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碑文谷アピアに2ヶ月に一度出演する二人楽団でたんの大きい方。スカイツリーが見える町に住む。

近江彦根藩伝承 干肉

2008年10月03日 19時02分49秒 | Kanother旅日記
そんなワケで日帰り草津出張りの帰り道、独りぼっちの大宴会のお供は、近江彦根藩伝承の干肉。

彦根藩と言やあ、今日びのヒトは「ああ、ひこにゃんの?」てなことになるんかもですが、彦根藩と言えば井伊直弼で有名な井伊家が藩主を務めた、佐幕派の急先鋒。そして井伊直弼と言えば、Kanother的故郷のヒロシマでは「おう、わしゃあ言い直すけぇ」の定番ギャグでも有名な・・・って、そんな情報はいらんですね。近いとこでは大河ドラマ『篤姫』で中村梅雀が好演しとりましたね。あの井伊直弼は良かったな。

何しろ、そんな彦根藩伝承が謳われたこの干肉。パッケージ裏の説明書きには「近江で古来より伝承された特殊な製法により牛肉の赤身を調味・加工・乾燥させたもの」とあります。

おや?彦根藩では古来より牛肉を干して喰うとったんかいな?食肉禁止令とかあったんやなかったんかいな?湖東地域と言えば古刹も多くて、仏教的な色彩の強いとこかと思うとったけど。

でもまあ、ウサギを「羽(わ)」で数えて鳥扱いにしたり、イノシシを「山クジラ」と呼んでオッケーにしたり、ボタンだのサクラだのモミジだのと植物の名で呼んだりしながら、意外と江戸期にも何だかんだで肉は喰うとったようなので、牛も古来伝承のワザで干して置いといて、何気に喰うたりしとったんかもねぇ。

味の方はと言えば、基本は醤油味なんですが、古来より伝承された特殊な製法と言いながらもコショーが利いてたりして、歯応えもそこそこにあるんで長持ちするし、旅のお供のビールのアテにはかなり最適です。あ、売り子のお姉ちゃんが来た。すんませ~ん、ビ、ヒック、ビールをもう1本、いや2本・・・



道標

2008年10月03日 19時00分49秒 | Kanother旅日記
草津駅前には、宿場時代の草津宿の道標レプリカが建ってます。まあ、たぶんレプリカってほどに厳密な代物ではないんでしょうが。この道標には草津宿の名前とともに『「右東海道 いせみち」「左中仙道 美のじ」』という文字が刻まれておりやす。

駅からチョイと歩くと国道1号線が真っ直ぐに走っており、姥が餅と宿場そばの店はいずれもこの国道1号線沿いに建ってたりして、今は決して賑やかとは言えない草津が、昔は東海道と中仙道を繋ぐ宿場町として栄えていたことを今に伝えているかのよう。

そんなことも理由なんでしょうか、Kanotherが昼エサを喰うている間に、宿場そばには平日にも関わらず添乗員付の団体さんがバスで二組ほど入ってらっしゃいました。国道沿いで入りやすいってのも勿論あるとは思いますが、今も旅のヒト達の腹を満たしてるんやなあと思うと、そばをすすりつつも頭がまた江戸時代に飛んだりしちまう、Kanotherなんでした。



宿場町・草津

2008年10月03日 12時57分31秒 | Kanother旅日記
今日も今日とてKanother in 草津。『草津良いと~こ~一度~は~おいで~♪』のアレではなく、滋賀県の草津です。

草津ってぇのは東海道五十三次のひとつで、中仙道との分岐点でもあり、旅籠屋が70軒を越える近江路随一の宿場町だったそうな。広重、北斎の浮世絵や東海道名所図会、伊勢参宮名所図会などにも描かれた名所なんだそうだが、全国的な知名度では明らかに『草津良いと~こ~♪』の遥かに後塵を拝しているのは何とも残念なところ。

ところでKanother的故郷にも「草津」と言う地名があるんであるが、この名前はなんでそんなに日本の各地にあるんだろうか。「津」は港の意味やし、Kanother的故郷は瀬戸内海に、ここは琵琶湖に面しとるから何となく解るけど、『草津良いと~こ~♪』は群馬の山ん中やしなあ。何やろかねぇ。

な~んてことを思いながら喰う草津での昼エサは、シゴト先のすぐ近くにあったお店、その名も『宿場そば』。宿場町やからね。出張った先でまでそばかよ!て感じがするかもですが、でも実は六文そばでないそばを喰うのは意外に久し振りかも。

この『宿場そば』、草津銘菓にして広辞苑にもその名が載る『姥が餅』を作るお店の併設店。今は「南洋軒」と言う会社組織で駅弁なども広く手掛けてて、訊くとこによると、現在のJR草津駅が建つ土地も、昔の駅舎建設時にここが提供したものなんだと。宿場町時代に旅籠や茶屋で賑わったこの地の繁栄振りが伺えるエピソードやねぇ。

そんな感じに江戸の昔に思いを馳せつつ、ボチボチとシゴトへ向かいやすです。そば、美味しゅうございました。