あのうの幸せトンボ

日々の何気ない出来ごとを、思いつくままに……。

再 会

2014-10-29 22:51:53 | 日記

26日、ペンフレンドの千代ちゃんと6年振りに再会しました。

連絡のあった時間に駅へ迎えに行き、改札口で待っているとすらりと長身の彼女が旅行鞄を引いて現れました。
以前に会った時とほとんど変わらない様子に「ちっとも、変わっとらへんなぁ」「あなたも変わってないわよ」と伊勢弁と東京弁でお互いの若さを確認し合い再会を喜んだのであります。

思い起こせば中学2年からの付き合い。かれこれ半世紀にもなるのであります。
「こんなに続くのってめずらしいなぁ」と言いながら前回別れてから6年間のお互いの出来事をダムの水を放流するがごとく話し合ったので、会話がとぎれることがなかったのであります。

五十代で夫を亡くしている彼女は、元々しっかり者だったのがまた一段と磨きがかかったようで、私など足元にも及ばない感じ。
でも、同い年で誕生日も十日しか違わないので、何となく共通点があり、考えが通じる。

26日は湯の山温泉へ行き、御在所ロープウエィに乗り紅葉見物。約1200メートルの山頂付近はきれいに紅葉していて「来て、よかったなぁ」と美しさに感動したのであります。
地元、湯の山で1泊後、翌日は伊勢参り。伊勢神宮の外宮と内宮へお参りしておかげ横丁へ。
あちらこちらと充分歩き、くたくた。電車で鳥羽へ移動して鳥羽で1泊。
翌日は連絡船で登志島へ渡り、あちらこちらで地元の漁師さんと話しながら島めぐり。
また、鳥羽へ戻って名古屋行き特急に乗り、名古屋から新幹線で彼女は東京へと帰ったのであります。

あっという間の三日間。今度は4年後に合う約束をして別れたのでした。
「お互いに健康に気をつけて、元気で再会出来るようにしょうに!」
「そうね。健康が一番だものね!」と、思う事は同じ。

果たして4年後はどうなっていることであろうか?
誰にもわからないことではあるがー。



御在所岳頂上より

ペンフレンド

2014-10-20 21:08:40 | 日記
来週26日にペンフレンドが東京から伊勢参りに来る。

ペンフレンドの彼女とは私が中学生からの長い付き合いである。
私の中学生の頃は、今と違って携帯もなければスマホもない。
友達と交換日記をしたり、遠くの人とは「文通」がはやっていて、手紙を書いてまた、その返事を待つという誠に悠長な平和な時代を過ごしていたのだった。

「返事がきた!」と、楽しげに文通をしている友人に「わたしにもお友達を紹介して!」と文通相手の友達を紹介してもらい、文通を始めた。それが中学の2年生だった。
余程ウマが合ったのか、それからウン十年、近年では年賀状だけの連絡になってしまっているが、絶えることなく付き合いは続いている。

以前に一度、伊勢志摩方面を3日間、私の車で案内したことがあった。
それから早いものでもう6年の歳月が流れ、もう一度会いたいなと思いつつ忙しさにかまけて、会うきっかけもなく私は「今日は東か、明日は西か」で忙しい日々を過ごしている。

きっかけは今年の夏の「台風」なのだ。
三重県が台風の通り道になってしまい、NHKの全国放送にわが「三重県」の文字がデカデカと流れたのである。
偶然それを見ていた友人がメールで「大丈夫?」と聞いてくれた。
幸い、大した被害もないことを連絡したのだが「久しぶりに会いましょうか?」
と言う事になり、それが26日からの3日間の旅になったのである。
何が幸いになるか分からないものだと思った次第。

前回会ってから6年が経った故、車の運転は1部分のみとして、後は電車を利用することにした。
変わらないのは「気の若さ」だけで、体力の衰えを無視して長いドライブをし、事故に巻き込んでも、また、巻き込まれても大変だと思えるようになったのは、6年経った「歳の功」なのであろうか。
前回は何の疑いもなく「私の車で案内する」と思い込んでいた。6年間の経験の蓄積が少しは考える脳に成長させてくれたのか…。

彼女に会ったら、お互いに山坂を越えてきて今に辿りついた人生を、何から話し合おうかと考え、今からドキドキしている私がいるのに気づくのである。



ドラちゃんで~す (^O^)/  (顔を横にして見てね!)


これでいいのだ~~!

2014-10-11 21:02:57 | 日記
昨日は三重県総合文化センター20周年記念講演会と交流会があった。

数年前から、ボランティアという形で関わって来た私めにも案内状がきて出席した。
交流会で社長さんとか議員さんとかの、お偉方に交じって懐かしいボランティア仲間の面々と久しぶりに会い、話に花が咲いたのであるが、その中で、同じボランティアのIさんの姿を見つけた。

彼女は私の娘ぐらいの歳で、とても理知的な女性である。その彼女がなぜか見たところ元気がない。
「どうしたの?」と聞くと「以前は痩せようと思ってダイエットにいろいろ挑戦してダメだったけど、病気になって食べられなくなったら
この通りお腹もへこんだわ」とぺちゃんこのお腹を見せる。
「家にばかりいてはダメだと、ここへ引っ張ってきたのよ」と、そばから別の声が聞こえる。
「そうだったの。顔に元気がないと思ったわ。それで今はどうなの?」と聞くと「まだ、本調子じゃないの」「そう、体を大事にして早く元気になってな!」と言ってしばらくすると「もう帰るわ」と、いつもはなかなか顔を会わせることのないボランティア仲間に言っているので私も彼女と「またね、体大事にしてな!」と言いながら固い握手をして見送った。
今度会う時には元気になっていて欲しいと思いつつー。

私も以前の彼女のように痩せようと思い、色々と努力はしているが、一向にお腹はへこまなくて「頼むから胸よりは前へ出ないコト」と、腹に言い聞かせている状態。
彼女を見て「努力しなくてもいいんだ、病気になればスマートになれるのだ」と悟ったものの、「病気になったら、えらいことですよ!どこへも行けなくなるじゃない? 何がなくても健康や!」と思いなおし「今さらスマートになったところで、どうなるってものじゃないしー」とさびしい現実を悟ったのでございます。

「まぁ、健康ならば今のままでいいのだ~、これでいいのだ~」と心の中で叫んだのであります。

彼女が帰ってから、近くにいた年上の女性とケーキを食べながら喋って、意気投合。
サバサバとした人で「髪も自分で染めるのよ」と、おかっぱ頭を指差す。
十分喋ってから「あんた、私の名前知ってる?」と聞いてくる。知るはずもなく「私のこと知ってる?」と逆に聞けば「知るはずないやろ」と返ってくる。
お互いに住所名前携帯を交換して、彼女の住所が電車で1時間もかかる所なのにビックリして「何してみえますの?」と聞けば「私も働かなあかんでな、議員しとるんや」とのたまう。
「議員は定年がないでよろしいな」とすかさず返したが、この人なら先日亡くなった社民党の「土井たかこ」を小型にしたみたいだから議会でもバリバリと発言しているのだろうなと納得した。


昨日は新しい出会いもあり、また、懐かしい友にも会えて、充実した日であったのでございます。



カラス

2014-10-03 22:22:35 | 日記
小2と小3の孫の運動会が終わったと思ったら、わが町の健康推進員主催、グラウンドゴルフ大会。
これにも主催者の一員として準備に、そして出場にとめまぐるしい1日を過ごしやれやれと思っている内にいつの間にか今日は「10月」。
月日の過ぎる早さに驚いております。

毎日、私のスケジュール通りに「今日は東か、明日は西か」で飛び歩き過ぎて、体も歳相応に疲れ、早朝ウオーキングも早朝でなくなり7時から始める始末。
初めの計画では6時から始めるはずだったのに、個人プレーの気楽さ。
「今日は眠いから出発を遅らそうか?」と聞けば「うん、そうしましょ」とすぐにもう一人の素直な自分が返事をする。
でも、ひとたび家を出て歩き始めればいつものコースへと自然と足が動くのであります。
朝の新鮮な空気を吸い、刈田で餌をついばむ白鷺を眺めながら

(白鳥は哀しからずや空の青海のあをにもそまずただよう)

という若山牧水の短歌を思い出し、文学少女だった昔を懐かしく思うのであります。

しかし、今朝はカラスの集団が刈田に黒々とおりまして、そばを歩いてもなかなか逃げないずうずうしさ。
童謡にも歌われたかわいいカラスは今はいずこ、と言ったところ。
カラスと言えば「あの、にっくきカラス」とすぐに言葉が返ってくるような存在になり下がってしまったのであります。

わが家の私めお手植えの柿の木も、やっと実をつけるようになったと喜んでいたらカラスがついばんで穴だらけ。
夏にはスイカも見つければ穴だらけにされる始末。
あの黒い姿に黒い顔、それに悪賢くて腹黒ときている。
どうひいき目に見ても可愛いとは思えない生き物であり、カラスを見るたびにカラスでなく、人として生を受けた事に感謝をするのであります。

では、ごきげんよう(^O^)/