古来、日本は、中国の文化を取り入れ、それを日本の固有性に合わせて変化させながら発展してきた。安土桃山時代には、西欧のポルトガルやオランダ等の西欧諸国の文化が入り込み始めたが、徳川幕府の鎖国政策によって、西欧文化の移入は極端にセイブされ、その後、独自の文化を創造してきたように思う。明治になって開国し、以降は、西欧文化をどん欲なまでに取り入れ、西欧諸国の真似をすることで、飛躍的な進化を遂げ、現在に至っている。こう考えると、日本人という種族は、余程真似をするのが上手な民族と言えるだろう。
確かに、真似をするという行為は、物事を学習する上では大事なものだ。例えば、書道などは手本を真似ることから出発し、その中で、基本をマスターし、自分のものとしていく。そして、自分の独自性、独創力を加えて、自分なりの作品を作り出す。これはどの分野のことにも共通するものだと思う。昔は、世界中の様々な情報を収集するのに多大な時間と労力を要した。そのため、情報を収集して国内に紹介することが社会の発展につながってきた。ところが、通信回線を通じて世界中の情報・ニュースが瞬時に、しかも大量に流入するようになった。
便利になったと言えば便利になったのだが、そこで大きな問題が発生してくる。それは、流入した情報が未消化のまま、日本に蔓延してしまうということだ。これまでは、流入した技術や知識は長い時間を掛けて、日本に合うようにアレンジされたり、日本に合わないものは淘汰されたりしてきたように思う。それが今は全く未整理のまま、混とんとした状態で存在している。
大学では、外国の文化、技術、思想等々を紹介することが中心となり、独自の発想、創造力を磨くというのが後回しになってきたように思う。大学で教えられるほとんどのものが、外国での業績の紹介に終わっており、教授自らの発想や創造が非常に少ないように思う。これでは、いつまで経っても「猿の物まね」、「二番煎じ」に過ぎないではないか?物事への取り掛かりの初期の段階では、人のまねをして覚えることはとても大事だが、覚えた後にそれをどう自分の中に消化し、現実の課題に対処していくかが、今、問われているのではないだろうか?