今回は、「鉄釉 飛鉋文(とびかんなもん) 徳利」の紹介です。
これは、平成10年に(今から23年前に)、地元の骨董屋から買ってきたものです。
立派な箱に入っていて、箱には、「古伊万里 鉄釉 飛鉋文 徳利」と書かれていました。
中身はというと、「ええっ、これ、磁器なの? 古伊万里?」と言う感じの物です(~_~;) しかし、値段たるや、堂々たるものでした(笑)。
これを見て、「へえ~、伊万里では、こんな物も作っているんだ。まだまだ、私も、伊万里の勉強が足りないな~」の思いでした(~_~;)
それで、古伊万里の勉強もまだまだ足りないな~、もっともっと勉強しなければいけないな~と思い、教材の意味で買ってきたものです。
しかし、その後、買いっぱなしで、調べもせず、そのまま押入れの中に放置してしまいました(~_~;)
今回、紹介するために押入れの中から引っ張り出してきたわけですが、そんな状況ですので、買った時以来さっぱり勉強していませんから疑問のままです(><)
それで、当面、この「鉄釉 飛鉋文 徳利」の生産地は「肥前・有田」として紹介いたします(~_~;)
正面(仮定)
首から下には飛鉋(とびかんな)で文様を作り、そこに鉄釉を掛けています。
正面の裏側
首部分の拡大
底面
生 産 地 : 肥前・有田 肥前・平戸(三川内)
製作年代: 江戸時代中期 江戸時代後期
サ イ ズ : 口径;2.3cm 胴径;12.3cm 高さ;19.2cm 底径;7.2~7.6cm
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追 記(令和5年2月27日)
令和5年2月22日に、「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」を紹介しましたところ、2~3の方より、「この徳利の生産地は有田ではないのではないだろうか? 波佐見か平戸(三川内)辺りではないだろうか? また、製作年代も江戸中期ではなく、江戸後期になるのではないだろうか?」とか「現在、ヤフオクでは、これに類する徳利が平戸(三川内)焼として売られているようです」とのコメントが寄せられました。
私は、その「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」を紹介するとき、その生産地と製作年代につきましては自信がもてなかったのですが、その「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」とこの「鉄釉 飛鉋文 徳利」とは非常に良く似ていましたので、この「鉄釉 飛鉋文 徳利」の生産地を有田とし、製作年代を江戸中期としていましたから、それに習って、その「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」の生産地も有田とし、製作年代も江戸中期として紹介したところです。
ところで、この「鉄釉 飛鉋文 徳利」は、平成10年に購入しているわけですが、これには次の写真のような立派な箱が付いていて、その箱には「古伊万里 鉄釉 飛鉋文 徳利」と書かれていたことは上記したとおりです。
購入当時の平成10年頃は、単に「古伊万里」と言えば、それは有田産ということを意味していましたので、ちょっとこの箱書きの表示は中身と違うのではないかな~とは思いましたが、有田ではいろんなものを作っていますので、このような物も作っていたのかもしれないな~、教材のつもりで買っておくかということで購入したわけで、そのことも上記したとおりです。
しかし、令和5年2月22日に「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」を紹介しましたところ、2~3の方より、「この徳利の生産地は有田ではないのではないだろうか? 波佐見か平戸(三川内)辺りではないだろうか? また、製作年代も江戸中期ではなく、江戸後期になるのではないだろうか?」とか「現在、ヤフオクでは、これに類する徳利が平戸(三川内)焼として売られているようです」とのコメントが寄せられましたことも前記のとおりです。
そのようなコメントが寄せられましたことに鑑み、令和5年2月22日紹介の「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」の生産地と製作年代につきましては、現在、ヤフオクで、これに似た物が、「平戸(三川内) 飴釉(黄釉)徳利 時代:江戸後期~幕末」として売られているようですので、それに習って、生産地を「生産地:肥前・平戸(三川内)」に、製作年代を「製作年代:江戸時代後期」に訂正したところです。
そこで、この「鉄釉 飛鉋文 徳利」と令和5年2月22日紹介の「銹釉 陰刻 牡丹文 徳利」とは非常に良く似ていますので、この「鉄釉 飛鉋文 徳利」の生産地も「生産地:肥前・平戸(三川内)」に、製作年代も「製作年代:江戸時代後期」に訂正したいと思います。
これも有田ですか。
初めて見る感じです。何も知らないから
そう思うのか?と思いましたら
Dr.さんも 少し驚いておられるのですね。
じっと見ていると色々なモノが見えてきますね。
不思議な模様です。
有田ではいろんなものを作っているんですよね。
それで、頭から、「こんな物を作るはずがない!」と思わずに、謙虚に受け入れることに努めているんです(^_^)
この文様は、飛鉋といって、轆轤で回しているまだ柔らかな器に、薄い鉄板のようなものを当てますと、薄い鉄板のようなものが、ぴょんぴょん跳ねて、連続したこのような文様ができあがるんです。
この方法は、あちこちの窯場で、昔から行われているようですから、この文様があるからといって、それが伊万里とは決められないようです。
単純な文様ですが、じっと見つめていますと、いろんなものが見えてきますよね。それで、昔から人気がある文様なのかもしれません(^-^*)
九州ですから、飛鉋がしてあっても不思議ではないですが、ありそうでありません。
一方、飴釉のような鉄釉は、伊万里では大変珍しいのではないでしょうか。吸坂手の鉄釉より透明度が高いのは少し時代が下がるからでしょうね。
民芸調の古伊万里、大珍品😊
もしくは、古伊万里調の九州民芸陶、大珍品😊
相手もプロですからね。何人ものプロの手を経てきているわけですから、まるっきり、出鱈目とも思えませんものね。
それで、ついつい、参考までに買っておくか、となるわけです(~_~;)
それで、随分と授業料を払っているんですが、懲りないようです(><)
九州では、飛鉋は、小鹿田とか小石原が有名ですよね。
確かに、民芸調の古伊万里か古伊万里調の九州民芸陶というところですね(^_^)