オランダは、江戸時代に長崎に出入りを許された唯一の西欧の国で、日本が西洋文化を取り入れる窓口になっていた。そして、多くの偉人たちがオランダ語を学び、そして、西欧事情を知った。ドイツ語に近いということで、興味があって、少しやってみようかと書店でオランダ語の本を探したが、ほとんど店頭には置かれていないので、どうしたのだろうと思っていた。
ところが、少し調べていくうちに、オランダでもオランダ語を話せる人は高齢者のみで、ほとんどは英語やドイツ語を学び、話しているという。わずかにおばあちゃんやおじいちゃんと話がしたいという奇特な人が勉強を始めるのだが、難しくてなかなか習得できるまでには至らないという話であった。高齢者と若者との間に、言葉の壁ができ、コミュニケーションもままならないという事態に至っているらしい。何しろ、テレビやラジオがほとんど英語が使われているのだから、どうしても、衰退してしまう。
日本でも、地方の言葉はどんどん失われ、消えていく運命にあるようだ。地方に行っても、若い人は標準語?を話し、わずかに年寄りが地元の人と話すときに口にする程度でしか、地方の言葉は話されていない。格言う私も、地元の言葉が良く分からないことが多くなってきた。意味の良く分からない言葉を聞いて、あれ、どういう意味だったんだろうと記憶を紐解いていくと、ああ、そう言えば、この言い方は聞いたことあるなぁと思い出す。
まあ、方言はともかくとして、日本語がなくなってしまったら、日本の文化はどうなるのだろう。それこそ、無国籍の文化になってしまうような気がして、それはそれはとてもさびしく思う。最近、やたらと目立つのはカタガナ言葉だ。特に、政治家の言うカタガナ言葉はひどすぎる。きちんと日本語を当てはめられる程、そのことについて知らないままに話しているとしか言いようがない。外国の言葉を日本語にするには手間がいるし、知識も必要だが、それを怠わらないで欲しいもんだ。
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