ついに初孫が誕生した、22日のことだ。いつ孫を見に行こうかと妻が息子と連絡をとって考えている。初産で、大変だったらしい、時間も大分掛かったから、疲れているだろう、少し間をおいた方が良いのだろうか、天気はどうなのか、雨は降らないか等々、配慮すべきことがいくつかあってまだ対面していない。
昨日、妻が、「ベッドの底に入っている拓の赤ん坊のころのアルバムを出して!」と言われ、アルバムを出してみた。産院からもらったアルバムで、生まれて当時の写真が入っている。妻は、それを見ながら、息子から送られてきた写真と見比べている。私も、写真を見ていて、妻の若かりし頃の写真をみて、妻にもこんなときがあったのだと改めて思う。
そう言えば、長男が生まれたとき、妻宛にかなり長文の手紙を送ったのを思い出した。子どもをどう育てるか、私の教育論を展開したものだったということだけは覚えている。しかし、実際に、何を書いたのか、その内容については、全く思い出せない。少なくても、頭の中では、しっかりと育てなくてはという意気込みがあったのだと思う。あのときの手紙を出してくれと妻に言っても、返ってくる言葉は容易に想像でき、また、爆弾が落ちるという予感がする。そこで、黙っていることにした。
拓も、可愛かったなぁと思う。しかし、高校の頃に、どんどん大人の顔が変わっていくに従って、拓との、心理的な距離感も大きくなって、可愛いという感情はあまり持たなくなると同時に、何を考えているかも、あまり分からなくなった。会話もすごく単純になった。しばらくぶりに帰って来ても、拓:「おお、親父いたのか?」、私:「ああ」。交わす会話はそれで終わり、後はほとんど話すことがない。これは、上の息子とも同様で、ほとんど話すことがない。完全に私の関心が薄れると同時に、息子たちに私の影響力が低下していることを意味している。別に、仲が悪いわけでもないわけで、自然とそうなっただけの話だ。
それにしても、赤ん坊は可愛いものだ。早く見に行こう!