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ヒッソリと咲いていた
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無性に辺見庸が読みたくなった
入院以来Fさんと交した手紙が9通になった。
9通目の手紙には宛名と8月17日至急と表書きされて最後に伝えたかった思いが認めてあった。
1通目の手紙は角張ったしっかりした文字の長文だったが9通目は平仮名が目立った。
20日頃と聞いていたその日が来てしまった 私の手元には臓器提供意思表示カードがある。
「私は脳死後及び心臓が停止した死後の何れでも移植のために臓器を提供します。」
全ての臓器に×印は無い。
Fさんの意志を尊重しもしもの時にはカードを提示しようと思っている 其れがFさんの最後の意思表示であると。
移植を待っている何処かの誰かに命が繋がる事がどれ程尊いものか。
8月13日 朝食 主食無し 牛乳 メイバランスmini その後は知らない。
病院のベットで何を思うのか
身寄りのない人が余命を告げられ其れでも生きよう生きたいと言う思いは生まれるのだろうか。
何かの為に誰かのために生きたいと言う思いは薄らいで行くのでは無いだろうか。
今の辛さから早く解放されたいと思ってしまうのでは無いだろうか。
身元保証人といえど他人況してやコロナ感染防止のため面会は禁止され看取られる事も無く一人で逝く。
せめて最期くらいは皆で送ってあげたいのだが・・・