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Dr.K の日記

日々の出来事を中心に、時々、好きな古伊万里について語ります。

色絵 菊花牡丹菖蒲図 乳首形水注

2021年07月21日 14時35分17秒 | 古伊万里

 今回は、「色絵 菊花牡丹菖蒲図 乳首形水注」の紹介です。

 

 

立面(正面と仮定)

 

 

正面から右に180度回転させた面

 

 

正面から右に90度回転させた面

 

 

正面から左に90度回転させた面

 

 

上から見たところ

 

 

底面

 

生 産 地 : 肥前・有田

製作年代: 江戸時代前期~中期(17世紀後半)

サ イ  ズ: 高さ;20.0cm 口径;7.9cm 高台径;9.0cm

 

 

 この、見慣れない器形のものはケンディと言われるものです。

 ケンディにつきましては、戸栗美術館の「学芸の小部屋」というところに解説が載っていますので、そのうちの一部を次に引用して紹介いたします。

「 16世紀、大航海時代の中で、東洋貿易の覇権を握ったポルトガルによって、大量の中国磁器が東南アジアやヨーロッパへ運ばれましたが、その中にケンディもありました。熱帯気候の東南アジアにおいて、ケンディは水を冷たく保つことができる上、携帯にも便利な日用の飲水器でした。注口が乳房形に作られることにより、勢いよく水が出る構造になっているため、注口に直接口を触れることなく、放物線状に觚を描く水を口で受けるようにして飲むことができ、回し飲みの習慣がある東南アジアにおいて、衛生的に飲水できる有用な器でもありました。ヨーロッパでは実用面から言えば需要のない器形ではありましたが、東洋趣味の流行の中でその変わった形が受けて、オランダのデルフト陶器でもケンディが作られています。17世紀にオランダ東インド会社を介して輸出を始めた伊万里焼にも引き続きケンディは求められ、染付・色絵、精粗さまざまな作品が作られています。
 本器は、伊万里輸出が始まってから比較的早い段階の作品であり、頸部に描かれたチューリップ風の文様や、胴部の山水文などに、17世紀中ごろに中国景徳鎮窯で作られたトランジショナル手(明末清初手)の影響が見られます。」

 

 また、この「色絵 菊花牡丹菖蒲図 乳首形水注」につきましたは、かつての拙ホームページの「古伊万里への誘い」の中でも紹介しておりますので、それを、参考までに、次に紹介いたします。

 

 

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        <古伊万里への誘い>

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*古伊万里随想13  伊万里修復技術に脱帽(陶説559号;H11.10月号)(平成14年3月20日登載)

 

 

 ケンディ(伊万里乳首形水注)に遭遇する。しかし、なにぶんにも値が張る。なんとか安くならないものかと店主に交渉するも、「これは、ある人から委託されたもので、自分の物ではないから、まけられない。」とのつれない返事。それでも、そこをなんとか、委託主と交渉してもらえまいかと懇願する。2~3日後、色よい御返事やいかにと連絡するも、「あれは、14~15年前、東京のさる売立にて高価に買い求めたもの。それより安くせよなど、物を冒涜するも甚だしい。そんなことを言う者には売らないでほしい。」との回答であったとの、きつーい御返事。

 そんなことまで言われては、こちらにだって意地というものがある。一寸の虫にも五分の魂とやら。こちとら、やせても枯れても人間さまだ。意地でも買うもんかと、たんかを切る。

 間に入っている店主の立場も微妙。「どうせ、こんな高い値段では売れっこないから、当分ありますよ。」との慰めの御言葉。

 ・・・とはいうものの、毎日、なんとなくケンディ様のことが気になってならない。イソップ物語に出てくる、酸っぱいぶどう(?)に未練を残して立去ったキツネの心境。たまに店に立寄ってみると、くだんのケンディ様は、なるほど店主が言ったように売れ残ってはいるが、意地でも買うもんかとたんかを切った手前、言い値でもいいから売ってほしいとは言い出しがたい。そんなことを繰り返し、悶々とした日々が二か月程経過した日のこと。もう、ほとぼりもさめたであろうと自分自身に言い聞かせ、恥を忍んで言い値で買うことを思い切って切り出す。勿論、先方は商売だ。即刻商談は成立。現金を渡し、ケンディ様は我が手に納まる。

 我が物となれば、いとおしさもひとしお。また、心にも余裕が生まれ、手中の物を、ゆっくりと、しかも今までとは次元の違う角度からさえ心ゆくまで眺めることができるような気がするから不思議。

 鑑賞の態度から、点検の態度に変えて見ていたときのこと、「あれ!」と思う場所を発見。腰の部分に一ヶ所、極く小さな、何やら工作を施したらしい所を見つけ出してしまった。透明ニスかワックスのよなものを塗って工作したらしい部分の極めて小さな剥落箇所である。

 爪で慎重に少しひっかいてみる。やはり、ワックスのようなものが落下する。「これ、何か工作してありますよ。」と店主に言えば、「本当だ! 全然知らなかった! 委託主も知らなかったようだ。それならやめておいたほうがいいですよ。」と、さっき渡したばかりで、まだテーブルに置いたままになっていた現金をこちらに押し返す。契約の成立は不安定になった。爪でのひっかき作業は止めざるをえまい。あまりに傷口を大きくし、明らかに工作が施されていることが分かるような状態にしてしまったのでは委託主への返品ができなくなる。

 しかし、ケンディ様に惚れてしまった弱み。また、意地の突っ張りあいからやっと開放されて入手に至った因縁の一品への思い。さらには、何やら工作をしてあるらしいことを発見したのに、それを完全に解明できないことへの欲求不満。それらを総合すれば、いまさら契約を反故にして返品するには、あまりにも忍びない。しばし沈思黙考。やはり契約は成立させることを宣言する。

 「古色を出すために工作したものではなさそうだ。私の何回かの体験からすれば、赤が剥落し、剥落部分に補色を加え、それを押さえるために上から透明ニスみたいなものを塗ったのだろう。それを剥がした場合、どのくらい元の赤が残っているのか不明だが、これは一種の賭けであろう。その危険負担は私がする。その結果、返品するなどとは言ったりしないし、まけてくれなどとも言いはしない。傷があるのを承知のうえで、無傷の値段で買い取る。ただ、はがした結果どうなったかは、現物を持参して報告したい。」と店主に告げ、自宅につれ帰る。

 二日程水に漬け、いよいよ剥がし作業を開始。爪でひっかいたぐらいではなかなか剥がれない。カッターナイフに切り替え、慎重に進める。少々赤が剥れる。「あゝ、やっぱり、予想通りだ! 口縁の梅花や首の菖蒲の赤が剥れ落ちたら致命傷だ! 高い買い物についたか・・・」と独り言。しかし、その後、あまり赤が剥れない。「これはどうしたことだ! 見込みちがいだ! 古色を出すための工作だったのか、そうであれば新物だったのか。それすら見破れなかったのだとすれば、私の鑑識眼も地におちたものだ。今まで何を勉強してきたのだ!」と、頭の中が真っ白になりながらも、懸命に慎重に作業を進める。 

 剥がし続けることしばし、遂に本性が現われた。ニューが現われたのだ。全部剥がしてみると、胴の片側面に何本かのニューが出現したのだ。ニューを隠すため、その部分を赤や染付の青や白で加彩し、その上に全面的にニス状のものが塗ってあったのだ。

 これは私にとって、まさに新発見。赤の剥落のカムフラージュのための工作であろうとの最初の目論見は、みごとにはずれた。それが、ニューを消すためだったとは!

 これまでに、美術館に展示してあるもののうちに、真っ二つに割れたものを全くわからないように補修してあるものがあるとの噂は聞いていたが、それを自らが体験したのは初めてであり、良い勉強となった。そのことをさっそく店主に報告したことは言うまでもない。きっと、店主にとっても良い勉強になったことであろう。

 そもそもは、ニス状の小さな剥落箇所の発見だった。恐らく、14~15年が経過し、補修箇所が劣化したために馬脚を現したのだろう。補修直後なら、肉眼で見破ることなど、到底不可能だ。それほどまでに補修技術は立派であった。まさに脱帽。

 ケンディ様は、ニューを現したが、赤も鮮明に現してくれた。また、大きな体験をも与えてくれた。この買い物が、安かったのか、高かったのかは、後世の評価に待とう。

 

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