昨日街へ出掛けた 北西の風が強く波が高い
宿根草は強い
病院ラジオ観ながら43年前の長男出産時が蘇って来た。
12月18日出産予定日 病院までの道程があると言う事で万が一を考え入院
来る日も来る日も手術台に向かうけれど陣痛が来ない
19・20・21・22と同じ事の繰り返し。
朝から手術台に向かうため食事は勿論摂れず連日空腹と疲れで参っていた。
12月23日天皇誕生日 今日ダメなら帝王切開との声が聞こえる。
後から入院して毎日手術台に並ぶ人達から産声が聞こえてくる。
私は一人手術台に横たわり陣痛促進の点滴をしながら口には酸素吸入器を付けられていた。
母子共に限界が来て 病院は帝王切開に向かっていた。
忘れもしない お昼を過ぎた頃陣痛促進剤が効いて誰もいない産室で長男を出産
私の声に慌てて看護師さんが駆け寄って来てくれたが産声は無く仮死産だった。
長い時間だったような気がする 弱々しい産声を聞いたとき止めどなく涙が溢れた。
病院の中でも明るさのある印象の産婦人科 明るさだけでは無く様々なドラマがあるものだと。
ジッと病院ラジオに聴き入る子供達 当時の様子を聞かされていたのでしょうか。
産まれてきた命元気に育って欲しいと願わずにはいられなかった。
子供を産み育てる権利を強制的に奪った旧優生保護法
折しも大阪高裁が違憲と認め被害者を救済する道を切り開いた。
中国政府のウイグル族に対する処遇が頭を過ぎった。
基本的な人権は最低限必要ですね
もつと高度な社会的人権が騒がれておりますが時にはそこまでの人権を求めるのも必要かと考える事があります
間違えで途中で送ってしまいました
中途半端でごめんなさい。後は想像にお任せします。
けんすけさんの言わんとしていることは分かります。
でもこの旧優生保護法に関しては誰にも子供を 産み育てる権利を奪うことは出来ないと思います。
生まれてきた赤ちゃんを見ると、胸が熱くなります。
産院というところはいろいろあるでしょうね。
ガーベラさんの出産も、大変だったのですね。
うちの息子たちは双子でした。
2人とも未熟児で生まれてきて、長男は未熟児網膜症ではないか、
といわれて1週間ほど入院していました。
あんな小さく生まれてきた息子たちを育てることは、
いろいろありましたが、楽しかったです。
息子たちは今、自分の子どもを育てています。
コロナ禍で2年ほど会っていません。
息子にも孫にも会いたいですね。
生まれたての赤ちゃんは当時を思い出して私も涙腺が緩くなります。
会陰切開12針という代償と共に。
ガーベラさんの「止めどなく涙が溢れた。」↑
思わず良かった~でした。
「産まれてきた命元気に育って欲しいと・・・」↑
昨今の子供の不幸に涙が止まりません。
本当に「子は宝です。」↑
老いてきますと子供たちの優しさに涙腺が緩みます。
いとも簡単に親のエゴで終らせてしまうことに
遣りきれない思いです親を選べないから尚更です。
生れたての赤ちゃんを見ていますとこのまますくすく育って欲しいと願わずにはいられません
赤ちゃんの仕草に此方が微笑んでおります。