あのうの幸せトンボ

日々の何気ない出来ごとを、思いつくままに……。

カラオケ大会

2012-05-23 22:53:28 | 日記
先日カラオケ大会があった。
JA(農協)カラオケ教室の講師主催である。
私は、教室の場所が自宅から近いので今までの教室から
最近変わったばかり。言わば新入生である。
それゆえ、このカラオケ大会に出場したのは初めて。

農家の奥様が多く出場するので今までの大会とは少し感じが違う。
若い時は背がすらりと高くて美人であったろうにと
思われる70歳くらいの人が腰を「く」の字に曲げたまま唄っている。
また、曲がっている腰を無理に伸ばしてマイクの前に立つから
膝を曲げて体を反らせて唄っている人もいる。
きれいな舞台衣装を着て皆、一生懸命。唄も上手。
きっと若い時に田や畑仕事に励んだのだろう。
農家の仕事は腰を曲げてする仕事ばかり。
仕事がきつかったのだろうと自分の経験からひしひしと思う。
でも、舞台でイヤリングとネックレスを付けて輝いて唄っている
姿を見ていると、よかったよかったと心から拍手を送りたくなった。
「人生いろいろ~♪」である。

最近のカラオケ大会は歌手顔負けの衣装のオンパレード。
「松山恵子」や「美川憲一」もびっくりのフランス人形型や
光りものづくし型など衣装を見ているだけでも飽きない。
でも、「ビヤだる」から「電柱」型までそれぞれの体型に合う
服のサイズが存在する事に感心する。
その点は衣装専門店も心得ているのだろう。

カラオケ大会は当然、唄の上手な人も下手な人もいる。
下手がいるから上手が分かるんだと思うが、中には
高価そうな着物をきちっと着て、髪もきれいにセットして
舞台に出てくるから、ある程度期待したら音程がはずれていて
何の曲か分からない唄を聞く時の3分間の長さ。
終わった時の「やっと終わった!」という安堵の拍手。
唄のうまい人への拍手以外にもこういう拍手も
あるのだということを知った日でもあった。

人生、何事も経験ですな。









つばめ Ⅱ

2012-05-19 22:00:46 | 日記
先日、巣を造らないつばめの事を書いたが
カップルになる相手が見つかったのか、巣を造りだした。
まずは、めでたし!めでたし!である。

梁に打ち付けてある板の上に土を運んで来て
「愛の巣」作りに一生懸命。
今日は半分程出来あがった。間もなく完成するであろう巣を
私は愛のまなざし(?)で門をくぐる度に見上げている。

ほとんどの場合は巣が落下すると子供は助からないらしいが
幸いにも苗ポットの代用巣で昨年育ってくれた。
そのツバメがやっと相手を見つけて新居を造っている。
わが子が結婚するような気持ちである。

昨年は梁へ直接、巣を取り付けたので剥がれ落ちた。
今年は板の上へ新居を造っているので大丈夫だろう。
親から教えてもらったのだろうか?

ツバメに聞けなくて心配していたことが解決して、まずは一安心。
まだまだ結婚、子育てとツバメにとっても見守る私にとっても
気の抜けない毎日が続く。

どうか飛び立つまで無事に、順調に育ってくれと願う毎日である。



ふじ

2012-05-17 20:29:23 | 日記
わが家には鉢植えの藤の木がある。
植木市に行って5.6年前に買ってきたものだ。
花の咲く時期になると例年可哀そうなくらい
多くの花をつける。
しかしである。いつ花が咲くのだろうかと
今年も心待ちにしていたら
花の代わりに葉っぱが次々と芽を出し
今はふさふさと立派な葉っぱのオンパレード。
つまり、花を付けるのを省略してしまったのである。

人に聞くと肥料を冬の間に与えすぎたのが原因だという。
今年も立派な花を咲かそうと与えすぎたのが悪かったのか?

藤にとってみれば、ご褒美(肥料)を貰おうと
頑張って花を咲かせてご主人さまの機嫌をとらなくても
こんなにたくさん貰ったのだから今年は頑張るのを
やめよう!てなことで花をつけるのをやめたのか?
そう考えるとなかなか知能犯である。

「ハングリー精神」は藤にも必要なのか?

人間にとってもこれは当てはまる事だと思う。
あまり物を与えすぎるといい結果が出ない。
少し足りないぐらいが丁度いい。
貪欲はいけないが、もっともっとと上を目指す気持ちは
生きていく上で大切だと思う。

私も「美人薄命」の「薄命」の時期は過ぎて
しまったらしいので容姿はこの程度で満足するとして
まだまだ励まねばならぬものがたくさんある。

それでは
今から三味線の稽古でもしましょうか。
努力は嘘をつかないというから…。

つばめ

2012-05-11 23:48:58 | 日記
わが家の門に今年も燕が1羽来た。
しかし、例年とは違い巣を作らない。
門と言ってもわが家の門はくぐり戸が横にあり、門長屋と一体型で
時代劇に出てくるような大きな板の扉があり屋根付きである。
門の梁に巣の落下防止のために取り付けてある葉書き2枚程の
板へ夕方になると泊まりに来て朝になるとそこから出勤する。
宿舎と思っているようである。

実は昨年、巣が連日の暑さと乾燥のため梁より外れて落下した。
巣の中にいた未だ羽毛も生えていない子燕たちは死んでしまったが
1羽だけ生きていたのでわが家のドラミちやん(猫)に食べられないように
巣は壊れてしまったので、花苗用の小さなポットを巣の代用にし、
中へ枯れ草を入れ、その上に子燕を入れて梁へ取り付けた。
鳴きながら様子を見ていた親ツバメは、何度もポットの下を飛び交っていた。
が、意を決してポットに足をかけ、中の子供に餌を与えた。
ポットが安全な物だとわかってからは日に何度も餌を与えに来て
とうとう育て上げ、子燕は成鳥となってわが家から飛び立って行った。
その一部始終を毎日観察して私はいたく感動したものだった。

その成長した燕が1年してわが家へ迷わず帰ってきてくれたのだ。
しかし、ポットの巣で大きくなった故、巣作りが分からないのだろうか、
昨年飛び立つ前も今、泊まりに来ている板に止まっていたから、
それが家だと思っているのか?
巣作りを教えてくれる親はもう死んでしまったのか?
いい相手はいないのか?
色々と聞きたいことはあるが、残念ながら聞く術がない。

結婚もしないで子供も作らずにこの燕はまた、南の国へ旅立つのか…。
毎日、門の下を通るたびにやきもきしながら見上げている私である。



つれづれなるままに

2012-05-02 15:10:44 | 日記
文章教室の課題文を書こうと思ってパソコンの前に座っても、
この頭、振っても回しても、迷文が出てこない。
打ち出の小槌ではあるまいし第一、源泉なるものがないのだから
湧き出づる文章の泉も存在しない。
困った、困ったと思いながら、人さまのブログを拝見したり、
今、はまっている韓国ドラマを見たりしていると時間のみが過ぎていく。
この調子だとまた、提出日の前夜遅くに出来上がりという事になりそう。

用事があり、年上の友人宅へお邪魔すると
雑談のなかで「来年この服を着ることが出来るかしら、と思いながら
服を片付けるのよ」と話される。
また来年着ようと思って何も考えずに片づけている私だが
年齢を重ねるという事はそういうことだと改めて思う。
これからの進む道を見聞きし、自分自身に参考にさせていただかねばと思う。

会社を辞めてボチボチと歩き出した第二の人生。
いろいろな人に出会っていろいろな事を教えてもらって
私なりに、いい色の人生を歩めたらいいなと思う今日この頃であります。