海辺の町から

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向陽寮

2021-08-15 11:45:33 | 日記

  雨も漸く小康状態に


  トレニアが咲いてきました


76年前長崎の地に原爆が投下され生き抜いてきた戦争孤児のドキュメンタリー
「ひまわりの子どもたち」を観た。
GHQの指示で将来戦争孤児の中から批判分子を作らせないため
日本政府に子供を保護する施設を作らせたのです。
その施設の名前はひまわりの花のように太陽に向かって咲く「向陽寮」に 孤児達に慕われていたお母さん 寮母の餅田千代
彼女はアメリカの家庭でお手伝いさんをしていたため英語が出来アメリカ軍の斡旋で「向陽寮」にきたのです。
原爆で親を失い住む場所も食べ物も無い過酷な状況下にあった100人以上もの戦争孤児が収容され
施設が出来る前は小さな子供達は引取先で満足な食事も与えられず労働力として扱われ
空腹を満たすために物を盗んだり戦後の混沌とした世の中に放り出され
生きていくために選ばざるを得なかったのだろう。
大人達の身勝手な戦争によって孤児となり戦後76年を重い荷を背負って生きて来たのかと思うと
胸が締め付けられる思いでした。
あの状況下誰もがなり得た戦争孤児 なのに世間の目は冷たく
盗みや暴力常習の浮浪児とみなす厳しい差別と偏見に翻弄されて生きて来たのです。
唯一の救いはお母さん餅田千代との出会いです。
愛情を一杯孤児達に注いで世間の冷たい目の前に立ちふさがって孤児達を守ってくれたこと
大の大人がお母さんと言って涙する姿に救いを感じたのでした。