ドミンゴ(土民子)のわくわくランド

自分が感じた面白い、かつ、怒りの話題を提供します。
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不思議な世界

2007-07-24 | Weblog
皆さん自分って何だろうと考えたことはありませんか?私は中学生の時から自分は何処から来たのか不思議な世界を考えて今も答えを得ることが出来ないでいる。爺さん、両親までは認識出来るがそれ以前の先祖は解らない。しかし、今存在していることは先祖が営々と子孫を残してきた結果の自分である。生物の進化によって人類が発生したものであることは一般的知識としては理解している。若し、いつかの時代私に繋がる先祖に異変があってDNAが途切れていたら今の私は存在しなかったと思う。両親から生を受けたからこそ、こんなことも考えられる。そして60年位生きて死を迎える。死後の世界は生きている人に誰も伝えることが出来ない。
だから人間は生を受けて意識の世界で色々な悟りを感じ、宗教に昇華したのではないだろうか?
生前は無限、死後も無限その無限の間に瞬間の意識の世界である。楽しい、悲しい、怒りや人工の想像物はその人が感じているだけである。
こういう視点から思慮すると10代の人も80代の人もあまり変わらないと思う。
と言うのは以前モンゴルの奥地で10代の女の子が父親が死に母親と弟が残された。その女の子は家畜の世話や水運びに厳冬の中必死で家族を守るため手袋もなく働いていた。一年後取材班が訪問したら母親は家畜集めに行って帰ってこない。たぶん死んだであろう。遺体も見つからない。弟の面倒を見ながら家畜の世話をしていた。親族も貧しく二人の子供をお世話する余裕がないという。
弟と二人寒い中抱き合って眠っていた。豊な日本人から見ると信じられないこと。
つい60年前の戦後、両親を失った子供達も同じ生活をしたに違いない。
私はこんな過酷な生活を経験していないが同じ立場にあったら自分がどうしていただろうかと想像した。モンゴルの女の子は私を超えた悟りの道を歩いているようだ。我々人間は何処から来て何処へ行くのか不思議な世界に生きているようだ。


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