作業を開始してから二ヶ月と十日、年内の作業としてはこの日が最終日となった。
残っているのは、流入部の水路とPC蓋(プレストレスト・コンクリート:内部のピアノ線の圧縮力により強度を上げたコンクリート蓋)で、あと数日分の作業内容だ。
「木田さん!ちょっと来て!」
午後四時過ぎ、ハルが最初沈殿池(汚水が最初に流れ込む池)の躯体(コンクリート構造物)の上から叫んでいる。
「どうしました?」
躯体に上がってハルに付いて行くと、そこは年明けに施行予定の、深さが腰よりも浅い流入水路だった。
「あれ?結構速かったですね、ここは来年かと思いましたよ」
ハルは少しだけ自慢気な顔をしている。
「ここも施工範囲だよね」
「ええ、そうですけど…」
少し離れた所では、正木が別の水路をジェットで撃っている。
「あのさ、さっき蓋を外し始めたんだけどさ」
「あ、全部外します?手伝いますよぉ」
「いや、そうじゃなくてさ…」
ハルは、水路のコンクリート製の蓋が四、五枚外された場所を、指で示す。
「?」
「この水路って洗って無いよね」
「洗ってない?」
私はハルが蓋を外した水路を覗き込んだ。
「うわっ、くっっさぁ!」
「うひゃひゃひゃひゃ!木田さん、もしかしてこれってアレなんじゃないの?」
ハルは口をひん曲げながら、苦笑している。
「ま、まあ、そうですね、最初沈殿池の手前の水路ですからねぇ…」
「なんで洗って無いの?」
「うーん、忘れたのかなぁ?」
私はすぐにSSプラントの川久保を呼んだ。
「川久保さん、この水路は施工範囲ですよね」
「ええっ?そうだっけ?」
川久保は慌てて図面を見始める。
「うーん、たぶん施工範囲だね」
「どうして洗ってないんですか?」
「洗ってない?本当?」
川久保は水路を覗き込むと顔を歪める。
「何でだろう…」
契約では、施工範囲内の水路は、全て我々が入る前に洗浄されている筈だった。
「これ、どうしようか…、洗う?」
川久保はしばらく悩むと、業者に洗浄させる事を提案してきた。
「いや、もういいよ」
いきなりハルが答えた。
「ええっ?ハルさん、どうするんですか?」
私はハルの顔をじっと見た。
「やっちゃおうよ、どうせこの水路は短いし、年内にある程度はケリを付けようよ!待ってる時間がもったいないよ」
『超』がつくほど綺麗好きなハルにしては、かなり大胆な発言だ。
「いいですけど、臭いですよ?水路の深さが腰までしかないし、残留汚泥の量も少ないみたいだから、硫化水素の発生はさほど心配する事はないですけど…」
「いいよ、やっちゃうよ!」
ハルはそう言うと、いきなり残っているコンクリートの蓋を外し始めた。私も慌てて手伝い、コンクリートの蓋を外す。
十五分後、ハルのジェットが水路に向かって発射される。
「キュウぅうううううん、バシュぅううううううう!ドバッぁあああ!」
ジェットの発射と同時に、水路の底の『臭い奴』が爆裂する。
「うわぁアアアア…」
ドス黒い物体が、水路の周辺に飛び散る。
一般的に、洗浄で使用するウォータージェットは、もっと低圧なポンプを使用する。現場で良く使われる『ハイウォッシャー(エンジン式)』というポンプは、最大吐出圧力が100kgf/cm2、最大吐出流量が21リットル/minというスペックだ。これに対して超高圧ポンプ『ハスキー』は、常用吐出圧力が2,800kgf/cm2、最大吐出流量が24.6リットル/minというスペックになる。
つまり、どちらのポンプも流量はほとんど同じなのに、掛けてある圧力に28倍もの差があり、その28倍の水圧で洗浄をしようとしても、対象物は爆発的に飛び散るだけで、洗浄というよりも、単に汚染区域拡大を招く事になるのだ。
「じゃあ、ハスキーの圧力を100kgf/cm2に落として使用すれば?」
という意見があるかもしれないが、そうも行かない。ハスキーのプランジャー(ピストン)部は、エンジンとダイレクトに繋がっており、エンジン回転数を2,100rpm/minに設定し、且つ、圧力を2,800kgf/cm2に設定しないと、流量も24.6リットルに達しないのである。また、ノズルが超高圧にしか対応していないので、実質的には洗浄ポンプとしての使用には非常に難があるのだ。
「ガロガロガロ、バキャっ、ブロブロブロ、バシュぅうううう!」
ハルは飛び散る汚物を気にするでもなく、水路のコンクリートをハツリ倒している。ほとんどむきになっている感じだ。周囲の躯体の上には、飛び散った黒い物体が、ドバドバと載っている。
「おいおーい、何をしとんるんだぁ!?」
現場に巡回してきた所長の葛西が、眉間に皺を寄せて近づいて来る。
「あ、どうも…」
「ダメじゃないかぁ、こんなに汚しちゃぁ!」
「所長、この水路の洗浄がきちんと行われていなかったんで、この有様なんですけど…」
「何ぃ、本当か?」
私の代わりに川久保が頷く。
「でも、どうするんだ、こんなに汚して!」
「後で洗浄しておきますよ、処理場の洗浄水(処理されて、放流される前の水)で…」
「しっかりと洗っておいてよ、後で処理場の人に文句を言われないようにね!」
葛西はブツブツと言いながら、鼻を押さえて立ち去って行った。
午後五時四十五分、ハスキーの圧力を落とし、エンジンの回転数をアイドリングにまで落とす。
「はい、お疲れ様!」
正木が疲れた顔で戻って来る。
「ハルさんお疲れ様!」
遅れること十分、ハルがエアラインマスクを被ったまま、ポンプの前に戻って来た。気を利かせた堂本が、ハルを水路内で、処理場の洗浄水を使って洗ったので、さすがに汚物は付着していない。
「うははは、臭いがきつかったでしょ!」
私もさらに水道水で全身を洗ってやる。
「ぷはぁー」
ハルがエアラインマスクを脱いだ。
「もうたまんないよ」
「うはははは、ヨッシーは?」
「まだ上で正子と一緒にウンコを流してんよぉ」
「ははは、そうですか」
「木田さん、このカッパとエアラインマスク、どうせボロボロだし、捨ててもイイ?」
ハルはエアラインマスクを指で摘むと、顔面で不快感を表している。
「もちろん構いませんよ」
私は当然という顔で、笑いながらハルに答えた。
カッパとエアラインマスクを新品に換えるだけで、ハルが気持ち良く働いてくれるのなら、安い物だった。
残っているのは、流入部の水路とPC蓋(プレストレスト・コンクリート:内部のピアノ線の圧縮力により強度を上げたコンクリート蓋)で、あと数日分の作業内容だ。
「木田さん!ちょっと来て!」
午後四時過ぎ、ハルが最初沈殿池(汚水が最初に流れ込む池)の躯体(コンクリート構造物)の上から叫んでいる。
「どうしました?」
躯体に上がってハルに付いて行くと、そこは年明けに施行予定の、深さが腰よりも浅い流入水路だった。
「あれ?結構速かったですね、ここは来年かと思いましたよ」
ハルは少しだけ自慢気な顔をしている。
「ここも施工範囲だよね」
「ええ、そうですけど…」
少し離れた所では、正木が別の水路をジェットで撃っている。
「あのさ、さっき蓋を外し始めたんだけどさ」
「あ、全部外します?手伝いますよぉ」
「いや、そうじゃなくてさ…」
ハルは、水路のコンクリート製の蓋が四、五枚外された場所を、指で示す。
「?」
「この水路って洗って無いよね」
「洗ってない?」
私はハルが蓋を外した水路を覗き込んだ。
「うわっ、くっっさぁ!」
「うひゃひゃひゃひゃ!木田さん、もしかしてこれってアレなんじゃないの?」
ハルは口をひん曲げながら、苦笑している。
「ま、まあ、そうですね、最初沈殿池の手前の水路ですからねぇ…」
「なんで洗って無いの?」
「うーん、忘れたのかなぁ?」
私はすぐにSSプラントの川久保を呼んだ。
「川久保さん、この水路は施工範囲ですよね」
「ええっ?そうだっけ?」
川久保は慌てて図面を見始める。
「うーん、たぶん施工範囲だね」
「どうして洗ってないんですか?」
「洗ってない?本当?」
川久保は水路を覗き込むと顔を歪める。
「何でだろう…」
契約では、施工範囲内の水路は、全て我々が入る前に洗浄されている筈だった。
「これ、どうしようか…、洗う?」
川久保はしばらく悩むと、業者に洗浄させる事を提案してきた。
「いや、もういいよ」
いきなりハルが答えた。
「ええっ?ハルさん、どうするんですか?」
私はハルの顔をじっと見た。
「やっちゃおうよ、どうせこの水路は短いし、年内にある程度はケリを付けようよ!待ってる時間がもったいないよ」
『超』がつくほど綺麗好きなハルにしては、かなり大胆な発言だ。
「いいですけど、臭いですよ?水路の深さが腰までしかないし、残留汚泥の量も少ないみたいだから、硫化水素の発生はさほど心配する事はないですけど…」
「いいよ、やっちゃうよ!」
ハルはそう言うと、いきなり残っているコンクリートの蓋を外し始めた。私も慌てて手伝い、コンクリートの蓋を外す。
十五分後、ハルのジェットが水路に向かって発射される。
「キュウぅうううううん、バシュぅううううううう!ドバッぁあああ!」
ジェットの発射と同時に、水路の底の『臭い奴』が爆裂する。
「うわぁアアアア…」
ドス黒い物体が、水路の周辺に飛び散る。
一般的に、洗浄で使用するウォータージェットは、もっと低圧なポンプを使用する。現場で良く使われる『ハイウォッシャー(エンジン式)』というポンプは、最大吐出圧力が100kgf/cm2、最大吐出流量が21リットル/minというスペックだ。これに対して超高圧ポンプ『ハスキー』は、常用吐出圧力が2,800kgf/cm2、最大吐出流量が24.6リットル/minというスペックになる。
つまり、どちらのポンプも流量はほとんど同じなのに、掛けてある圧力に28倍もの差があり、その28倍の水圧で洗浄をしようとしても、対象物は爆発的に飛び散るだけで、洗浄というよりも、単に汚染区域拡大を招く事になるのだ。
「じゃあ、ハスキーの圧力を100kgf/cm2に落として使用すれば?」
という意見があるかもしれないが、そうも行かない。ハスキーのプランジャー(ピストン)部は、エンジンとダイレクトに繋がっており、エンジン回転数を2,100rpm/minに設定し、且つ、圧力を2,800kgf/cm2に設定しないと、流量も24.6リットルに達しないのである。また、ノズルが超高圧にしか対応していないので、実質的には洗浄ポンプとしての使用には非常に難があるのだ。
「ガロガロガロ、バキャっ、ブロブロブロ、バシュぅうううう!」
ハルは飛び散る汚物を気にするでもなく、水路のコンクリートをハツリ倒している。ほとんどむきになっている感じだ。周囲の躯体の上には、飛び散った黒い物体が、ドバドバと載っている。
「おいおーい、何をしとんるんだぁ!?」
現場に巡回してきた所長の葛西が、眉間に皺を寄せて近づいて来る。
「あ、どうも…」
「ダメじゃないかぁ、こんなに汚しちゃぁ!」
「所長、この水路の洗浄がきちんと行われていなかったんで、この有様なんですけど…」
「何ぃ、本当か?」
私の代わりに川久保が頷く。
「でも、どうするんだ、こんなに汚して!」
「後で洗浄しておきますよ、処理場の洗浄水(処理されて、放流される前の水)で…」
「しっかりと洗っておいてよ、後で処理場の人に文句を言われないようにね!」
葛西はブツブツと言いながら、鼻を押さえて立ち去って行った。
午後五時四十五分、ハスキーの圧力を落とし、エンジンの回転数をアイドリングにまで落とす。
「はい、お疲れ様!」
正木が疲れた顔で戻って来る。
「ハルさんお疲れ様!」
遅れること十分、ハルがエアラインマスクを被ったまま、ポンプの前に戻って来た。気を利かせた堂本が、ハルを水路内で、処理場の洗浄水を使って洗ったので、さすがに汚物は付着していない。
「うははは、臭いがきつかったでしょ!」
私もさらに水道水で全身を洗ってやる。
「ぷはぁー」
ハルがエアラインマスクを脱いだ。
「もうたまんないよ」
「うはははは、ヨッシーは?」
「まだ上で正子と一緒にウンコを流してんよぉ」
「ははは、そうですか」
「木田さん、このカッパとエアラインマスク、どうせボロボロだし、捨ててもイイ?」
ハルはエアラインマスクを指で摘むと、顔面で不快感を表している。
「もちろん構いませんよ」
私は当然という顔で、笑いながらハルに答えた。
カッパとエアラインマスクを新品に換えるだけで、ハルが気持ち良く働いてくれるのなら、安い物だった。
カミヤミさんも、元気な姿を『ほーてー』で見せて下さい。マガホン、いや、メガホンを持って応援に行きたいと思います。