最近すっかり寒くなってきましたね。E&Gもついに先週ストーブを出しました。
それでも冬は基本的に沢山着込む主義なのでまだあまりエアコンもストーブも使わずに過ごしてはいますが年が明けたら当分ストーブ併用でエアコンを使う事になります。
さて、そんな中、先月末のスーパーカブで旅するタイ北部では現地は日中気温30℃を超えていました。日本との気温差が大きい分9月のタイ&ラオス路線バスの旅と比べて服装にも悩みますし、体を合わせるのも大変なのですが...実は不思議なことに、少なくとも私はそれほど大変ではありません。
例えば私の場合、日本にいるときはE&Gの室温が30℃を超えたらエアコンをいれます。つまり7月末から9月中旬くらいまでずっとエアコンを使いっぱなしです。これは事務機器が不調になるのを防ぐ意味もあるのですが、自分も暑くて我慢できないからでもあります。特に夜は寝苦しくて困ります。
ところが、キャンプに行った場合など、根本的にエアコンがない環境であったりタイやラオスでの旅のようにエアコンなしの宿、あるいはエアコンなしの部屋に泊まる場合、それほど寝苦しいと感じたことがないのが不思議なところです。9月の"タイ&ラオス路線バスの旅では最後の移動にエアコン付きの寝台列車を使ったところ、逆に少し風邪気味で帰国する羽目になったほどです。
”無いんだからあきらめがつく”
という事なのでしょうか。不思議でもあり興味深い事だと思います。
慣れや習慣というものもあるようで、タイ北部で興味深く感じるのは特にメーサイやチェンコンあたりだと早朝、綿入りの防寒ジャンパーを着て店先を掃除しているような光景をよく目にします。もちろん早朝のタイ北部は思いのほか気温は低いのですが、それでも私たちにとってはTシャツ1枚で充分快適な気温です。おそらく現地の人たちにとっては1日のリズムの中で"寒い”時間帯なのだと思います。我々は”よそ者”なので1日のリズムそのものがありません。習慣から解放されている分、目の前の現実に自分を合わせる能力が向上するのが旅の途中という事なのかと考えたりします。
そんな事を思いながら、これが旅の本質の一つなのではないかと思った次第。旅の途中では自分に不思議な適応力が芽生えます。
つまり、日々の習慣から解放されて、目の前の現実に自分を合わせるしかない状況。だからこそ旅の途中では暑さ寒さにも適用範囲が広くなったり、人のちょっとしたしぐさや表情を注意深く読み取ってコミュニケーションの助けにする能力が高まったり、普段なら恐ろしくて口にしないような食材を興味本位で食べることができたり、細かい事を上げればまだいろいろありそうですが、旅の最中に不思議と向上している能力に思い当たる人は多いのではないでしょうか。
そう考えると、旅先では、むしろ極端に自分の日常とは離れた体験を持った方が意外な自分の能力に気が付くことができるのではないでしょうか。快適に旅するためのグッズや快適に旅するための手配は度を過ぎると旅の本質を自ら放棄することになるかもしれないので注意したいものですね。
P.S.
日常とはかけ離れた体験といえば、新しい非日常体験の旅の募集を開始しました。
山岳少数民族の村々を巡る旅
それでも冬は基本的に沢山着込む主義なのでまだあまりエアコンもストーブも使わずに過ごしてはいますが年が明けたら当分ストーブ併用でエアコンを使う事になります。
さて、そんな中、先月末のスーパーカブで旅するタイ北部では現地は日中気温30℃を超えていました。日本との気温差が大きい分9月のタイ&ラオス路線バスの旅と比べて服装にも悩みますし、体を合わせるのも大変なのですが...実は不思議なことに、少なくとも私はそれほど大変ではありません。
例えば私の場合、日本にいるときはE&Gの室温が30℃を超えたらエアコンをいれます。つまり7月末から9月中旬くらいまでずっとエアコンを使いっぱなしです。これは事務機器が不調になるのを防ぐ意味もあるのですが、自分も暑くて我慢できないからでもあります。特に夜は寝苦しくて困ります。
ところが、キャンプに行った場合など、根本的にエアコンがない環境であったりタイやラオスでの旅のようにエアコンなしの宿、あるいはエアコンなしの部屋に泊まる場合、それほど寝苦しいと感じたことがないのが不思議なところです。9月の"タイ&ラオス路線バスの旅では最後の移動にエアコン付きの寝台列車を使ったところ、逆に少し風邪気味で帰国する羽目になったほどです。
”無いんだからあきらめがつく”
という事なのでしょうか。不思議でもあり興味深い事だと思います。
慣れや習慣というものもあるようで、タイ北部で興味深く感じるのは特にメーサイやチェンコンあたりだと早朝、綿入りの防寒ジャンパーを着て店先を掃除しているような光景をよく目にします。もちろん早朝のタイ北部は思いのほか気温は低いのですが、それでも私たちにとってはTシャツ1枚で充分快適な気温です。おそらく現地の人たちにとっては1日のリズムの中で"寒い”時間帯なのだと思います。我々は”よそ者”なので1日のリズムそのものがありません。習慣から解放されている分、目の前の現実に自分を合わせる能力が向上するのが旅の途中という事なのかと考えたりします。
そんな事を思いながら、これが旅の本質の一つなのではないかと思った次第。旅の途中では自分に不思議な適応力が芽生えます。
つまり、日々の習慣から解放されて、目の前の現実に自分を合わせるしかない状況。だからこそ旅の途中では暑さ寒さにも適用範囲が広くなったり、人のちょっとしたしぐさや表情を注意深く読み取ってコミュニケーションの助けにする能力が高まったり、普段なら恐ろしくて口にしないような食材を興味本位で食べることができたり、細かい事を上げればまだいろいろありそうですが、旅の最中に不思議と向上している能力に思い当たる人は多いのではないでしょうか。
そう考えると、旅先では、むしろ極端に自分の日常とは離れた体験を持った方が意外な自分の能力に気が付くことができるのではないでしょうか。快適に旅するためのグッズや快適に旅するための手配は度を過ぎると旅の本質を自ら放棄することになるかもしれないので注意したいものですね。
P.S.
日常とはかけ離れた体験といえば、新しい非日常体験の旅の募集を開始しました。
山岳少数民族の村々を巡る旅
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます