければなりませんから懸命に安い航空券を探したものです。
かくしてロサンゼルスへ到着した翌々日には私はグァテマラへ。一緒にロサンゼルスへ行かされた人物はサントドミンゴへ逃亡。
10日ほどをグァテマラシティとアンティグアで過ごした私は帰国日に合わせてロサンゼルスへ戻るためにグァテマラシティの空港から飛び立ちました。フライトはグァテマラシティからメキシコシティ経由ロサンゼルス行きのメヒカーナ航空。
グァテマラからロサンゼルスへ帰ってきた日の宿泊は、ロサンゼルスオフィスのスタッフにお願いして、当時、格安ツアーでの利用が多かったフィゲロアホテルに旅行会社の特権、無料で泊めてもらえるように交渉してもらってありました。だから、このフライトに乗るところまで生き延びればあとは一文無しでもなんとか日本へは帰れそうです。
メキシコシティでのトランジットを終えて機内へ戻ってしばらくしたら、機内放送。
どうやら、少し飛行機が遅れるとのこと。
更に少し経つと、もう一度機内放送。
一度トランジットルームへ出てほしいとの事。
案内が全て英語とスペイン語なので上手く聞き取れないのですが、何度も聞いていてわかったのはメキシコシティで降りる人の受託手荷物が航空機から上手く降りていないのでやり直しているとの事。
トランジットルームにはワゴンが運ばれてきてソフトドリンクと小さなサンドイッチがセルフサービスで提供されました。
実は私は旅行好きの夕べの際にサンドイッチを用意するたびにこの時のメキシコシティ空港のサンドイッチを何故か思い出します。
メキシコシティでの遅延はどんどんと長くなり、確か4時間ほど遅れたのかと記憶しています。ようやく出発したフライトはもちろん到着も遅延。ロサンゼルスに夜中に到着して、頭もぼーっとしたまま入国審査の列に並びます。
治安の良くないロサンゼルスに夜中に到着は少し怖い感じではありますが、幸い今回は宿泊先をこれから探すわけではありません。
別の入国審査の列のところに制服を着た体格の大きな女性が犬を連れて歩いています。
”あ!麻薬犬だ!”
なぜか私にとっては当時物珍しい存在だったのです。少し興奮。
次の瞬間、その助成係員は私の姿を見つけると犬を連れて猛ダッシュで私の元へやってきたのです。
リードを引っ張って犬を私にけしかける係官。
犬は私のショルダーバッグの匂いを嗅いで、”フン”と顔を背けると係官を別の方向へ連れていったのでした。
社会人になってからの渡航なので、そんなに怪しい恰好をしてはいなかったと思うのですが。
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