あのうの幸せトンボ

日々の何気ない出来ごとを、思いつくままに……。

花火大会

2016-07-31 22:31:59 | 日記
昨夜は津市花火大会に花火好きの友人と行って来ました。

花火大会に行くのはそれこそ独身時代に行ったきり、という二人でしたので期待に胸膨らませて行きました。
今年は新津市誕生10周年で、10000発の花火が打ちあがると聞いたので何事に関してもイベント大好きの私は、声をかければ二つ返事で行くと言いそうな彼女を誘ったのであります。
案の定、予想が当たり「行く、行く」と二つ返事。

お互いに歳だからシャトルバスが運行される所の大駐車場へ車を止めて、バスに乗って市内まで行こうということになった。
駐車場へ着けば大変な数の自家用車。でも、次々と出発するバスに乗って快適な気分で座席に座り、バスにしてよかったなぁ、などと喋りながら会場近くの終点へ着く。
まだ暮れる前の明るい道をどこで見ようか、と人の動きにつられて歩き、花火のよく見える堤防へ座って見ることにした。

いよいよ花火が打ち上げられ、「わぁー、すごい!」を何度言ったか覚えてないほど。
一瞬ではあるが、夜空を彩る色の競演の数々。
来てよかったなぁ、を友と何度も言いながら、来年も来ような、と約束したのであります。

帰りは、花火大会が終われば多くの人が一斉にバス停に並ぶ。
そして、その数の多いこと。延々と続く長い行列に並びながら30分以上待ってやっとバスに乗り、帰ってきたのであります。

少し疲れたけれど久々に満足満足の夜でした。

来年も元気で花火大会に行けたらいいな、と話しながら帰ったのでした。

おわり(^^♪


カラス

2016-07-27 22:00:29 | 日記
東京都知事選もいよいよあと少しで投票日、東京都民でない私も興味津々。
投票権があれば是非入れたい人はいるのだが三重県民ではなんとも仕方がない。
何の力にもならないけれど、三重の地から応援するとしましょうか。

さて、身近なことに目を向ければ、
我が家のぶどうに被せてある紙袋が、破られて前の溝に落ちていると今朝、夫から聞いたのであります。
ぶどうの実も大分大きくなってきたし収穫もまじかかなぁ、と楽しみにしていた矢先だったので、急いで見に行ったら地面にも実が2,3個落ちている。
おかしいなぁ、と見上げてみたら、袋をかぶってないぶどうの房が片半分ない状態で枝からぶら下がっていて、その実をよく見るとくちばしで突かれたように傷がついている。
犯人は、昨年もぶどうを取りに来たあのカラスに違いないと確信したのであります。

袋をかぶっているので、中の実の状態など分からないはずなのに、まだ実が青いうちは取りに来なくて色づいて大きくなった今、取りに来るとはカラスの知恵というか能力に感心するばかり。
どうして分かるのだろう、熟れてきた匂いがわかるのかしら?とカラスに嗅覚があったのかしらーと思い、これは調べてみなくっちゃ、と感心ばかりもしておれないので、さっそく夫に言って網を張ってもらったのでありますが、これでカラスが諦めてくれるかどうか?しばらくはカラスとの戦いが続きそうなのであります。

カラスの害は我が家の野菜や果物にも及び、「♪かーらす なぜ鳴くの~♪」なんて可愛く歌っておれるような可愛い生き物ではないのであります。

我が家のぶどう棚の近くに電柱があって、そこをねぐらにしているカラスの家族があり、どうやってぶどうを取るか今夜、家族会議を開いているのかも…。


話変わって
今月もあれよあれよと言っているうちに、あと少しで終わり。
昨年の衣装を身に着けても、穿けるのはウエストゴムのズボンのみ。
Tシャツなどはお腹のまわりがパンパンで体型丸出しになり、とても着れない。
去年は今よりスマートだったんだ、とわが腹を撫でながらしみじみと思う昨今。

わが丸き体型を鏡で見ながら、ストレスをストレスとも思わなくなった思考的成熟の結果と体型の丸さは正比例するのであろうかと、少ない脳みそで今、考えております。

ではでは~ (*^。^*)

あぁー、やれやれ

2016-07-19 21:39:50 | 日記

早いもので今日はもう19日。

毎年恒例の祇園さんカラオケ大会も無事終わったし、文章教室も俳句教室も終わり、提出しなければならないものは来月までない状態になり、心は開放感に満ちあふれています。

それで、今日は午後よりお友達の所でお食事をいただきながらおしゃべり会。
ホントに汲めども尽きない泉のごとく、つぎからつぎへと話題が湧いてきてこの調子なら一晩中でも喋っておれそうーと思うほど。

余程聞いてくださるのが上手なのか、ウマが合うのか話題には事欠かないのであります。

夕方になったのでまた次回のおしゃべり会を楽しみに、辞したのでありますが、何でも心置きなく話せる友があると言うことは幸せなんだなあと、つくづく思ったのであります。
まさか、お友達になれるなんて思ってもいなかったのに、縁とは不思議なものだと思っています。

昨日はフオークダンスのお食事会で、伊賀市まで行きました。
マイクロバスの送迎付きで総勢19名で行き、唄って飲んで食べて喋って大いに盛り上がって親睦を深めてまいりました。
「ダンス覚えるのは大変だけど、お食事会があるからやめられないわ」と言う生徒さんが多数あり、いろいろ企画してお世話をしている私としましては、このままでいいんだ、と言う感を強くいたしました。
次回は、もう忘年会です。昨年開いたばかりと思いますがー。ホントに月日の過ぎる早さをひしひしと感じます。

次は、どこで開催すればいいのかしら、と今からボチボチと考えることにします。


災難

2016-07-06 22:38:20 | 日記
3か月程前に友人のA子さんが転倒して右足のひざ下を骨折した。
お見舞いに行ったらひざの上部からギブスを巻いてとても歩ける状態ではなかった。

彼女、歳は78歳ぐらい。認知症のご主人の世話をしているが、とてもご主人の世話どころではない。。
そこで、ご主人がディーサービスに通っている老人ホームに事情を言って預かってもらうよう頼んだら、了解してもらったわ、と私に言っていたので、良かったなぁ、これで安心して足の治療に専念できるなぁ、と言ったものだった。

ところがである。家に居るときは歩いたりしていたご主人が、ホームに入所してしまったら歩かなくなり(多分、そのことが原因だと思うが)血栓が脳へ飛んで脳梗塞になってしまったのである。
救急車で搬送された所が老人を管だらけにすると近辺で一番評判の悪い病院。
ご主人は、幸い命は取り留めたものの、話すことが出来なくなってしまった。

彼女の足は順調に回復してきて、杖をついて歩けるようになったわ、から、杖も取れ普通に歩けるわ、と言うまでに治ってきた。
ところで、ご主人の様子はどう?と先日聞けば、それがー、昨日、胃ろうの手術をしたの、と言う。
平生から、老人ホームでの私のボランティア体験を話していて、胃ろうの老人の生きているだけの様子をよく言っているのに、なぜ?と言う顔をする私に、まだ生きていて「あー、うー」と言っているのに、医者に胃ろうは結構ですとは言えなかったわ、と言う。

その情景を想像して、そうやなぁ、と命にかかわる決断のむつかしさを思った。
現実問題として、余程本人が強く言い残さない限り胃ろう患者は増えるのだと、実感した。
しかし、これから心臓が鼓動を続ける限り生きていかなければならないご主人の事を思うと、これも運命なのか…と思う。

ご主人のことについて「私が骨折したから、あかんだんやなぁ」と言う彼女に「これは、ご主人さんの事も含めて運命やに」と言ったのでした。